ゾウガメのお話

渡海 小波津

小説

2,080文字

ゾウガメの想うところのお話です

ゾウガメのお話

 

ある温かい日のことです。いっぴきの年老いたゾウガメがゆっくり、ゆっくり、まるで百年をもって道を渡ろうというようにゆっくり、ゆっくりと、歩いていました。

日も暮れようとしている頃、一羽のカモメがゾウガメの背に止まって言いました。

「じいさん、もう日も暮れるぜ。今日は帰んな、夜は冷えるぞ」ゾウガメはやはり、ゆっくりとカモメの方を向いて、ああ、と一言答えるとまた、ゆっくりと首を前に向け、夕日の沈むのを眺めています。カモメはしばらくゾウガメの背に乗ったままやはり夕日の沈むのを眺めながら、またゾウガメにたずねます。

「何でいつもそうやって夕日ばかり眺めているんだい? 」この質問は何度もしたのですが、ゾウガメは今一度も答えてくれたことはありませんでした。

「あ あ、温かいだろ? 橙の色が海一面に映っている。この景色がずっと、ずっと続くんだよ。昨日も、昨年も、私が子ガメだった頃も、お前のじいさんがピィピィ いってたときもさ。ずっと、ずっと、ずっと続いていくんだよ」カモメは驚きました。毎日訊いても答えてくれなかったゾウガメが、今日はじめてその訳を話し てくれたのです。カモメは少し興奮しました。

「なぁじいさん、あんたはおれのじいさんや父さんのことをよく知っているのかい? 」ゾウガメは、それを聞くと答えます。

「ああ、そうだな。よおく知っているとも。お前さんたちは、みな同じように私の背中に乗ってはいろいろ話したものだよ」

「へぇ、じゃあじいさんは本当にずっとこの夕日を見てきたんだな」ゾウガメは懐かしそうに夕日の海を眺めます。

カモメは、夕日が沈み、水平線だけがオレンジになると、それじゃあまた明日、と言って東の方へと飛び立っていきました。

 

「好 い夜ですね」そう言いたそうな月が海を照らしています。ゾウガメはまぶたを静かに閉じました。まだ心の中に夕日の温かさがほんのりと感じられるようです。 ああ、夕日は温かい。温かい夕日は、ほんの一時の間にこうして沈んでしまう。もう少しあの温もりを感じていたいから、ゾウガメは日が沈んでもこうしてここ で目をつむっているのでしょうか。

目をつむると、ちょっとしたことが思い浮かんでくる。

「ねぇ、パパ今日ね、向かいのお池に大きなカエルさんがいたんだよ」息子は楽しそうに一日の出来事を話す。

「そうか、そうか。それはすごいな」私は、目を細めて優しく息子の頭をなでた。息子は、嬉しそうに同じ事を今度は妻に言いにいく。

「聞 いてたわ。カエルさん見つけたのよね、すごいねぇ」と言いながら私の方にもほほえむ。私もそんなやりとりをしている息子と妻を見てえみがこぼれる。そんな 生活をずっと思い描いてきた。そしてそこに至るための夢と現実の間がなんと長いことか、そしてそこに至るまでにどれだけの時間を要するのか。人を好いて、 信頼されて、人に好かれて、ぶつかって、いろいろなことを共有しながらやっとお互いが同じ方向に向いてはじめて、この夢は現実とリンクするのだろう。私が 今見ている風景は、私だけの夢ではなく、パートナーの夢でもなければならないのだろう。私はこの膨大な時間を今だ夢のために使いきれずにいる。私の夢があ なたの夢で、あなたの夢が私の夢で、そんなふうに想い合える、その誰かに出会うまでの、この膨大な時間を、私はずっと夕日を見ることに使っていたのだか ら。そうして日が沈めば、こうして夢を見ているのだ。夢の中では、優しい君と子どもがいて、私は家族のために喜んで身を尽くしている。そんな私が百年も夕 日を、夢を、見続けているのだけなのだ。いつだっただろうか、カモメに訊かれたことがある。

「ゾウガメさん、夕日ってあったかいな。でも他にも暖かいところはたくさんあるんだ。俺はいろんなところを旅してるから知ってる。お前さんも探してみるといいよ。きっと一番好きな場所が見付かるぜ」

私 は、あの日からいろいろな場所で温かさに出会った。春の小道に溢れる温もり、お日様のにおい。夏の木陰に差し込む太陽のシャワー。日差しの音。秋の海を染 める橙色の夕日、大きくて温かい色。冬のこうらを温めてくれる優しい淡い手。全身をそっと包んでくれるような優しさ。季節、場所、移ろいながらに様々な温 かさを私は知ることができた。五十年は過ぎただろうか。私はまた、こうして夕日を眺めている。それは、わかったからだ。私が求めていた温かさは、すべてこ の日がくれるのだと。どこに行っても、何時であっても、私が求めている光は、いつでも空にあって、こうして首を伸ばせば、そこに確かな温かさを感じられる のだと。

 

目を開けたら、いつの間にか日は昇っています。ゾウガメはゆっくりと首を伸ばしました。そこには柔らかな温かい白いふわふわが 浮かんでいて、届かないのだけれど、その光だけでも十分温かくて、ゾウガメはそれだけで幸せでした。まぶたを閉じると、夢が浮かびます。夢の中の家族に も、温かな春の日が差していました。

春の午後、今日もゾウガメは夕日の見える場所へと、ゆっくり、ゆっくり歩いていきます。

2012年9月26日公開

© 2012 渡海 小波津

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