紫電改之論

しょうだまさとも

小説

2,305文字

ex. フィクション小説「分断の地」序章

陸軍の精鋭らはロシアの革命をよく扇動したが、やがてミイラ取りがミイラと化して、共産主義に傾倒した。ソ連と通じて、国を売った連中もいた。そして、北朝鮮の建国に深く関与したのだった。一方、中野学校の精鋭らは、それぞれが派遣された現地に残り、東南アジア各国の独立をよく助けた。

 

つまり、物事には表と裏がある。光があれば必ずその影もある。栄光の輝きがまぶしければまぶしい程、またその闇も深い。斯様なる闇を覆い隠す事など誰にも出来まい。

 

凍てつく大地で、見事ナチス・ドイツを弾き返したソ連邦は、いよいよ対日参戦を世界に認めさせた(ヤルタ会談)。ソ連はシベリア鉄道で軍需を展開し、満州を根拠とする関東軍を叩く。そしてソ連が関東軍を武装解除するとして、その占領地域に対する支配権を列強から引き出した。況や米国は最初から朝鮮半島を支配するつもりで、満州国境まで進出し、日本陸軍配下の朝鮮派遣軍を叩く算段で、羅南第十九師団と龍山(ソウル)第二十師団を武装解除し、朝鮮半島を捕縛するというシナリオが整っていた。驚くべき事に、ソウルという都市は、平壌から近い。三十八度線からは大砲が届く距離である。この地政学的な奇形の様相もまた、関東軍参謀らの描いた絵なのかもしれない。

 

さて、このヤルタ会談の密約は、陸軍中野学校出身スパイらの知るところとなった。日本の謀者は、縦横の繋がりを絶って列強の内部にまで浸透していた。自ずと連絡網を破棄していたから、それまでスパイはみているだけだった。残置謀者は、ずっとずっと世界をみ続けていたのだった。しかし、このヤルタ会談の密約の時だけは、そうではなかった様だ。

 

密約の内容を察知した日本のスパイは、最早、敗戦濃厚と認めるや日本陸軍に通じた。この報に接した日本陸軍は、関東軍の守備地域を満州から南下し、朝鮮半島の三十八度線付近まで拡大させる事になる。この不可解かつ大胆な決定に、中野学校の謀者らが関与しているのだという。

 

日本は降伏した。ソ連は、米国と交わした密約によって、関東軍の武装解除を進めた。この時、関東軍参謀らの仕掛けた最後の謀略は、結実したのだった。如何言ふ事か。それは、敗戦濃厚と悟った陸軍参謀らが、その思惑通り、大戦後の米ソ対立を企図し、我が国を守るための地政学的な”トラップ”を仕掛けたという事である。米ソは対立し、やがて冷戦への道を歩む事になる。況やこの工作が無ければ、朝鮮戦争は無かった(はずである)。中野学校の謀者らは、朝鮮半島を米ソの戦場にする事によって、戦後、術の無い日本を守ったのである。

 

日本陸軍の参謀らは、降伏後の日本の生き残りを賭け、朝鮮半島を三十八度線で分断し、米ソを戦わせる事を企図した。そして、朝鮮民族が南方北方の違いを持っている点に着目し、これを南北に分断して戦いを継続させるトラップ装置を仕掛けたのだ。陸軍大学校で学んだ朝鮮貴族出身の大日本帝国陸軍将校らも、この計画をよく理解し、自らの意志で貢献したという。

なるほど、元より朝鮮半島は、北の大国ロシアから日本の本土を防衛するため緩衝の用に供されていた。そして、日本が無条件降伏した後、斯様(三十八度線衝突)なる時限の爆弾がセットされた。

 

朝鮮半島の北方には、満州関東軍の精鋭らが組織を温存し、「紫電改」等陸軍の航空機を移転した。満州関東軍のヒロポン工場の技術を移転し、金策として覚せい剤の製造方法を伝授したのだった。そうして膿み出されたのが「M資金」だったかもしれない。かかる主計参謀畑中理は、間島移民の子「金洪啓」になりすまし、朝鮮コード名「金策」と称した。工作員らは、一家離散した移民の子になりすましたり、あるいは地元の豪農名士(地主)や、造り酒屋(商家)の婿養子として社会に浸透していった。とある「草」は、地面師(不動産屋)として地域に浸透し、豪農名士に取り入ったという。有力な家系の親族は分断され、地域社会は巧妙に解体されていくのだった。そんな地主喰いの地面師らは、やがて地主から巻きあげた泡銭を洗浄しつつ、名士として成り上がりを企図するのである。

 

そうして工作員らは益々、社会に浸透してゆく。斯様なるインフォーマル・チャンネルは、新興宗教の体裁を整えたりしながら。

 

金策こと畑中理ら残置諜者は「大日本帝国之傀儡政権」を企図し、北朝鮮の建国勢力に金塊と、金策と、軍政の知見を与えたのだった。一説には、精鋭の砲兵士官が砲術を指南し、「夜鷹の眼光」よろしく光学照準の夜戦が受け継がれた。そんな訳で、いまでも北朝鮮軍の砲撃は極めて精度が高いという。

結果として、北朝鮮が、日本の本土を守るための緩衝の役に立った事は間違いない。大戦後、復讐に燃えた中韓の侵攻計画はあっただろう。(米軍の戦略的な思惑によって)九州への上陸は許されなかったかもしれないが、少なくとも対馬は狙われていた。韓国の軍政が、いよいよ対馬に進攻しようとしていたその時、朝鮮戦争が起こったのである。中韓による復讐の計画もまた三十八度線で分断され、日本本土は守られたのだ。

確かに、北朝鮮という国家があの位置に存在する事によって、無条件降伏したはずだった日本は幾重にも救われている。特に米国からの優遇を得、戦後のいまの地位を得たという事にもなろう。ならば、北朝鮮という国がそこにある事によって、日本の受けた利益は計り知れない。そして、それこそが、かつて中野学校が育て上げた謀者と、その類いまれなる権謀術数の果実とも言える代物なのではないだろうか。(了)

2014年10月13日公開

© 2014 しょうだまさとも

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