黒い葬式

北橋 勇輝

小説

3,467文字

学校から帰宅してリビングに向かうと、母が深刻な表情で誰かと電話をしていた。井畑賢介は傷だらけの黒いランドセルを床に下すと、母がそれを見計らったかのように受話器を置いて賢介の顔を見ながら、

「じいじ、亡くなったって。明日、お葬式するから学校休みや」

祖父が亡くなったことに特別悲しさを感じたわけではないが、賢介は学校を休めることに嬉しさを感じ得なかった。

三ヶ月前、賢介は家族と一緒に祖父の見舞いに行った。白いベッドに寝ながら呼吸器を付けている祖父を見た賢介は頭の隅っこで、もう長くないなとぼんやり思った。恐らく家族全員がそう思っただろう。祖父の顔からは生きる光が見えなかった。あの時、祖父は生きたいと思っていただろうか。祖父は八十歳だったが、そのぐらいの年齢になると、もういつ死んでもいいと思うものなのだろうか。

二年前、賢介は父に連れられて、よく祖父の家に行った。賢介が物心ついたときから祖父は痴呆になっていたので賢介は祖父と会話らしい会話をしたことがない。だからだろうか、母から祖父が亡くなったことを告げられても悲しくなかったのは。その時、賢介は命日を予言していたかのようにその死を静かに受け入れた。

 

 

翌日、賢介は母から黒い服とズボンを手渡され、

「これ着なさい。もう少ししたら行くから」

賢介はそれに着替えると、不快な匂いが鼻先を掠めた。

賢介が先に玄関で靴を履いていると、喪服を着ている家族がリビングのドアから出てきた。

家族全員が車に乗り込むのを確認した父は何か考えているような表情で、運転をし始めた。偶然にもその車は黒色だった。

助手席に乗った母は地図を見ながら、父に葬儀場の場所を教えている。

賢介は車内を見渡しながら、自分を含め家族全員が黒い服を着ていることに薄暗い闇が立ち込める未来に突き進んでいるような不安を感じた。賢介がそう感じたのは家族全員が黒い服を着ているせいか、この車が黒色だからか、祖父が死んでしまったせいなのか分からない。

賢介は母に焼香のやり方などを教わった。

「分からんかったら目の前の人の真似すればいいから」

「うん」

賢介はこれから何かを選ぶとき、黒色の物を選ぶのは止めようと窓の外を見つめながら決意した。

葬儀場に到着して中に入ると、静かな音楽が流れていて、もう親戚たちは席に座っていた。

親戚たちは賢介の両親たちと目が合うと席を立ち、深々とお辞儀をして小さな声で何かを話し合っていた。やはり葬儀場の中にいる人は皆、黒い服を着ていた。

賢介は街を守った英雄のように飾られている祖父の遺影をじっと眺めた。その遺影に使われている写真は賢介も見たことがある写真だった。

「じいじの顔、見るか?」と父は言い、返事をしていないのに、賢介を棺の所まで連れて行った。

父が棺の上にある小窓を開けると、祖父の顔が見えた。その顔を見た賢介は死んでいるというより眠っているように思えて、不思議でならなかった。だが、すぐに賢介はじいじの顔を見つめながら、「初めて見た死体だ」と強く意識した。恐らく死体を見るのはこれが最初で最後かもしれない。

気が付くと賢介と父の周りには、黒い服を着た人たちがいた。その人たちは賢介が初めて見る人しかいなかった。

その人たちは祖父の顔を見た後、隣にいる人と小さな声で喋り合っていた。賢介の隣にいる父はその会話に耳を傾けるように祖父の顔を優しく見つめていた。

 

 

賢介は不慣れな手つきで焼香を終わらせ、自分の席に戻った。ちゃんと出来ているかどうか不安だったので、賢介は母の顔を窺ったが母は違う方を見つめていた。

賢介はまだ焼香をしていない黒い人たちの姿を見ながら、葬儀場の中に入った時から流れている音楽と葬式が始まった時から読み上げている坊さんのお経に少し飽きていた。

火葬場に移動すると、黒いスーツを着たニ十歳後半ぐらいの若い男が灰になった祖父の骨を長い箸でつまみ、周りの黒い服の人たちに、これはどこの骨であるとか、これはそこの骨であるなどと小さく落ち着いた声で言っている。

賢介は祖父の骨を見つめながら、祖父が棺に入れられて燃やされるところを想像した。

賢介はその若い男の話を黙って聞いていると、すすり泣く声が聞こえてきたので、そちらに首を向けると、黒い服を着た五十歳くらいの女がハンカチを目に当てて泣いていた。この女は祖父とどういう関係だったのだろうかと賢介は思った。

葬儀場に戻ると、たくさんあった椅子と棺は綺麗に片付けられ、代わりに横長のテーブルが横一列に三台並べられている。そしてそのテーブルの上には五人前の寿司が四個置かれ、それぞれの席に割り箸と小皿なども用意されていた。

黒い服の人たちは祖父の葬式が面倒だったとでも言うように深い溜め息を吐きながら席に着き、寿司を食べ始めた。

賢介はさっきまで葬式が行われていた場所で寿司を食うことに疑問を感じながらも、自らの空腹を満たすために小皿に取った寿司を割り箸で掴み、口の中に入れた。

葬儀場から自宅に帰るため家族全員が黒い車に乗り込んだ。車内には若干、焼香の匂いが漂い、賢介はそれを匂いながら車の窓の外を見つめた。時刻は十八時を過ぎていて、空はこれから何かが起きるように赤かった。

賢介は黒い車が道路を走る音に耳を澄ませながら、自身が小学三年生の時に行った運動会のことを思い出した。

賢介は昼休み、家族と一緒に母が作った弁当を急いで食べた後、アイスクリームを買うための小銭をもらった。賢介はその小銭を握りしめ、同じクラスの岩井に会いに行った。岩井はまだ家族と一緒に、昼御飯を食べていた。

賢介に気が付いた岩井が、

「あっ、もうちょっと待って。もう食べ終わるから」

賢介は手の平にある小銭を岩井に見せながら、

「俺、アイス買うわ」

「えっ、コンビニ行かれへんで?」

「知らんの? グラウンドにある懸垂のとこで売ってんで」

そう言うと岩井が母親の方を見て、

「母さん、俺もアイス買っていい?」

「しょうがないなあ」

と岩井の母親は鞄から財布を取り出し、岩井に小銭を手渡した。

「ありがとう」

岩井は玄関のようにブルーシートの外に置かれた靴を急いで履いた。

グラウンドに行くと、さらに気温が上がったような気がした。地面を見ると二人の黒い影がはっきりと出ている。空を見ると太陽が雲に隠れておらず、自らの存在を見せつけるように輝いていた。

アイスクリーム売り場に着くと、賢介たちの他にも体操服を着た生徒が四、五人ほど並んでいる。懸垂の傍でアイスを舐めている生徒やジャングルジムに登ってアイスを舐めている男子生徒もいた。

賢介と岩井はアイスを買った後、それを舐めながらグラウンドの周りを喋りながら歩いた。すると岩井が突然、立ち止まり雑草が生えている場所を見ながら、

「うっわ。えっぐ。賢介、見てみ」

賢介は岩井が指差した方を見てみると、そこには大群の黒い蟻が、もう死んだと思われるカマキリを取り囲んでいた。それを見た瞬間、賢介は鳥肌が立った。

「きもっ」

「これ食ってんのかな。カマキリ運んでるんかな」

賢介は見慣れたせいか、岩井と一緒に食い入るように大群の黒い蟻とカマキリの様子を見ていた。

「いや、運んでるやろ。だって、もし食ってたら蟻、止まるはずやん」

「そっか」

岩井は大群の黒い蟻がカマキリを運ぶところをずっと見ていたためアイスを舐めるのを忘れていたのだろう、流れ落ちる白いアイスを慌てながら舐めていた。

賢介は大群の黒い蟻に見飽きて、人差し指で崖を登っているようにふらふらしながら歩く黒い蟻をぐっと地面に押し潰した。人差し指を地面から離してみると、砂だらけになった黒い蟻はびくびくともがいていた。賢介はその遊びを何も考えず、飽きるまでやっていた。

 

 

翌日、目が覚め、学校に行く準備をし始めた賢介は昨日、祖父の葬式を行ったということが信じられなかった。だが確かに昨日、賢介は祖父が死んだ顔を見たのだった。「もういないのだな」と、賢介は母が作ってくれたトーストを齧った。

黒いランドセルを背負い家を出ると、あの運動会のような暑さだった。空を見てみると太陽は輝いていて、ずっと見つめていることは出来なかった。

教室に入ると同級生たちと担任の男の先生が賢介の所に駆け寄ってきた。

担任は賢介と目を合わせながら、

「昨日、大丈夫か? 元気出していけよ」

と、賢介の肩を優しく叩き、励ました。すると同級生たちも賢介に励ましの声を掛けていった。

賢介はその励ましの声に嬉しくなっている状態で授業を受けた。

2013年7月23日公開

© 2013 北橋 勇輝

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