焼き魚

久川茲郎

小説

1,130文字

焼き魚が食べたい。そう思った。

焼き魚が食べたい。そう思った。

男のアパートのひとり暮らしで、魚を焼いて食べることはすくない。いつも外食ができるほど豊かでもない。しぜん、食べものの種類はかたよってくる。

食にこだわるほうではないが、今日はカレー、明日もカレーあさってはラーメン、のような順番をくりかえすと、あきてしまう。十日に一度か二週間に一度、外食をはさんで気分をまぎらすが、それも五年とつづけば、おなじくりかえしのひとつになっているのだ。

さいわい、アパートの台所にはガスコンロがあった。魚を焼くグリルもついている。ぼくがここで魚を焼いたのは、五年間ひとり暮らしをして、ただ一度だけであった。

あれは鮭のきりみだったと思う。グリルに水をいれ、きりみをふたつならべて焼いた。初めてなのに説明書は読まなかった。こげてしまった。かたくなったそれをぼそぼそと食べながら、腹をたてた。じぶんの無計画さにいらついたのである。

今、なぜあのとき魚を焼いて食べたのか、理由をはっきりと思いだせない。魚が安かったのか、それとも魚を焼いて食べたかったのか。魚を焼いて食べたいと思ったのなら、気持ちは今とおなじで、それもまたくりかえしているのに、気づいている。

閑話休題。

スーパーにでかけた。鮮魚をあつかう場所の、独特な白くうすい照明に目をならす。棚をのぞいて歩きながら、いちおうすべての魚を見る。鯛や鯵、養殖のふくらぎなんかもある。旬がわからないので、こまった。魚の名前はそれなりにしっているつもりだが、どう調理してよいかもわからない。とりあえず、パックにはいった安い魚を選ぶ。

鰯、二匹。ラベルには焼き魚用とていねいにかいてある。頭と内臓がとってある。これにきめた。

アパートにもどり、さっそく魚を焼いた。ガスコンロの説明書を読む。排気口カバーをはずし、グリルに水をいれる。その上の網に鰯をならべ、火をつけた。あとは焼けるまでまつだけだ。

鰯の旬はわからないが、さわった手ににおいがつき腹の白い脂がてらてらと光っていた。ぼくはこの鰯がとれた漁の光景を思いうかべた。

漁船がまきあげた網には、なん千匹という鰯がかかっている。あんなにたくさんとれるのか驚いてしまう。

ある天才の詩人が、鰯だったか、大漁だったときにすばらしい詩をつくった。ひとには大漁でも、残された魚たちは葬式でいそがしいという。いつもとなりにいて元気だったしりあいが、とつぜんいなくなってしまう。それは、とてもせつないことだと思う。けれども、ほんとうにせつないのはいなくなった不運よりも、いなくなった者をいながらいきていかなくてはいけない残ったほうなのだ。この詩をつくった詩人は、みずから命をたったようにおぼえている。

ぼんやりと考えていると、鰯の片面が焼けてきた。

2011年4月29日公開

© 2011 久川茲郎

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