ヒモの結び目(1)

じぇりー 流

小説

4,189文字

亜細亜。何かを求めてさすらう旅人になろうと思い街に出た。しかしそこに潜んでいたのはやはりあの憂鬱めいた何かであった。困った。やはりかという思い。そしてあのしみったれたアパートを目指し道を引き返すことに決めた。そして、、、

『部屋の隅で世界を語る』

 

空を流れる雲が少しずつ黄金色に染まり始める頃だった。

そのしみったれたアパートは駅から歩いて十五分の距離にあった。

女の部屋は五階にある。

エレベーターから数えて五つ目の部屋。

俺はポケットの中にあったキティちゃん柄の鍵を取り出した。

シャラシャラと安っぽい鈴の音、、甘い苺の香り。

俺は鍵を慎重にそして素早く鍵穴に突き刺すと下品なシールがべたりと貼られたドアが軽やかな音を立てて開いた。

部屋には誰もいなかった。そこには広いベッドと化粧机があった。ベッドの上の真新しきシーツの上には女の物らしき服が脱ぎ捨ててあった。これはごく最近の見慣れた光景なのである。

「ん?」

いくつかの淫猥な物体がベットの上に並べてあった。赤いフリルの付いたブラジャー、同じく赤いフリルのパンティ、光沢を放つ紫色のドレス。

どうやらこの主は時間に追われていたらしい。

「ふふん、どうもあいつらしくないな」

そう、あの常に冷静な顔を得意としている(いやもはや冷徹といってもいい)彼女の身に何があったのだろうか。

俺は部屋の真ん中に立つとそこに広がるその「女の香りというもの」を鼻から身体全体へと浸透させた。香水のツンとした匂いが腹の底でうごめいた。

「よしッ!」

これでよし。準備は万全だ。抜かりは無い。そそくさとベッドに横たわってみた。ひんやりとする。

「おおッ、、!」

滑らかなシーツに足を伸ばすとあんまりに気持ちが良くて溜息をついた。ワーオ、最高じゃないか。ああしかし疲れた! 疲れた! 近くにあったフリルのパンティを手にとってみる。それで一物をしごき始める。それも一定の巡航速度で。何回も飛んでいきそうになる。また疲れたので動きを止めた。

そうなのだ。昼も夜も○○で忙しい俺の事だった。ひどくやられていた事にも気付いていた。今夜のまだ見ぬハプニングに対処するためにはじっくりと休まなければならない。最近満足にも睡眠が取れていない。昨夜はだいぶ遅くに寝たのに今朝は早く起きてしまった。もちろんそうしなければならぬ理由はないが、、そうしなければならない絶対的な習慣があった。涼しい朝の九時までには道路脇の屋台で甘~いアイスコーヒーを注文する。麻痺した身体に冷えた液体を注入すると、邪気もなにもへったくれも全て地平線の向こう側に吹っ飛んでいきやがるってもんだ。ようし昨夜までの悪事や背徳は全て忘れてやろうじゃないか、今日こそは新しいスタートだ!

あっそうだ忘れていた!! 神様、聞いてる? 俺はねえ、一日の終わりが近づいて来るとねえ、みるみるうちに情けない禿犬へと成り果てていくんだよ。赤くて強烈でやけに情緒的な夕日が、、痛いくらいに眩しくて。ああそうか神様、わかってるよ、今日もしっかり負けたんだよな。また明日になれば人生変わるさ。だが、そう言っていられるのも今後数年が限界。このふしだらで誰からも敬われないライフスタイルが絶対的にヤバイ事くらい自分自身がよくわかっている。考えろ! 考えるんだ俺! しかし悪戯好きな子供のようなしつこい眠気や怠慢が覆いかぶさってくる。おおい、ついに精神までやられちまったのかーッ、俺様は、、くそー! これだったら軽く昼寝しといた方がよかったかもな。どうせ暇だったし。

新しいものも見えてきた。青々とした地球の大気圏、喧しい九官鳥の群れ、飛んでいる、それも意外にも超低速で飛んでいる? 群れの最後尾にヨタヨタと飛ぶ鳥がいる。全体の流れに付いていってない。どうやら彼はやる気がないようだ。ひどく痩せててノロマな九官鳥。そのうえ一日中口は半開き、目はそのまま寝てしまいそうな状態で耳なんざ怒鳴られ続けてきたせいか十年前から固く閉ざされたままだ。赤くほ照った鼻穴からは水っぽい液体がとめどなく流れ、これは悲惨だ。というより、ほとんど俺そのものじゃないか? 洒落になってないぞおい。誰か助けてやれ、、。

さて、この情けない鳥は近いうちに群れからは引き離されてしまうだろう。群れも彼にペースを合わせるわけにはいかない。それが社会システムって奴なのだ。それからは彼は孤独との闘いに突入する。もちろん周りの鳥は助けようとはしない。と、一匹の性格のよさげな鳥が彼に近づこうとしたが他の鳥に行く手を阻まれた。お前まで堕ちてしまうぞ! という声も聞こえた。さらに群れは彼を引き剥がしにかかった。それが彼、そして敗者の魂への〝流儀〟というものなのだ。焦りからか彼の翼の羽ばたきが乱れてきた。飛び去ろうとしている群れの仲間に言う、「ちょっと待って。自分は小さな頃から不整脈であってこれ以上飛び続けるわけにはいかない、、ああ心臓が、、本当に死んでしまうかもしれないよ」などと呟いている。だが他の連中は愛想笑いを浮かべるだけ。何もできないのだ。ところで腹減ってないか? もうペコペコだよ。お前もだろ。な、な! 頼む! 飯を奢ってくれ。この通り! 頼む! 頼む!

「やめてくれ!!」

それは以前つきあっていたAという友人だった。いえ、あれは友人ではなかった。彼とはすでに絶交してある。俺は整理が必要だった。時空が俺のそばをぶっ飛んでいく。そこにあったものが全部ダグラスマッカーサーのパイプの中に吸い込まれていく。

 

、、、、、、、、、。

 

どのくらい寝ていたのだろうか。外は既に暗闇に包まれていた。時計の針は十八時三十分を過ぎようとしている。気を失ったように寝ていたのだ。それにしても、なんという悲惨な夢であった事か。鳥が墜ちるシーンを見なくて良かった。誰かに飯を奢らされそうになったのは悲しかった。

「ああ、腹減ったなあ」

ポケットの中にはいくつかの極小貨幣が入っているだけだ。仕方がなくも俺は飯を得るため外に出る事にした。大昔の男達がこのように狩りに向かったのだろう。

 

 

 

 

『都市に彷徨う浮き上がれぬ魂』

 

夜になりかけているというのに街はさらに活気が増してきていた。閑散としていた昼間とは打って変わりラスタカラーのタクシーが我が物顔で道を占領していた。やがて歩道には道幅の半分以上をまがい物を売る屋台が埋め尽くす。その間の隙間を凄まじい数の人間達が押し合うように通り抜ける。これが魔都の変わらぬ夕方の姿だった。薄汚いモーテルみたいな壁に赤く光り輝くネオンチューブがびっしりと張りめぐされている。これはそこに「何か」がある事を主張している。オレンジ色の空は赤い烈光を瞬時に放つとすぐに、青白い闇が、そしてサイケな高揚感が、街を少しずつ包み始めた。

 

バーの開店である。

 

世界中の男どもを魅惑して止まないバーが今まさに動き出そうとしている。その前をオンボロの屋台を引くオヤジが通り過ぎた。焼きイカの香ばしい匂いが辺り一面に漂う。俺は名も知らぬ銘柄の煙草の底を叩いた。昨夜バーのカウンターで拾った物だ。紙巻がいくつも飛び出たので一本だけ選び口に含んだ。

ふと目を上げると、屋台の傍に美しいドレスを纏ったレディが佇んでいた。まるで狐の様な顔をした寂しげな女。だが腰からくるぶしまでのなでやかな曲線が彼女を美人に押し上げる。なんて堪らない体を持って生まれたのだろうか。しかもイカを買っている、、。イカも?!

しかしこいつは良いな。こいつは楽しそうな事になりそうだ。今夜こそは大変な事になっちまいそうだと煙草に火を点けようとした時、、、。

 

「ねえ!」

 

一瞬誰かに話し掛けられた気がした。背後に誰かが立っているような気配がある。もしや悪質でタチが悪いタイプなのだろうか。物騒な世の中である。心配になった。

勇気をもって振り返ると身体の真ん中を衝撃が貫いた。

先ほどの部屋の主だった。唾を飲み込んだ。

「ちょっと信じられない! こんなトコで何やってるのさあんた!」

俺は知らずに股間の大事なところを抜かれた雄猫みたいなポーズをとっていた。

「いや! いや! ブーン?!」

「どこ行ってたの? あれだけ部屋で待ってなさいと言ってたのに! 嘘つき! チンカス!」

「そうだった。確かに全部当たってる」

「あんた用の夜飯買って用意しておいたのに、、、机の上の気付かなかった?」

「そうだったのか! それは全然気付かなかった、なんともったいない、すまない、いや、すみません」

「早く食べないと腐るわよ。今すぐその汚ないケツを走らせな。そう、部屋の鍵はちゃんと持ってきてるよね?」

「イエス、たぶん閉めたと思います」

「ああ、このバカ、トンマ。こんちくしょうだねもう。もういいわ、とにかくあたしが仕事終わるまでは外に出ないで」

「あ、はい」

するとブーンは俺の小さな股間を手に取り、掴み、そして歯を食いしばり耳元で囁いた、、

「ややこしいことになるのよね」そして「他の女と遊んでみな。消えちゃうかもよココ、、」

 

ビッチ!!! しかも女王でもあった。俺はブーンにだけは悪態をつけない。金の無い俺を路上から救い出した女神なのである。刃向かえばどうなるかは子猿にだってわかる。再び、あの汚らしい路上に転げ落ちるのだ。恐ろしい事である。人権もクソもない。ああ嫌だ嫌だ! そんなの絶対に有り得ない! 真夜中に腹が減ったとかでパシリに使われようが、寝ているのにフトモモを爪でチクチクと刺されようが俺は全くもって一向に構わない。

 

 

 

 

『絶対服従』

 

人間が飯を得て生き長らえるという事はこういうことなのだ。そういうことなのだ。誰だって頭を下げなければならない時はある。悔しいが、この『絶対服従』というものは神が人類に適当に決めてやった確かな「ルール」というものだ。それと皆が憧れている全てにおいての自由人というのは、巷でもてはやされただけのこの世に決して存在し得ない妖精話なのだという事も忘れてはならない。

情けない痩せた禿犬は飼い主の前で尻尾をコンパクトに振って、、それを上手にケツの間に挟み込んだのだった。

俺は急いでそのバーエリアを出ることにした。

ああそれと、有難いことに、彼女は俺の股間をつかんだときジッパーの隙間に一枚のお札を差し入れてくれていた。それがカサカサと一物と触れることで何だか嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちが心の中を染み渡らせてくれた。

2010年12月14日公開

© 2010 じぇりー 流

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