私の好きなシンガーソングライターに「前野健太」という人物がいる。私が言うのもおこがましいが、彼の歌うメロディは凡庸である。凡庸であるのだから、メロディメイカーと言われる作曲家からは遠いところにいる。しかし、彼の紡ぐ歌詞に私は心を揺さぶられ、心をえぐられる。忘れていた、または、心の奥底しまい込んでいた滓を、たった一節で浮上させる。決して言葉にできないと思っていた感情を、彼はいともたやすく、いや、彼にとってたやすいことではないかもしれないが、たやすいと思わせる言葉で私に語りかけるのである。
「愛をぐしゃぐしゃに丸めて、口の中に出してもいいよね?」
(「オレらは肉の歩く朝」収録「興味があるの」)
フェラチオについての詩であることは容易に想像がつく。メタファーではなく、受け取る人すべてが、同じ意味にとれる直接的表現である。まごうことなく、「ぐしゃぐしゃに丸めた愛」とは精液の事であって、口の中に出すとは口内射精の事である。彼は「精液」を「愛」と表現することによって、口内射精の後ろめたさを自分勝手な解釈で和らげようとする。しかも、自分だけでなく相手に同意を求める。「口の中に出してもいいよね?」と精液を受け止める相手に問う。身勝手な解釈を人に押し付け、それに対して同意を求め、動物的行為のさなか、愛という高次な言葉で嫌と言えない状況を作ろうとする。それが世の男性全体を代弁しているとは思わないが、身に覚えのある男性は多いのではないだろうか。
私はそんな言葉に心を揺さぶられる。
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