佐々木、愛なのか?(4)

佐々木、愛なのか?(第4話)

青井橘

小説

3,135文字

 暴力的な音で目が覚めた。部屋のドアが再び叩かれているようだった。
 なぜだか知らないが、また誰かが扉を開けろと言っているのだ。佐々木晴男は眼鏡をかけたまま寝入っていたので、首を横に曲げるだけで、カラーボックスの上の小さな時計の針を読む事が出来た。午後一時五分。一時間半も転寝していたのか。
 体を起こし立ち上がると、ズボンのファスナーが半開きで、その隙間からシャツの裾が飛び出ている事に気がつく。ごそごそとしまいながら、ドアに歩み寄る。
「どなたですか」
 返事はない。激しく叩かれているドアの隙間やノブの鍵穴あたりから、不穏な空気が流れてくるのを感じて、佐々木晴男は嫌な気持ちになる。
「どなたですか」
 やはり何も言わないので仕方なくドアを開くと、立っていたのは、父親だった。
 同じ百六十センチ半ばの身長だったが、立っている場所の高低差のせいで、佐々木晴男を見上げている。額と眉間に深い皺を寄せ、三白眼で上目遣いに睨んでいる。しかしその充血した眼は、佐々木晴男の瞳を直視してはいない。視線をずらし、空中を睨んでいるのだった。
「なんの用ですか」
 父親が訪ねてくるのは初めてではない。母親から住所を聞き出したのは随分前の事だったのだろう。佐々木晴男は住所を聞きだす時殴られたか、と母親に問うた覚えがある。
「冷蔵庫だ」
 父親は、抑揚のない声でそう言った。
「冷蔵庫?」
「冷蔵庫を取りに来た」
 佐々木晴男は、かつて、父親を殺すか自分が死ぬか悩んだ時ほどの憎しみも怒りも、すでに捨て去っていた。決して忘れる事が出来るわけではなく、父親に心を開くことは今もこれからもないであろうと思っていたが、記憶の細部はおぼろげだった。
 ようするに、もう、どうでもいいのだ。
 そしてどうでもいいと思う事が、物事をどうでもよくできる唯一の方法なのだと、佐々木晴男は確信していた。
 まだ風呂もトイレもないアパートに住んでいた頃は、父親に対しドアを開くことはなかった。しかし、怒鳴り散らしながら帰宅した父親の怒りが母親に向けられたことを後で知って、佐々木晴男は、自責の念にかられた。
 そして去年、この住処に訪れたとき、数年ぶりに父親と直面した。

2012年8月10日公開

作品集『佐々木、愛なのか?』第4話 (全8話)

佐々木、愛なのか?

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© 2012 青井橘

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