グランド・ファッキン・レイルロード(6)

グランド・ファッキン・レイルロード(第6話)

佐川恭一

小説

4,388文字

小学生の頃ヒロイン的存在だった女の子と任意の大衆ソープにフリーで入って出くわす確率を求めよ。(2004 京都大 後期)

私は電車を降りて加藤シゲアキの後ろ姿を探したが、無遠慮な人ごみに揉みくちゃにされ、まったく自由に動くことができなかった。結局彼は見つからず、私は大阪駅の構内をぶらぶらと歩き、とある小さなカフェでコーヒーを飲むことにした。私は無類のカフェイン好きなのだ。

ひとりでゆっくりくつろいでいると、突然外で大きな銃声が聞こえた。「キャアアア!」女性の悲鳴のほうへ顔を向けてみると、男が頭からおびただしい量の血を流し倒れていた。周りにうじゃうじゃといた無邪気な子供たちは、その身体を思い切り踏みつけたり、顔を思い切り蹴り飛ばしたりして遊んでいる。親の教育がまるでなっていないな、と呆れながら安いコーヒーを少しずつ飲んでいると、ひとりの美しい女が私に相席の許可を求めてきた。
「ちょっと、ここいいかしら?」

女が隠そうともしないで右手に持っている小型拳銃からは火薬の匂いがし、私はまた変なやつにからまれたな、と心の中で苦笑しながら答えた。
「どうぞ」
「ふふ、ありがとね。あの、さっき私がそこで殺したやつなんだけどさ、ぶつぶつぶつぶつ独りでしゃべってるから、どうしたんですか? って私が聞いてあげたのね。そしたらテンション上がっちゃって、『僕の小説を読んでくれませんか!』って叫び出すのよ。私言ったわ、ただでさえ素人の小説なんか読みたくないのに、あんたみたいな気色悪い人間の書く小説なんて一億円もらっても読みたくない、って」

さきほど会話した加藤シゲアキがもうこの世にいないということに、私は特に驚きを感じなかった。何だかもともと、生きているのか死んでいるのかわからないようなやつだったからかもしれない。
「言いますね」
「だってホントに気色悪いでしょ、ずっと独りごと言ってるのも、小説なんか書いてるのも、初対面の私にいきなり小説読ませるのもさ。たぶん小説って、そういう気色悪い種類の人間同士が狭い世界で共鳴し合って書いたり読んだりするものなのよ。アニメオタクもそうね、虚構に逃げ込む人間には現実と対峙するちからが不足しているのよ」
「そんなものですかね」
「そんなものなのよ。いい? このつらくってくだらない現実に耐えるための方法は二種類しかないの。現実を虚構化するか、虚構を現実化するか。両方似たようなものだと思えるかもしれないけれど、これらは全く逆のものなのよ」
「うーん、よくわかりませんけど現実=虚構ってことですよね、両方。あんまり変わんないんじゃないですか?」
「ちょっと、簡単に等式化しないでくれる? 確かに二つの仕方は同じような結果を導くかもしれないけど、そこにいたる道のり、つまり本人の態度が全然違うのよ」
「待ってくださいよ、答えが同じならいいじゃないですか。数学だって色んな途中式書くやつがいますけど、答え合ってたら大体丸ですよ」
「あなた、そんなこと言ってるから東大落ちたんじゃないの? 途中式がメチャクチャだったら答え合ってても0点でしょうが」

なぜみんな私が東大に落ちたことを見抜けるのだろう。

顔に書いてあるとでも言うのだろうか。
「いや、そうなんですけど、答えが合ってたら大体途中式も合ってるじゃないですか、つまりそのアプローチの角度、まあ態度って言うんですか、それが違うだけで、虚構化だか現実化だかはどっちでもいいんじゃないですかね。とにかく現実自体が面白くないっていうことが問題なわけで」
「いいえ、態度こそがすべてよ」

女は力強く言い切った。そのときに、彼女が『GO』の頃の柴咲コウであるということがやっとわかった。いつもより時間がかかるな、と私は思った。
「うーん、態度よりも結果が大事じゃないのかなあ」
「なら人間はいつか死ぬのだから、どういう生き方をしても皆結果は同じでしょう? 私たちを差異化するものは生き方、つまりは態度じゃないのかしら?」

ふうむ、と私は思った。

彼女は続ける。
「現実の虚構化と虚構の現実化、それらはまったく違うものだって私は思うの。現実を虚構化することは、くだらない現実に対して虚構という演出をほどこすことで、自分なりの意味付けをすること……簡単に言えば、現実を自分のお気に入りのゲームに読み換えて生きる、ということね。これは現実から逃げてるわけじゃない、とても正しい生き方だわ。元々人間は、バイアスなしで世界を見ることなんてできない。誰もが自分の中の幻想で世界を装飾している。そうでしょ? 自分なりにこの無意味な世界に意味を見出して力強く生きる、それは誰にとっても必要なことなの、つまんないことでぶっ倒れてしまわないためにはね」
「はあ。あの、何だか疲れてきたんですけど」
「何よそれ、あんたが馬鹿なこと言うから説明してやってるんでしょ、ちゃんと聞いてよね」

正直なところ、大学受験に失敗して傷ついているときに、こんなわけのわからない話を聞いて頭の容量を食いたくなかった。しかし『GO』の頃の柴咲コウの放つ外見的な輝きは相当に強く、話を聞いている間彼女を思うさま見つめていられるのならプラスマイナスゼロ、もしかするとプラスの方が大きくなるかもしれないな、などと、私は結局他人の話の途中で冷たく席を立つ度胸がない自分を正当化し始めもしたのだった。
「現実の虚構化の有用性に対して、虚構の現実化はどうかしら? それは現実を虚構のように生きるのとは違って、現実の代わりに虚構のゲームを生きることよね、つまり現実と渡りあっていない、殻に閉じこもって現実から遠ざかろうとする、どこまでも逃げの姿勢なのよ。さっき私の殺した男も、典型的な逃げのタイプね」
「うーん、何か……そんなに違いがありますかねえ」
「全然違うじゃない! まだわからないの? 虚構っていうのはねえ!」
「わかりましたわかりました! よく考えたら違いました」
「わかってないじゃない! どう言えばいいのかしら、あんたみたいな馬鹿と普段しゃべんないからさー、何て言うのかな、演出化と……異世界化? うーん、あんたほんとにわかんないの?」

私は『GO』の頃の柴咲コウが早口でまくしたてるので、せっかくコーヒーを飲んでくつろいでいたのに、コーヒーを飲む前よりも疲れていた。こういううるさい女性は、たまに話すには良いが、長く一緒にいるのに適さない。人間には短距離型(スプリンター)と長距離型(ステイヤー)がいて、付き合う相手には一般的にステイヤーを選ぶべきだ。わかりやすく言えばサクラバクシンオーよりもライスシャワーの方が良いということである。四歳の頃から競馬を見まくっている私は、ペチャクチャと喋りまくる『GO』の頃の柴咲コウの話を聞くふりをしながら、過去に見てきたスプリンターズステークスと天皇賞(春)のレースを脳内再生し続けた。ステイヤーズステークスはGⅠではないので再生しなかった。それにしてももうステイヤーって流行らないのかなあ、ちょっと前のデルタブルースなんて、菊花賞もオーストラリアのメルボルンカップも勝ったのに種牡馬になってないもんなあ……
「警察だ! 動くな!」

突然どなり声が響き渡り、私たちに向かって三名の警察官が銃口を向けた。一名は『セブン』の頃のブラッド・ピッドであり、一名は『ダーティー・ハリー』の頃のクリント・イーストウッドであり、もう一名は、『踊る大捜査線・歳末特別警戒スペシャル』の頃の織田裕二であることがわかった。
「このひとは関係ないわ」

『GO』の頃の柴咲コウは言った。
「さっきの男は私が殺したの、煮るなり焼くなり好きにしなさいよ」

『GO』の頃の柴咲コウは着ていた服をゆっくりと脱ぎ捨て、ブラジャーと下着を外し、全裸になった。それも普通の脱ぎ方でなく、ストリッパーのように誘惑的に身体をくねらせながら脱いだので、私は彼女をニンフォマニアであると診断した。引き締まりすぎていないグラマラスな身体には汗がきらきらと光り、誰もがむしゃぶりつきたくなるような妖艶さを放っている。『セブン』の頃のブラッド・ピッドはさっそく彼女の乳房をべろべろと舐めまわし始めた。『ダーティー・ハリー』の頃のクリント・イーストウッドは陰部に拳銃を突っ込んでかき回している。『踊る大捜査線・歳末特別警戒スペシャル』の頃の織田裕二は控えめに尻を揉んでいた。

『GO』の頃の柴咲コウはよろこびの声を上げて、口や陰部から汁を飛ばし始めた。それを周囲の野次馬たちはスマートフォンで撮影している。私も興奮してきて、一緒になって撮影した。今日この場に居合わせたことは幸運だった、これほど抜けるネタはない。自分が少しでも接触したことのある人間のあられもない姿というのは、間違いなく最高のオカズである。AVを選ぶときも、私は自分の知り合いに似ているかどうかという基準をもっとも重要視している。知り合いに似てさえいれば、飛び抜けた美人じゃなく普通ぐらいの顔の女性でも妄想の強度が高まり良質のネタになるし、美人の知り合いに似ているのであればもうそれはヤバイことになる。美人の知り合いそのものが目の前でセックスしてくれるなんていうのは、マジで超ヤバすぎてシャレにならない。
『GO』の頃の柴咲コウはいつの間にか四つん這いになり、『ダーティー・ハリー』の頃のクリント・イーストウッドにバックから激しく突かれている。『ダーティー・ハリー』の頃のクリント・イーストウッドが停止すると彼女のほうから尻を振る。「ああ……ああ! もっと! もっとォォ!」あたりかまわず涎を散らして、恍惚とした表情になっている彼女を私はニンフォマニアであると再診断した。『GO』の頃の柴咲コウに飽き始めた『セブン』の頃のブラッド・ピッドは観客の中に『彼女は最高』の頃のジェニファー・アニストンを見つけ『ファイト・クラブ』を彷彿とさせる暴力的なセックスを楽しみ始め、『ボーン・コレクター』の頃のアンジェリーナ・ジョリーがそれを見つめながら自分のクリトリスをこすっていた。どうやら警察官三名の中で一人浮いている(三人組というのは一人だけ疎外され何とも言えない悲しみに暮れるはめになりがちなため、私は三人組の結成自体を禁止すべきだと考えているのだが)と思しき『踊る大捜査線・歳末特別警戒スペシャル』の頃の織田裕二は腰の拳銃を取り出し、『GO』の頃の柴咲コウが絶頂に達した瞬間に、おっぱいに銃弾を三発撃ち込み殺害した。『ダーティー・ハリー』の頃のクリント・イーストウッドはかんかんに怒って『踊る大捜査線・歳末特別警戒スペシャル』の頃の織田裕二を撃ち殺したが、織田裕二は間一髪で『お金がない!』の頃の織田裕二になっており一命をとりとめた。
「萩原健太郎です!」

私は『お金がない!』の頃の織田裕二の軽い調子の挨拶に苛立った。『GO』の頃の柴咲コウを殺すぐらいなら、最後に私にも一発やらせてほしかった。

 

 

第六章・完

2015年7月7日公開

作品集『グランド・ファッキン・レイルロード』第6話 (全17話)

© 2015 佐川恭一

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