生のものと紙に刷られたもの

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第4話)

高橋文樹

エセー

1,930文字

紙に刷られないテキストの流通量は次第に増えている。あなたのテキストは「なまのまま」でも大丈夫だろうか。紙に刷られることを前提とした「レイアウト」があなたのテキストの価値を支えているのだとしたら、「なまのまま」では価値がないということになる。

あなたは自分の書いた文章を印刷したことがあるだろう。そして、なにがしかの満足を覚えたことだろう。プリンタの設定やレイアウトの不備などで悪戦苦闘したかもしれないが、最終的には自分のテキストを見て喜びを得たはずだ。もっと率直にいえば、印刷された自分のテキストがなにがしかのものであるように感じたことだろう。無理からぬことだ。DTP(デスクトップ・パブリッシング)技術によって印刷物の品質はかなり向上している。あなたがこれまでに読んできたものと体裁が似ている――ただそれだけでの理由で、あなたの印刷物は読むに値するように思えてくるのである。

あなたのテキストに対するフェティシズム

印刷された自分のテキストに対する感動が薄れていくとともに、そのこだわりはより鋭く尖っていく。章を分ける記号を何にするかで悩んでみたり(§セクション記号? *アスタリスク? †ダガー? ♪ちょっとおどけて音符?)、特定のキーワードを二重山括弧でくくって《謎めかせて》みたり、雑誌のインタビュー形式を真似て人名を太字ゴシック体にしてみたり。テキストに向き合う姿勢に自己陶酔とフェティシズムが混ざり込み、いつしかレイアウトというものに関する一家言が生成されていく。場合によって、あなたはそれをテキストの一部だとさえ思うようになり、違ったレイアウトで表示されることを嫌がるかもしれない。奔放な服を着始めた娘に対して母親が眉を潜めるように。

世界全体におけるテキストの見映えに対する欲望の総量はいまもって増加中だ。パソコンとプリンタの普及により、ペーパーレスの向こうをはって紙の使用量は増え続けている。一度でも事務仕事をしたことがあれば、ある書類の書式がいかに神聖視されているかということがわかるだろう。テキストからなる印刷物はテキストそのものよりも遥かに重要である――と、断言してもいいかもしれない。

2012年2月26日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第4話 (全22話)

メタメタな時代の曖昧な私の文学

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© 2012 高橋文樹

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"生のものと紙に刷られたもの"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2012-02-27 01:49

    現代の物書きが出会う「戸惑い」ですね。同感です。
    「綺麗な服を着せる」ことがレイアウトへのこだわりだとすれば、「恥ずかしくない体型に育てる」こととは何か。いくつかの意見に分かれるのかもしれません。
    いずれにせよテキストに対するフェティッシュな欲望を捨てた世界では、レトリックや内容を追求するものと、ぱっと目を引く言いまわしや言葉使いに傾くもの、二手に別れるのかなと読後に感じました。

    • 編集長 | 2012-02-27 04:22

      そこら辺の続きは近日アップしますので、お楽しみに!

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