「赤い華族」

歴史奇譚(第1話)

消雲堂

小説

1,130文字

ロシアのロマノフ王朝を退けたロシア革命の余波は、日本にも大きく影響しました。昭和の初期には恐慌、失業増加の不穏な世相の中に共産国家を理想郷として夢を追った若者の中には、本来ならば共産主義に対抗して天皇家を守るべき華族の子弟も多く含まれていました。

政府は1922年に秘密結党された日本共産党を、ロシア共産党のコミンテルンから革命指令を受けた政府転覆機関とみなしました。23年以降は一斉摘発を繰り返して危険思想が蔓延することを力づくで抑えつけました。

33年の全国検挙では治安維持法違反容疑では約15,000人が検挙され、起訴は約1,300人となりました。小林多喜二もその年の犠牲者です。

その際に検挙された中の15人は華族の子弟でした。松平定信の末裔である定光、元外務卿を務めた副島種臣の孫の種義、明治天皇の侍従長を祖父に持つ山口定男などの中に女性も1人検挙されました。岩倉具視

のひ孫、岩倉靖子でした。靖子は「私には善悪の観念が芽生えて、すべてのものを一律に善悪の区別をつけることを常としました。それも主に同情心から出る善悪感でした。学校での修身やキリスト教の道徳はそうした観念の基礎になりました」という獄中手記を残しています。同情心・・・これは昭和初期の大恐慌にともなう大量の失業、大ストライキ、農村の疲弊、満州事変、五・一五事件、日本の国際連盟脱退と坂を転がるように最悪の事態に落ちつつありました。軍部は右翼革新運動テロ、クーデターに走り、支配層は軍部の暴力に戦々恐々として何もできない閉塞した時代でもありました。「私の愛国心は道徳的愛国心」と言う靖子は、真の意味の愛国心を抱いていました。国粋的な意味合いの愛国心ではなく、軍国主義は病気国家であり、世界に誇れない国になってしまった。ロシアは芸術文化によって世界に知られたが、日本は日清・日露の流血によって世界に知られるようになった。

靖子は流血侵略に傾いている当時の日本国家を嫌い、ある意味で正義感に燃えるうちに海外の自由主義思想に影響を受けて、「ついにはマルクス主義に行き着いた」というのです。

「明治維新は多くの青年たちが死を賭して維新革命に参加した。共産革命は全く違うが、同じ道程を経て青年がそのための運動に参加するのは当然」と靖子は言い放ちました。

赤化華族事件の被疑者15人は検挙後に、靖子を除いてほかの14人が短期間で改悛したが、靖子だけは思いが固く8ヶ月の留置から保釈されて間もなくの33年12月21日、自分の思想によって岩倉家の家族として地位が危うくなることを恐れて自ら剃刀で頚動脈を切って自殺してしまうのです。

絶版となった「20世紀 大日本帝国」(読売新聞20世紀取材班編 中公文庫)を参照しています。

2012年11月5日公開

作品集『歴史奇譚』第1話 (全14話)

© 2012 消雲堂

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