国際ボランティア

飯田正也

小説

6,383文字

私と夏子が手にした一枚のパンフレットから物語が始まる。ボランティア活動を通じて、人はどこまで成長できるのか、そして旅の終わりはどうなるのかは本作を読んで頂き、素直な気持ちになれる作品として仕上げております。

駅裏の路地には赤や黄色のカタログが連なり、そのハデさを競っている。私と夏子が学旅を思い立ったのは、そんなカニ漁の解禁日直後のことだった。

 

今日も通学で通る路地には旅行会社のパンフ達が私達を(おいで、おいで)と異世界に誘ってくれている。カニ旅行、スキー、世界遺産巡りなどなど、カタログの種類だけツアーがあり、どれも迷う内容だ。

「ねねね、これ凄くない」

カタログの中の異世界を妄想していた私を夏子が現実世界に急に引き戻してくれた。夏子が私に見せた一枚のパンフがこの私達の旅の始まりだった。

このパンフ確かに凄い。

 

『あなたも国際ボランティアで貴重な体験をしてみませんか?

今なら宿泊、食事、現地ガイドが付いて渡航費付き2000円。』

「これ、これ」

エジプトのピラミッド前での定番の記念撮影や、イギリスのルーブルでの鑑賞眼もない素人二人の絵画鑑賞。お金のない私達をあざ笑うかのように商品が溢れるアメリカニューヨークの喧騒と町並み。

私達はマニュアル通りの旅行に拒否感を感じていた。しかし、夏子が見せた、この一枚のパンフには素敵な魅力が隠れていた。

この体験を通じてもっと、私自身も変われるんじゃないの。そう、ボランティア体験を通じて、人とのふれあいや、コミニューケーションの大切さを学ぶ絶好の機会。私達はすぐにこのパンフを発行している旅行会社に行くことに即決した。まさに善は急げである。しかし、ボランティが今したい訳でもない。正直に云うと、この低価格で海外旅行ができることも魅力をさらにアップさせていた。早く、商品(旅行プラン)に換金しないと、誰かに取られてしまう。私達を突き動かす衝動はそれしかなかった。

 

旅行会社は駅から遠く離れた郊外にあった。レトロ調の古いレンガ作りの3階建て貸テナントビルの中にあった。ビル内には空フロアが目立つが私達が目指す旅行会社は、その一階にあった。白色のペンキに塗られた木製ドアに目指すべき旅行会社のプレートが掲げられていた。

『ニコニコトラベランス』

真鍮のドアノブを握り一呼吸してから私はドアを押し開けた。

「あの、このパンフレット見てきたんですが…」

ドアを押し開けたものの、後悔が先に立つ。この旅行会社。なんだか怪しいという先入観が私の猜疑心と混じり急速に不安にさせる。

事務所奥からいかにも型崩れしたヨレヨレのスーツをきた営業らしからぬ男が低い返事とともにカウンターにやってきた。彼は、私達のパンフを見るなり言った。

「どうも、営業の名越と申します」と彼は名刺を差し出した。名刺は、『ニコニコトラベランス大阪営業所 名越聡』の名前だけ。住所も電話番号もないそっけない名刺であった。

「ありがとうございます。ああこのプランですか、今話題のプランですね。空きですか、まだ六名程度はあるみたいですが、ビザはボランティア先が費用提供してくれるので、本当に2千円で海外に行けますよ。正直ただでもいいんですが、信用されないから。でも、宿泊先もホテルでないし、料理もわかりません。あまり旅の素人さんには正直お勧めのプランではありませんが」

名越と名乗る旅行会社の営業はあまり販売に熱心ではなかった。相手が売る気がないと、どうしても欲しくなってしまうのが人情。

夏子と私は、この旅行プランに賭けていた。学生アルバイトで時給850円。日々たこ焼きを売る辛いバイト生活の私達。海外旅行なんて無縁仏と思っていた私達。しかもフリータイムとして最終日は、まるまるシンガポールで遊べちゃう。これを逃す手はないだろう。ホテルが二流であってもよいのだ。このチャンスは手放せない。

私の気持ちは既にシンガポールにあった。営業の名越は私の空想を無視し、旅行プランを夏子に説明している。

「シンガポールから、バスで十五時間。ええっと、そうですね。ボランティの内容ですか? 診療所で病や傷ついている子供達のお世話をして頂きます。現地にはプロのスタッフの案内が付いていますから大丈夫です。格安チケットですので、年内は十一月二十四日出発しかありません。十二月はもう満員なんです。関空から出発です」

夏子が不安げに尋ねた。

「現地の両替えとか、どうするんですか? そんな所じゃ、銀行なんてないでしょうし」

名越は面倒くさそうに、説明してくれた。

「アメリカ・ドルは現地で通用しますから、日本から三千ドルくらいもっていけば困りませんよ。それと、現地で病気になっても、薬は絶対的に不足していますから、多めに日本から持って行ってください。輸入業者と間違われないように、持参分として薬ビンは全て開封して、滞在期間は三週間と申告すれば大丈夫ですよ。診療所も薬があるかどうか、わかりませんから、ボランティア活動するには、傷薬や包帯も多くご用意してください。消毒液や傷薬は多く必要になりますので。現地語は英語が通じますから心配ありません。このボランティア体験は結構就活に有利だと噂されて人気になっています」

そうかもしれないない、だって海外まで行って、現地でボランティア活動を通じて新しい自分を発見するんですから。しかも一日はシンガポールでフリーなのだから。

最後に、名越がボランティアについての心構えなどを説明してくれた。

「このボランティアは、あなたにとって数日間の活動かもしれません、でも、あなた達を追って日本からボランティアに駆けつけてくれる人達がいるのです。貴女達は、ボランティアのバトンなんです。バトンがなくなれば、この活動はなくなってしまうのです。今回のお申し込み本当にありがとうございます。では四千円を頂きまして、これがチケットです。中身をご確認して頂き、同意書にサインをお願いします」

 

私は、その日の晩、あまりの喜びに記念に日記をつけたくなった。日記の最後のページは七夕の花火の思い出が四行程度書いていただけで終わっていた。その後ろは白紙。私はしばらく滞っていた日記をつけた。

 

十一月二十一日(金曜日)晴れ

ゲットした、日本海のカニカニ旅行よりも超激安の海外旅行。ボランティア活動よりもフリータイムがどうしても気になる。明日、夏子と旅行について相談。

 

十一月二十二日(土曜日)晴れ

水着も持って行こうかと迷ったが、天気もどうなるか、よく分からない。多めにドルを持って行くことに決定。明日、薬の買出し。

 

十一月二十三日(日曜日)曇り

あいにくに天気だが、明日出発。日記は邪魔になるので置いてゆく。デジカメとゴシゴシタオルは私達の必需品。これだけはもって行く。

空港で出会った夏子は大きな鞄を二つ持ち、これでもかと服を詰め込んでいた。

私も薬や服で、バック二つ分。お金はこれまで貯めたアルバイト代を全てドルに両替えしてきた。

チケットも持ち、関空を出発。大阪(関空)13:05発→シンガポール19:00着。正直、関空のゲートでこのチケット使えませんと言われるかと不安だったが、何もトラブルもなくシンガポールチャンギ空港に到着。入国審査もそこそこに、ゲートをでた私達を出迎えてくれたのは、ツアーの案内役。サイドハミド・アルバルと名乗る怪しげなガイド。今回のツアーは私達二人だけだったようだ。

アルバルは空港からバスといってもワゴン車だが、これに乗りボランディア受入先まで案内するという。

陽気なアルバルは導中、カタコトの日本語で私達の不安を少しずつ取り除いてくれた。名越やるじゃん。名越がこのプランを企画した訳ではないが、夏子と名越の話題で盛り上がる。途中、トイレ休憩(といっても道端でしかない)で何度か休憩があり、車はマレーのジャングルに向かって進んで行く。都市部ですら未舗装の道路で悩まされたが、ジャングルに入って行くと、道とは思えないよう道路をさらに進んで行く。

 

「ココデ、アルク」

ツアー説明に一切なかったことである。まさかこんな山の中を歩くとは私達は驚いた。でもボランティに行くことが使命である。文句もあるが、重い荷物を抱えながらの歩きは、旅の疲れを一層増幅させる。

休みながら、二時間も歩くとようやく村が見えてきた。最初に小屋が見えた時に涙が出そうだった。村に入り、現地の代表者が私達を歓迎してくれる筈であった。

現地の代表者が迷彩服で私達を迎えてくれた。アルバルは通訳になってくれた。

「将軍イッテル。クワン独立解放戦線ニヨウコソ」

私達はお互いの顔を見た。夏子の顔は白く眼が泳いでる。多分、私の顔もそうなんだろう。

「ココデ、カレラノキズヲナオス」

ボランティア内容もよく分からないが、とりあえずアルバルに強く日本に帰ることを訴えた。アルバルは表情を硬く私達に将軍の言葉を伝えた。

「将軍イッテル。ニホンジンクルマデカエレナイ」

私達は騙されたことを始めて知った、それはボランティアではなく、ゲリラの衛生兵にも似た、看護師の役目であった。振り向くと十名程の少年兵達が私達の後ろに銃口を向けている。

「将軍イッテル。アスハタラク、ヤスメ」

夏子は泣いている。多分私も泣いているんだろう。

テントに案内されると血のついた不衛生なシーツが用意されていた。このまま寝ることはできない。夏子は持ってきた服を並べはじめ、私も同じようにした。深夜、夏子のすすり泣く声が私をしめつける。あの時、どうして止めなかったんだろう。ソウル二万五千円のツアーだってあるんだし。私は自分を責めた。

「私達帰れるかな」

夏子は泣きながら言った。私にも分からない。どうやってきたかも知らないし、車の中はカーテンで閉められ外の景色を遮断されていた。途中から、道なき道をつき進み、私達だけで近くの人家に辿りつくことはできないだろう。

「帰れるよ。次の日本人がきたら交代でしょ」

夏子の言葉に泣きたくなる気持ちを抑え帰ると強く言わなければ、私の張り詰めた気持ちも爆発しそうになる。

 

翌朝、けたたましい森の動物達の声と、機関銃の銃声の音で起こされる。陽気なアルバルがやってきて、私達に移動を告げた。

「ここじゃないの?」

夏子が驚いたように言う。アルバルは私達を促し、朝食後出発と伝えた。朝食は猿を煮込んだスープ。匂いがきつくて食べられず、空港で買ったポテトチップを二人で大事に食べた。

アルバルが長い時間をかけて旅の注意を言ってくれた。要約するとこうだ。

・毒蛇にかまれた場合、かまれた箇所を切り落とす。

・敵に捕まった場合、殺される。

・負傷した場合、運がよければ生きられる。治る見込みがない場合、殺される。

・地雷を踏んだ場合、仲間に報せて諦める。

・逃げ出せば殺される。

夏子と私は少年兵から渡された錆付いた銃を首からかけ、自分達の荷物を持ち山岳奥地に踏み出していった。二時間も歩くと、ようやく小高い丘が見えてきた。丘の周囲はトーチカが作られ、銃口が私達を睨んでいた。少し緊張したが、私達を監視していた少年兵達が砦に向かって猿の叫び声を口マネしだした。すると壕から少年兵達が手を振って私たちを出迎えてくれた。

この砦を守っているのは少年兵ばかりで不思議に思いアルバルに質問した。

「大人はいないの?」

「ヘイタチ、スグニアツメルコトデキル。ニゲタラコロス」

十歳くらいの男の子も銃を握り戦っている。日本では考えられない現実が私達を困惑させる。この子供達の殆どは、あの将軍達がさらってきた子供に違いない。酷い将軍。でも、私達も同じく、この少年兵達に監視され、逃げたら殺されるかもしれない。こんな小さな砦いつまでいるかも分からない。砦の中には塹壕が通路のように掘られ、塹壕と兵員壕や武器庫ともつながっている。武器は機関銃と手榴弾くらい。あとはバズーカ砲がいくつかあるだけ。本格的に敵が攻めてきたら逃げるしかない。頼りない砦の武器と、不衛生な住環境に、逃げることを強く思った。

 

アルバルは私達を病院壕に案内してくれた。病院壕内といっても、治療壕と病室壕の二つに分かれており設備も何もなく、虚ろな眼をした十二歳程度の一人の少年兵が病室壕に横たわっているだけであった。

ただ、少年兵はトイレに行けないので、横になったまま垂れ流し。病室壕内は異様な淀んだ空気が覆っていた。

包帯も取り替えてもらえず傷口は化膿し、さらに傷口には蛆が湧き異臭を放っていた。早速、私達は負傷した少年兵の傷口に消毒液をかけ、蛆をピンセットで取り除き、包帯の交換を行った。少年兵はほんの少し笑みを見せてくれた。

彼の汚れたズボンを取り替えてあげる必要があるのだが、どうしてもボランティアになりきれない。そんなとき夏子が涙目になり、私に訴える。

「ここで治療は無理よ、そもそも、傷薬なんて消毒液くらいしかないし、あとはアンメルツくらい」

夏子が何もしないうちから弱音を吐く。当初の目的を忘れている。私達はボランティアでここにきているのだから、何かをしなければならない。就活にも影響を与える。ここでのボランティア活動を通して、私達も彼らに生きる喜びをもらうのよ。

自分にそう言い聞かせ、糞尿で汚れたズボンはハサミで切り落とし、かぶれた少年兵の下半身をガーゼでふいてあげる。臭いがひどくて、途中で嘔吐しそうになる。がまんして上から、バスタオルをかけてあげる。

これまで使っていた血と膿で汚れた包帯を洗い、洗濯ロープで包帯を吊るす。

最初の取り組みとして、かなりハードである。

 

次に私達がいなくなっても大丈夫なようにアルバルに薬の中身を少年兵達に伝えた。陀羅尼助だらにすけと正露丸の説明には正直困ったが、胃もたれ、腹痛に効く薬であると、いろいろと説明したが、どうにか分かってもらえた。

治療壕にある空っぽの薬棚に風邪薬や水虫の薬等も置き、あとは日本から持ってきた、ガーゼと、包帯を棚の引き出しに詰めた時、突然銃撃戦が始まった。

私達がきてまだ、半日もたっていないのに敵の攻撃をうける。

銃撃が始まるとボランティアとしての使命より生きることの本能が優先される。正直、私達にはクワン地区の独立なんか興味もないし、ここで敵兵と間違えられて殺されるたくもない、どうやって少年兵達を置いて逃げようかと考えが変わっていった。

銃撃の合間に敵の砲撃が始まる。大きな地鳴りとともに、壕の天井から土の塊が落ちてくる。正直怖い。銃撃は激しくなってきた。近くでは時折砲弾が炸裂し地鳴りにも似た不気味な揺れを感じさせてくれる。突然、少年兵達の銃の音が聞こえなくなった。少年兵達の方が私達を置いて先に逃げてしまったのだ。彼らのボランティアにきているのに。私達を置いて逃げてどうするの。

それでも敵の銃撃は一方的に続き、砦の中に敵が入ってきたのは壕内に隠れていても分かった。私達は頭を抱え治療壕の奥に二人で隠れた。塹壕内にある備蓄壕や兵員居住壕に手榴弾が投げ込まれ残兵を探している。

手榴弾による爆破音を十回程度聞いただろうか、とうとうここにまで敵の話声が聞こえてきた。かなり近い。

逃げないと。

そう思って、治療壕から細長い塹壕通路に出ると、私達の正面から機関銃を構えた兵士が現れた。明らかに制服が違う。とっさに夏子は両手を顔の前に合せ祈り、私は両手をあげていた。アルバルの注意が脳裏によぎる、『敵に捕まった場合、殺される』

反政府ゲリラの一員であればすぐに殺されてもしかたがない。でも私達はボランティアで日本からきているの。眼の前にいる兵士に訴えても射殺されるだろうけど、

「お願い助けて」

もうダメこのまま殺される。そう思った刹那、私達の眼の前で銃口を向ける兵士は小さな声でこういった。

「オレモボランティアダ」

私達のボランティアというバトンは誰が受け継いでくれるのだろう。私は両手をあげたままニコニコトラベランスの名越を呪った。

2009年6月6日公開

© 2009 飯田正也

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