グランド・ファッキン・レイルロード(15)

グランド・ファッキン・レイルロード(第15話)

佐川恭一

小説

3,887文字

死の際に自分でないもののことを考えられる人間は立派である。それがたとえ加護ちゃんのことであっても。

みんながみんなエミネム好きだと思ったら大間違いだぞ!
 

担任がまたキレている。担任はエミネムが好きなのだ。この数年でルーズ・ユアセルフ以外の曲は一切耳に入ってこなかったと言い張っている。テレビとかショッピングモールとかブックオフで絶対AKBとかももクロとか嵐とかを聴いているはずなのに、ルーズ・ユアセルフ以外の曲を聴いていないと思い込んでいるのだ。担任はエミネムを馬鹿にすると烈火の如く怒り狂うから、オレたちは大抵エミネムを褒める。ルーズ・ユアセルフを褒めちぎり8mileを褒めちぎる。だが少し加減を間違えて賛辞が過剰になると担任はキレる。面倒くさいやつなのだ。またその加減というのが非常に難しく、その日の担任の気分をエミネム前の会話からある程度見抜いておく必要がある。オレたちが担任と話す時、担任の話の内容は「今日はエミネムをどの程度褒めれば良いか」を計る材料としてしか機能しない。

つまりオレたちと担任との間に会話という概念はない。

しかしながら今日はオレの、オレたちの東大合格おめでとう会であって、オレたちが高校生活で、もしかしたら一生で一番調子に乗れる会であるはずなのに、またこうして担任のご機嫌をうかがってエミネムを褒めたり褒めすぎて怒られたりしているのは実に不愉快だった。大体大学に入ってしまえば担任に会うこともないし、最後にエミネムをこてんぱんのけちょんけちょんにのして今までのうっぷんを晴らしちまおう、と考えるやつが一人くらいいてもおかしくないはずなのだが、みんな優等生でここまで通ってきているだけあって、まるで顔に穏やかな笑顔がぺったりはりついて取れなくなっているようなのだ。

まあ、オレもその一人だ。

エミネム狂いの担任の持っていたオレたちのクラスには全部で五十二人いて、そのうち十六人が東大に受かった。オレが二番目に東大に落ちて欲しいと思っていた香川照之は受かってしまったが、一番落ちて欲しいと思っていたハイゼンベルク永田ディックKフランシスは周囲の情報によると見事に落ちたようだ。オレはハイゼンベルクがぎりぎりのB判定くらいでA判定並みに威張っているのが一年生の頃から気に入らなかった。文一でD判定しか取れないオレに「お前は文三が関の山だな」なんて真顔で言ってきたのに本気でいらついてあわや殴り合い、ということもあった。つい先月だってそうだ、オレはみんなが滑り止めで受けた同志社の経済に一人だけ落ちて学校中を震撼させたのだが、そのとき「運が悪かったな」「東大と同志社は傾向が違うさ」と慰めてくれるすばらしいクラスメイトたちの中で、ハイゼンベルクは一通の短いメールを送ってきた。

 
「全部センターに毛の生えた程度の問題だったじゃないか。どこを間違えたんだ?」

 

ハイゼンベルクのたちの悪いのは、オレを辱めようとしているわけではなく、ただ真剣に疑問を投げかけているということだ。オレは香川照之よりもハイゼンベルクの方をより苦手としている。こういう悪気のない人間の行為のはらむ悪……無意識的な悪というやつにどう対応すべきなのかわからないからだ。文一に受かったオレは今、ハイゼンベルクにそっくりそのまま同じ言葉を返してやりたくてうずうずしているのだが、人間としての良心がオレをなんとか踏みとどまらせている。

はっきり言って、ハイゼンベルクの不合格を知った瞬間の喜びの方が、自分の合格を知った瞬間のそれよりもはるかに大きかった。嫌いな奴が大学に落ちることほど愉快な話はない。思い返せば同じ高校を出て東大に入ったオレの兄貴も、昔日記の中で「落ちて欲しい奴リスト」を作っていた。実際にリストの一位が落ちたとき、その喜びをモー娘。の加護ちゃんに話しかけるという体でA4のノートで7ページ分、ぎっしりと行間も空けずに書き込んでいた。兄貴は何よりも加護ちゃんが好きだったのだ。兄貴の日記はいつも最高だった。同級生の妹の部屋に忍び込んでそのパンティを穿いたまま加護ちゃんを想像してオナニーしたり、加護ちゃんをオカズにしたオナニーのしすぎで貧血を起こして怒られた猿みたいに反省したり、加護ちゃん論をガチの学術論文みたいなテンションで書いたりしていて、オレはどんな小説よりどんなアニメよりどんなAVより兄貴の日記を楽しみにしていた。だがその日記は二年前に途切れた。

 

兄貴は東大を出る前に死刑になったのだ。

 

兄貴は東京に出てすぐ、女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気になった。オレたちの高校は男子校だから、大学で急に女性と接するようになったショックに脳が耐えられなくなってしまうことがある、というのは高校の教師連中からよく聞かされた。だが女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気にかかる人間はまれだった。確率で言えばわずか一パーセントにも満たないぐらいだ。兄貴は運悪く女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気を発症し、女性の白いほっぺたを見てくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付く生活を続けた。そしてあるとき、大学構内でリストカット中――つまり自殺中――の女子大生の白いほっぺたを見てくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまったのだ。そのとき女子大生は骨が見えるどころか手首がぷらぷらするほど深いカットを達成し、兄貴にちゅぱちゅぱされたまま失血死した。倒れた彼女の上着のポケットから口の閉まっていないプラダの小銭入れが飛び出して地面に衝突し、閉まっていない口から小銭が飛び出して地面に衝突した。兄貴は近くに落ちた五円玉を拾いあげたまさにその時、警備員に確保された。

強盗強姦致死罪である。

兄貴は一切の言い訳をせず控訴することもなく判決の二ヶ月後に処刑された。そして、絞首台へと向かう前の控え室で兄貴が書いたという遺書がほどなく我が家に届けられた。

オレは泣きながら、大好きだった兄貴の遺書を開いた。だが涙でぐしゃぐしゃになっていたオレはすぐに腹を抱えて笑い転げた。

タイトルが「加護ちゃんは仏陀を超えた」だったからだ。

中身を読んでも加護ちゃんのズバ抜けた神々しさとこれからの復活のための詳細な方法について長々と書いてあるだけで、兄貴自身の悩みとか死への恐怖とかはほとんど書かれていなかった。

兄貴の凄いところは二点ある。もう完全に落ちぶれていた加護ちゃんをまだ好きだったということ、そして死の間際に自分よりも加護ちゃんのことを考えていたということだ。

そして「加護ちゃんは仏陀を超えた」のあとがきにはこうある。

 

――僕は不純なもの、徹底性のないものをすべて唾棄した。すべての「イズム」は「イズム」自体に忠実でない。僕が最も憎悪したのはある思想そのものではなく、世に現れた思想の曖昧さ、不透明さである。いかなる思想も何らかの妥協を折り込まねば現実に通用しないが、そこには信仰が欠けている。信仰のない「イズム」に用はない。

僕はすべての女性の白いほっぺたは加護ちゃんの白いほっぺたの化身であると考えた。すべての人間の中に仏性が宿るのと同じく、すべての女性のほっぺたには加護ちゃんのほっぺたが宿っている。僕はそのほっぺたを一つ一つ味わい、至福のときを過ごした。人間が永続する幸福を得ることは不可能だとカントは言う。僕も同感だ。人間に許された幸福は「刹那的幸福」のみである。加護ちゃんのほっぺたに吸い付いている間、僕は紛れもなく幸福であったし、そうした「刹那的幸福」を繋ぎ合わせて編み上げられた僕の人生は成功裡に終わったと言えるだろう。僕は思い出す。加護ちゃんが若い希望に燃えていた頃のことを。ミニモニ。が鮮烈デビューを果たした頃のことを。ミニモニ。ジャンケンぴょん! の素晴らしい歌詞のことを。

 
 ぱっぱっぱっぱ! おどろう! さわごう!
 ぱっぱっぱっぱ! パパパだぴょん!
 ぱっぱっぱっぱ! うたおう! さわごう!
 ぱっぱっぱっぱ! いい日だぴょん!
 明日を信じていくのだぴょん!

 

今の僕に明日はない。

だが絞首台での眠りの後にいつか、本当の幸福に満たされた形而上的な明日が来るという気もするのだ――

 

兄貴は十九歳で死んだ。

 

オレはこの遺書のあとがきを読んで、兄貴は女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気なんかではなく、自らの加護イズムを貫き殉教したのだと思った。だが医者はオレの意見を否定した。
「女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気にかかった人は、女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう自分の行為に理屈をつけてとにかく正当化しようとするんですよ。君のお兄さんはまさに女性の白いほっぺたを見るとくんくん匂いを嗅いでからちゅぱちゅぱ吸い付いてしまう病気の典型ですね。ところであなた、筑波大附属駒場高校についてどう思います?」

オレはその医者の話――兄貴の思想が病気によって形作られたものだという話――を聞いて、悲しくて悲しくて仕方なかった。

だが今、香川照之やハイゼンベルクやエミネム狂いの担任、そしてテレビでわいわいやっている政治家や評論家や宗教家なんかを見ていると、思想なんてものはすべて病気の一種なんじゃないかとも思うのだ。

 

 

第十五章・完

2015年7月18日公開

作品集『グランド・ファッキン・レイルロード』第15話 (全17話)

© 2015 佐川恭一

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