ヒットチャートは死なない

正しいドーナツの積みかた(第1話)

アサミ・ラムジフスキー

評論

2,414文字

日本のヒットチャートの歴史はもうすぐ50年になろうとしている。すっかりヒットチャートと無縁の音楽ばかりを好むようになったのに、それでもなおヒットチャートの観察と研究だけは卒業することのできなかった筆者が、20年にわたるヒットチャート観察の成果を綴る。

ヒットチャートは死んだ――ここ数年、そんな声をよく耳にする。曰く、「今のヒットチャートは流行をまったく反映していない」のだそうだ。

たしかに、ここ10年ほどのあいだに音楽の受容のされかたは大きく変容した。毎年数十曲ものミリオンヒットが誕生していた時代は遥か彼方、今やフィジカル・パッケージで音楽を購入するリスナーはごく一部にかぎられている。世の大半の人間はもはやCDを購入しない。有料音楽配信もあるし、違法ダウンロードだって蔓延している。一定以下の年代では、そもそも音楽を所有したいという欲望すらないらしい。気に入った音楽を見つけても、YouTubeの当該ページをブックマークしたらそれでおしまいだ。

5年ほどまえ、在京ラジオ局勤務の友人がこんなことを言っていたのが印象深い。
「学生と音楽の話をすると、音楽業界や放送業界に興味のある奴ですら二言目には『YouTubeで探してみます!』と返してくる」

当時は愕然としたものだが、今やこれはごくふつうの感覚だろう。それだけ現代の若者にとって、YouTubeは身近なメディアになっているわけだ。

しかし、たとえ何百万回再生されようとも何億回再生されようとも、YouTubeでの熱狂が日本の主要ヒットチャートに反映されることはない。1968年のオリコンチャート開始以来、この国のヒットチャートは売上ベースのランキングが主流となっているからだ。2014年の「Let It Go」も、2016年の「PERFECT HUMAN」も、そして全世界で大ヒットした「ペンパイナッポーアッポーペン」も、シングルCDが発売されていないのでオリコンにはランクインしようがなかった。世間的にはマイノリティであるはずの「いまだにCDを買う層」の嗜好だけが反映される以上、ヒットチャートが実際の流行から乖離するのは必然だった。

では、いまだにCDを買うのがどういう層かといえば、あの直径12センチの円盤に「音楽の容れ物」以上の価値を見出す層だといえる。ダウンロードやYouTubeでは得られない、CDならではの付加価値。それがなければ今の時代にCDを買う理由はない。レコード会社もそれは重々承知だから、DVDやら写真集やらイベント応募券やら、いろいろなおまけをつけてCDを買わせようとする。ファンはそんなおまけのためにCDを買うのだ。CDはもうビックリマンチョコのチョコやプロ野球チップスのチップスと変わらぬ扱いになっている。いや、空腹をしのげるぶんチョコやチップスのほうがまだマシともいえるか。このように売られたCDの売上データをまとめたところで、それが流行を映す鏡になどなれようはずもない。ヒットチャートがこの10年で変質したことは疑いようもない事実だった。

 

だが、僕たちはここで一度冷静になる必要がある。そもそもこの国において、ヒットチャートが本当に流行を反映していた時代がどれほどあったのだろうか?

オリコンチャートはもうすぐ50周年を迎えるが、その歴史のうち、流行と完璧に寄り添えていた時代は実はそれほど長くない。くわしくは後述するが、最初の10年間に関してはほとんど一般知名度がなかったし、その後の10年間も絶対的権威として君臨していたわけではなかった。CDバブルの時代を若者として過ごした人間は、ヒットチャートに幻想を抱きすぎではないかと思うのだ。CDが売れまくっていたあの時代のほうがむしろ異常なのだ。わずかな時代しか知らないくせに勝手にヒットチャートを殺してはいけない。

現在のヒットチャートはたしかに「流行を映す鏡」としては機能不全に陥っているかもしれないが、「時代を刻み込む石版」だと捉えれば十二分に健在だ。たとえば数十年後に2016年の売上チャートを振り返ったとしよう。いくつかの文献とあわせて記録を紐解けば、毎週のようにアイドルばかりが1位を獲得している状況から「この時代は複数枚売り商法を得意とするアイドルが跋扈していたのだな」と読み解くことはむずかしくないはずだ。レコード産業を取り巻く状況の記録としては、間違いなく文化史的な意義が認められる。

時代に即していないからそろそろ集計方法を再考すべきだ、という意見もオリコンに対して多く寄せられているようだが、個人的にはそれに賛同しない。そうしたヒットチャートはオリコン以外の組織が作ればいいし、現にビルボード・ジャパンは2008年から世間の流行をより精確に反映させるべく複合チャートを作成している。どちらが優れているという話ではなく、ヒットチャートにはさまざまな役割があっていいということだ。同じスタンスのまま約50年間定点観測をつづけてきたオリコンには今後も同じ角度から観測をつづけてほしいし、ビルボードはしっかりと流行を書き留める役割を果たしてほしい。数十年後には、どちらの記録も大きな価値をもつに違いない。この意味で、ヒットチャートが死ぬことなどありえない。

 

本稿の目的は、もうすぐ半世紀になろうとしている日本のヒットチャートの歴史をあらためて振り返り、その意義と価値を文化風俗史のなかにあらためてマッピングし直すことにある。特定の歌手やレコード会社を批判するつもりも称揚するつもりも一切ないし、もちろんオリコンをわざわざ敵に回したいわけでもない。

時代を定点観測しつづけるヒットチャートという存在を、さらに俯瞰して客観的に観察すること。僕が興味をもっているのは現象としてのヒットチャートそのものであって、その副次的な影響についてはどうでもよかった。いちリスナーとしてはすっかりヒットチャートと無縁の音楽ばかりを好むようになり、それでもなおヒットチャートの観察と研究だけは卒業することのできなかった筆者が、あらためてヒットチャートへの愛を告白する恋文のようなものだと思ってもらえたらそれでいい。

2016年11月13日公開

作品集『正しいドーナツの積みかた』最新話 (全1話)

© 2016 アサミ・ラムジフスキー

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