十年旅行

今川久古

小説

6,542文字

十年前に旅行してみた。あまり変わらないものと、ちゃんと変わって いるもの。

美弥子とスーパーで晩ご飯のおかずを買った帰りにCD屋に寄った。美弥子が大好きなリロンのニューアルバム発売日だった。CD屋には大きなコーナーができていて、リロンが二〇一〇年にバンドを結成し、十周年の去年東京ドームで五日間のライブをやるまでの歴史がボードに書かれていた。店中に、ボーカルのえつこのふわふわした声が響く。

私の 指から メープルシロップ あなたに とろける

ちょっと見てると次々にCDが売れていく。ネット配信がほとんどになった時代にあえてCD中心で発表するという姿勢もうけているらしい。

「大人気だねぇ」

普段おだやかににこにこしている美弥子が、僕にだけわかる程度に興奮しながらCDを持って行くと、レジのおじさんに「このビル全体で抽選会やってますんで」と抽選券を渡された。

すぐ隣にある抽選会場に並んだ。美弥子のくじでも僕がひく。右腕が騒ぐ。「修司君は本当にくじびきが好きだねぇ」と美弥子に笑われた。

抽選券の裏には賞が書いてあって、一等が温泉旅行で以下フライパンやお買い物券なんかが並んでいるけれど、特等が「秘密」と書いてある。心が騒ぐ。これで「あざとい客引き」なんて思ってはいけない。素直に心騒がせるべきである。

前の人がうまい棒を受け取ってすごすごと引き下がった。にこやかなお姉さんに抽選券を渡して、箱に右手をつっこむ。いつも通り、右手の薬指に最初に触れた三角形のくじを引っ張り出す。

お姉さんが開く。「あたれー」と美弥子がささやく。お姉さんが小さく「あっ」と言ってから、がらんがらんとベルを鳴らした。周りで「おお」という声が起こる。

「特等出ましたー」

美弥子と繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

「特等はタイムトリップですー」

「タイムトリップ目録」と書いた封筒を渡された。「おめでとうございますー」。なんのことやらわからない。「あとは中を読んでください」ということでお姉さんは次に移っていった。僕らが封筒を眺めていると、列に並んでいる人が「タイムトリップだよ」「いいなぁ」「こないだニュースでやってたよね」なんて囁いていた。

家に帰って封筒を開けてみた。コンサートチケットみたいな紙が入っていて、「タイムトリップご招待券」と書いてある。カラー写真がいっぱい載ったパンフレットもついている。わかりやすく言えば、「過去を再現した壮大なアトラクション」ということらしい。十年前と二十年前のある一日を再現した。そこには本当に当時のままの世界がある。外国にだって行ける。でも、あくまで再現なので、自分は今のままで十年前に行くし、そこで起こったことで歴史が変わるとかいうこともない。「過去のご自分にお会いになったり、今はなくなったところに行ったり、ご自由にお楽しみください」と。

「なんかすごいねぇ」

僕らが気づかない間に科学は進んでいた。半年前、二〇二〇年十月にできたそうな。僕も美弥子もあまりニュースを見ないから知らなかったけれど、オープン当初はかなり話題になったみたいだった。もともと遊び目的ではなく、世界的規模の研究事業で、その一部を提供するということらしい。今はまだ十年前と二十年前が一日ずつだけだけれど、つなげていけば歴史を再現できると。過去を自由に見られるとなれば、いろいろ役にも立つのだろう。全くわからないけれど。

ネットで遊んだ人の評判を見る。なにしろ十年前だと一日五十万円、二十年前だと百万円ということで、体験取材なんかはあっても、自分でお金を出した人の感想はあまりないし、あっても評判はよろしくない。絶滅した動物や既になくなったものなどを持ってきて、現代に大きな影響を及ぼしたり金儲けをしてはいけないということで、持ち帰れるものは制限され、お金も一人三千円までしか持っていけない。行動はチェックされ、犯罪行為は禁止。「三千円じゃなにもできない」「十年前って今とたいして変わらない」「プレミアムつくってわかってるフィギュアがあっても三千円じゃ買えない。売るものも持ってけないから本当に三千円しか使えない」。もちろん文句ばかりじゃないけど、「ビックカメラとか行くと、パソコンがまだB5サイズもあるとか携帯に電話機能が付いてるとか面白いけど、その程度」「広末涼子が若くてよかった」みたいな感想ばっかりで。最初こそ予約が殺到したものの、大勢の人が同時に行けるってことで順番待ちの行列ははけて、逆に宣伝に必死なようだ。だからくじびきの賞品なんかにもなっているのだろう。

「なんかいまいちみたいだねぇ。温泉の方がよかったかなぁ」

思わずため息をつくと、美弥子が「よしよし」と頭をなでてくれた。

「温泉はいつでも行けるけど、十年前はなかなか行けないからね」

美弥子は温泉が大好きで、きっと温泉の方がよかったのだろうけれど、にこにこしてくれていた。

 

三日後、僕らは朝八時半に筑波にある「国立時空情報研究所」に行った。学者が大がかりに研究をしつつ、その成果としてタイムトリップをやっている。

受け付けでチケットを渡すと、会議室みたいな部屋でビデオを見させられた。僕らの他には誰もいなかった。十年前といっても、ちょうど十年前なのではなく、日付は決まっている。僕らが二〇二一年五月十一日から出かけていくと、東京タワー前に二〇一〇年の十月十日午前十時に着く。午後八時に強制的に世界が消えて現代に戻される。早く戻ることもできる。自分は自分なので、怪我をしたり死んだりしたら現代に引き継がれるので気をつけるように。犯罪行為は禁止。持って行けるものには制限がある。金は三千円まで。持って帰るものにもチェックが入る。撮影は可。

脳内とか映像とかホログラムとかではなく、ちゃんと空間を作り上げてるんだってのがえらいもんだ。次元がどうとからしいけど全くわからないから気にしない。宇宙のどこかに十年前と二十年前の世界が一日だけできて、五十万とか払えば行けますよってので十分だ。

健康状態なんかについて答え、「なにがあっても責任とりませんよ」的な紙にサインし、荷物チェックを受ける。三千円分のお金を昔のお金に換える。といっても、紙幣も貨幣も同じだから、「平成二十八年」なんて五百円玉を「平成二十年」とかに交換するだけだ。

映画館の入り口みたいなドアの前に立つ。「行ってらっしゃい」の声に送られて、ドアを開けると、暗い空間。その先にもう一つドアがあって、開けると十年前の東京。

 

確かになんか風景が違う気がする。といっても、東京に住んでいながら東京タワーなんて行ったことがないので、どう違うのかはわからない。なんだかうるさいなと思ったら車のエンジン音が今に比べって大きいかららしい。ファッションなんかも違う気もするけれど、違わない気もする。たぶんもっと前の時代だと、その時代なりのファッションなんかがあったのだろうけど、二〇〇〇年以降ってあんまり印象がない。映像なんかで見ていても、何年ごろなのかぱっとわからない。そんな時代に帰ってきた。

「なんかあんまり変わらないねぇ」

僕はちょっとしょんぼりしたけれど、美弥子は楽しそうにきょろきょろしている。

「よくタイムトリップものだと、未来がわかるってことで、ギャンブルで儲けるとか、未来を予想して驚かせるとかだよね」

「二〇一〇年になにがあったかなんて覚えてないしねぇ。村上春樹がノーベル賞取りますよとかは教えられるけど、すぐには証明もできないし、信じてもくれないだろうし……そもそもこの世界は今日しかなくて、八時に消えちゃうからね」

美弥子は僕の頭をなでて「せっかくだから楽しもうよ」と言った。

御成門駅から池袋へ。都心を走る電車は十年間増えていない。乗り方や運賃も一緒だ。本当に二〇一〇年なのかと思って新聞を買う。確かに二〇一〇年。石川遼はちゃんと十代で、横浜ベイスターズはやっぱり最下位だ。

とりあえず、僕らが二〇二一年に住んでいる池袋に行ってみた。サンシャインは今と変わらない。一九七八年から二〇二一年まで同じ建物なのだから、二〇一〇年も同じに決まっている。西武も東武も同じだ。街の中心が大きなビルだと、街並みはほとんど変化しない。

サンシャイン通りをぶらつく。ゲームセンターのキャラクターを見てこんなの流行ったねぇとか、コンビニで雑誌を見てこんな人いたねぇとか。まぁでも、古本屋で雑誌見たり、テレビで古い映画見たりするのとあんまり変わらないっちゃ変わらない。意外にコンビニの飲み物が面白い。テレビで「なつかしの飲み物」なんて取り上げられないような泡沫飲み物が。「これ一瞬でなくなったよね」っていう。

美弥子はごきげんにリロンの歌を口ずさんでいる。

今日と 明日の あいだに あなたは 嘘をつく

リロンはまだ、結成したけれどライブの客が三人、とかの時代だそうな。将来こんな曲作りますよ、とか、東京ドームを五日間埋めますよ、とか教えたら喜ぶだろうか。もしもこの世界が将来に続くなら、きっと十年後に「そんな予言をした人がいたんです」とか言ってくれるんだろうけど。

二〇二一年にはなくなってしまった食べ物を探そうということになって本屋へ。やたらとラーメン本があって、そういやラーメンがブームだったんだっけと。池袋にも行列ができるラーメン屋が何軒もあった。せっかくだからと一番混んでるラーメン屋に並んでみる。せっかく過去に来たのにラーメン屋に並ぶというのが、もったいないと思うか、時代を象徴する体験と思うか。これはこれで楽しい。三十分並んでラーメンを十分で食べて出る。ラーメンに行列ができなくなったのはいつ頃なんだろう。

 

五時を過ぎてだいぶ飽きてきた。温泉に入りたい。二人とも家族は全員元気だし、若い頃の自分や母親に会いたいとも思わない。ちょうど高校受験のころで、「受験は無事に受かるよ」ってアドバイスをしてやりたいけど、この世界はまだこの一日しかないから意味ない。なんとなく面白そうってので五十万払った人は確かにがっかりするだろう。でも、テーマパークに入ってみたらアトラクションがしょぼくて、というのとは違って、中身はわかってるわけで、「タイムトリップ」というものへのあこがれが強すぎるだけなのかもしれない。一年後に行けるならもっと楽しいのだろうけれど、過去ならせめて生まれる前だ。

「やることなくなっちゃったね。戻る?」

ベンチでソフトクリームを食べるという、いつものデートと変わらないことをしながら、左側に座った美弥子に聞いた。

「修司君がもういいって言うなら、一か所だけ行きたいところがあるんだけど」

美弥子が少し真剣な顔をしていた。

連れられて池袋から新宿へ。吉祥寺へ。美弥子の実家があるけれども、家族はまだ全員元気だから、会いに行くっていうのでもない。

歩いて十分で家についた。僕も何度か遊びに来たことがある、庭付きの一戸建てだ。今よりちょっと新しい気もするし、気がするだけな気もする。

僕が知っている美弥子の家と違うのは、犬小屋があることだった。

「今の時間は、お父さんもお母さんも仕事だし、私と弟は学校だから、誰もいないはず」

門を開けて庭に入ると、犬小屋から鎖に繋がれた柴犬が出てきた。犬のことはよくわからないけれどむちむちしている。まだ若い。美弥子を見て飛びついてくる。僕にこないことをみると、美弥子とわかっているのだろう。美弥子はかがんで「弥太郎久しぶりだねー」と頭をなでている。涙声になっていた。美弥子が泣くところをはじめてみた。

「犬なんて飼ってたっけ?」

「二年間だけね。子犬をもらってきたんだけど、たぶんあと三ヶ月ぐらいで病気で死んじゃうの。急に死んじゃったから、写真が一枚もないんだ」

美弥子は弥太郎との二年間を語った。子犬でもらってきて、最初のうちは抱いて寝てたこと。家族みんなで犬小屋を作ったこと。散歩中に猫にひっかかれてしょんぼりしていたこと。誰にでも懐くから近所の人気者だったこと。ある日高校から帰ったら冷たくなっていたこと。お葬式をしたらたくさん人が来てくれたこと。遺影に使う写真もなかったから、美弥子が絵を描いた。その絵は見たことがあった。ただの犬の絵だと思っていた。

美弥子は弥太郎の写真を撮った。「こっち向いてー」とか「笑ってー」とか声をかけながら。弥太郎は美弥子の膝に鼻をすりつける。美弥子がくすぐったがる。頭をなでる。しっぽを振る。

美弥子と並んだ写真を撮ってやった。

しばらくじゃれてから、「じゃあね」と頭をぽんぽんと叩いた。弥太郎が小さくほえた。

「なんかこれだけで、来られてよかった気がするよ」

僕は美弥子の頭をなでた。あんまりなでたことがない。美弥子は幸せそうにリロンの歌をつぶやいている。

たぶん 僕らは もう会えないから いつまでも 寂しくない

井の頭線に乗って吉祥寺から渋谷に向かった。もうやりたいことも思いつかないし、お金も二人合わせて五百円しかない。渋谷をぶらぶらしてようかと。早く帰るのもなんだし。

次は下北沢ですというアナウンスがかかったときに、美弥子が「あっ」と声を上げた。

「ちょっと行ってみたいところがあるの」

美弥子は駅の近くのCD屋に入った。CDの棚ではなくて、店の中をうろうろと探している。チラシとかが山積みになっている棚に、いろんなCDが紙の袋に入って置かれていた。今の時代はみんなネットに乗っけて宣伝するけれど、このころはまだ自主制作CDを無料で配ったりする人も多かった。そういうやつらしい。

「これだ」

リロンのCDだった。ビニールの袋に入って、歌詞カードは自分でコピーしたようなものがぺらっと入っている。僕も美弥子に影響されてリロンの曲を聴くようになったけれど、知らない曲ばかりだ。CDの盤面にはサインが入っている。美弥子はバッグに入れてうふふと笑った。僕はCDの棚をぶらつき、美弥子は自主制作CDの山をあさった。

結局下北沢のカフェでコーヒーを買って、飲みながらうろうろし、正確な時計を見ながら二人でカウントダウンをしていると、八時になった瞬間に当たりが真っ暗になり、僕らは開いたドアの前にいた。

「お疲れさまでした。楽しかったですか?」

行くときに説明してくれたお姉さんがにこやかに出迎えてくれた。僕らの行動は追われていて、犯罪を犯していないかとか、持ってきてはいけないものがないかなどはすでにわかっているらしい。CDはなにも言われなかったから問題ないのだろう。感想等を教えてくださいということで、お茶を飲みながら、弥太郎との写真を見せた。お姉さんは「未来に行く方が楽しいんじゃないかという方もいらっしゃいますけれど、過去の方がたぶん幸せなのです」と微笑んだ。

途中でご飯を食べて家に帰ったのは午後十一時を過ぎていた。美弥子はリロンのCDを嬉しそうに聴いた。声とか曲とか演奏とか、もちろん今のリロンに通じるところはあるけれども、やっぱりどこかたどたどしい。彼らはちゃんと十年間進んでいた。

 

一週間後、美弥子が「この温泉に行きたい」とパンフレットを見せてきた。源泉掛け流しの露天風呂が部屋についている。一泊四万。

「ずいぶんゴージャスだね」

そういうと、美弥子が「じゃーん」と一万円札を広げた。十二枚あった。

「どうしたのこのお金?」

美弥子はくふっと笑った。

「リロンのCDオークションで売ったんだ。あのサイン入りアルバム、五十枚しか作ってないからさ。ファンの間じゃすごく貴重なの。十二万で売れたよ。温泉行っておいしいもの食べよう」

東京ドームを五日間埋めるバンドのアルバムが五十枚しかなかったらそりゃすごい値段も付くだろう。ちょうどあの頃下北沢のCD屋にだけ置いていたというのを思い出して行ってみたんだそうな。えらい。誰にでもわかる貴重なものとか、無くなったものなんかは持ってこれないけれども、こんなに価値があるとは気づかれなかったってことか。

「でもさ、せっかく手に入ったのに、売っちゃってよかったの?」

美弥子はまた「じゃーん」とCDを出した。同じやつだ。

「二枚見つけたんだ」

美弥子は、机の上に飾ってある大きく引き延ばした弥太郎の写真の前にCDを置いて、なむなむと手を合わせた。

2010年1月13日公開

© 2010 今川久古

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