理不尽な話

南多 狂

小説

3,286文字

何も、誰も正しいわけではない。でも、何が、誰が正しいのかは、きっと知らない。

昔々のお話です。
ある小さな村に、神の子として敬われている少年がいました。
少年は何でもできました。勉強だって、運動だって、なんでもできました。
小さな村の誰もが少年を敬い、愛していました。
その少年も、村人をとても愛していました。
ある日のことです。少年の友達が泉に溺れてしまいました。少年は助けようと、泉に飛び込みます。
でも、そこは神様が住んでいる泉でした。
そのことは、村人の誰もが知っています。そして、「誰もこの泉に入ってはいけない」という掟がありました。
少年の友達は足を踏み外したのです。わざとではありません。
少年はそう考えました。だから、助けるために泉に入るのも、悪いことでもありません。
だから少年は泉に飛び込みました。
友達を助けるために飛び込みました。
友達は助けられました。友達はとても喜んでいます。少年も友達が助かって、とても喜びました。
しかし、どうでしょう。泉が金色にピカピカと光ると、立派な白い髭の老人が泉から現れたのです。
「ここで水浴びをしていた者は、お前たちか」
年老いた容貌ですが、こちらに何も言わせない雰囲気があります。それでも少年は、自分が正しいことをしたと思っているので、こう言いました。
「違うよ。僕の友達が溺れちゃったんだ。友達は泳げないから、僕が助けたんだ」
「ほう。この泉には入ってはいけない、という私の言いつけを無視してまで助けたのか」
「僕は悪いことはしてないよ」
少年は自信があります。自分は正しいことをしたのですから、怒られないと思っています。
「例えどのような理由があろうと、この泉には入ってはいけない。その言いつけを守れなかったのは、悪いことではないのかね?」
少年は言葉が出ません。神様が言っていることは正しいからです。でも、少年は言います。
「それでも僕は、友達を助けたかったんだ」
すでに少年は頭が回りません。目から涙が溢れてきそうなほど、気持ちが高ぶってしまっています。そして、とうとう、少年は神様の怒りを買う一言を言ってしまいました。
「溺れた子供も助けられない神様に、何を言う権利があるっていうんだ!」
神様は、もうかんかんです。顔を真っ赤にして、少年に言います。
「なんと愚かな子だろう! 私が今までそなた達にしたことを、知らぬと言うのか! いつも美しい水をお前たちに与えてやったというのに!」
まだまだ神様の怒りはおさまりません。
「なんと傲慢な子だろう! 自分の立場をわきまえず、私に意見するとは!」
神様はその場で足踏みします。すると、泉の色がどんどん黒く変わっていきます。
「なんと哀れな子だろう! 一言でも謝れば許してやったのに!」
泉は真っ黒になって、どろどろとなっています。それは変な臭いがして、具合が悪くなってしまいます。
「一生お前はこの罪を償うがいい! お前がしでかしたことを、一生後悔するがいい!」
神様は、泉に戻るのではなく、空へと戻っていきました。

この話は、あっという間に小さい村に広がりました。
神の子が神の怒りを買った。なんということだ。なんてことをしてくれたんだ。村人たちは口を揃えて嘆きます。
村の畑の野菜は腐り、家畜は次々と死に、村には奇病が流行りました。
少年は家に引きこもるようになりました。家の窓は、石を投げられ全て割れました。隙間風がびゅうびゅう吹いてきます。
両親は、少年を置いてどこかに行ってしまいました。
少年が助けた友達は、村の人たちと一緒に少年をいじめます。
それでも少年は、この村に居続けました。
小さな村の誰もが少年を忌み嫌いました。
それでも少年は、村人たちを嫌おうとは思いませんでした。
村で、ようやく作物が育ち始めたある日のことです。少年はいつもの通り、夜中にこっそりと出かけ、村の畑に食べ物を盗みに行きました。
少年は泣きながら野菜を一つ盗みました。
悲しくて泣いたのではありません。
あまりにも自分が情けなくて泣いたのです。
しかし、見つかってしまいました。
見つけたのは、少年の友達だった男の子です。
「お前は……」
男の子が、汚物でも見るかのような目で呟きます。
男の子が見たのは、汚い服に身を包み、髪はぼさぼさで、顔には黒い汚れがべっとりとついている少年の姿でした。
「君は……」少年が言葉を続けようとしましたが、男の子がそれを止めるかのように叫びます。
「泥棒だ! やっぱりあいつが今までの泥棒の犯人だ!」
少年は再び泣きました。今度は辛くて泣いたのです。
少年は村人が自分を嫌っていたことを知っています。でも、この子だけは、自分が正しいことをしたとわかってくれていると思っていたのです。
村の大人たちがたくさん出てきて、少年を追いかけます。大人たちは、鍬やら、包丁やら、棒切れやらを手に持っています。少年は腕に野菜を抱えて必死に逃げました。
いっぱい、いっぱい走りました。もう息ができないのではないかと思うほど、必死に走りました。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
少年は泣き叫びながら、まだまだ走ります。悲しくて、辛くて、苦しくて、心が痛くて……。
やがて、少年はあの泉の前に着きました。
泉は黒くて、変な臭いがします。
ここまで逃げれば大丈夫と思った少年は、いつものように「いたぞっ!」「あの泉だ!」「悪魔の子がいたぞ!」「こっちだ!」しました。
少年は追い詰められました。
「お前のせいで!」
「お前がいたせいで!」
「お前があんなことをしたせいで!」
少年の友達だった男の子が、前へ出てきました。
「お前があんなことをするから!」
それは少年にとってはとても残酷な言葉でした。助けたことが悪いことだと言われている気がしたのです。
「僕は悪いことをしていない!」
少年は言い返します。泣きながら、苦しみながら。
「何を言うんだ、悪魔の子め!」
大人の一人が、手に持つ棒切れで少年を殴ります。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
少年があまりの痛さに叫びます。
でもその大人はやめません。しかもそれに続くかのように、次々と大人たちが少年を痛めつけます。
「やめて、やめて!」
少年は叫びます。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
ぐちゃりと辺りに響くようなにぶい音がしました。
その音と同時に、少年の叫びが消えました。
大人たちが少年だったものから身を引きます。少年だったものは、いとも無残な姿になっていました。それは人だったとは到底考えられないくらいでした。
大人たちが息切れしています。
すると誰かが言いました。
「こいつは悪いことをした。それを償わせただけだ」
「そうだ」
「その通りだ」
「悪いのはこいつだ」
すると空が薄っすらと明るく光ります。
空から立派な白い髭の老人が現れ、言いました。
「なんということだ……」
老人はゆっくりと少年に近づき優しく抱きかかえます。
その老人は、泉に住んでいた神様でした。
皆が跪きます。
「お前たち、この子に何をした」
そして一人の大人が言いました。
「こいつはあなた様の泉を汚した罪人として、我々が裁きました」
とても誇るようにその大人は言います。
「なんと愚かな者たちだろう! この子が何をしたかも聞かずに、このような行為に及んだというのか!」
神様はぽろぽろと涙をこぼします。
「なんと哀れな子だろう……あの日からずっと、私に許しを乞うていたのに……。私がもう少し早く許してやれば」
少年は、あの日からずっと神様に謝っていました。盗んだものとはいえ、お供え物を毎日していました。泉に浮いているごみを、毎日拾いました。膝を地に着け、深く頭を下げ、泣きながら何度も謝っていました。
「この子が昔言っていた通りだ。子供も助けられない神が、何を言う権利があるというのだろう。すまない、すまない……」
神様は泣きます。泣きます。泣きます。
「おぉ、愚かな者たちよ。自分たちが裁きを下せる権利があると思い、この子を痛めつけるとは。何も見ない愚かな者たちよ、一生後悔し、生き続けよ。この子が受けた苦しみをお前たちも受けるがよい」
そして、神様は少年を抱えたまま空へと戻っていきました。
それを大人たちはただ黙って眺めることしかできませんでした。
だって、自分たちは正しいことをしたと思っているのですから。

2014年11月6日公開

© 2014 南多 狂

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