無底と喪失(3)

無底と喪失(第3話)

月形与三郎

評論

8,566文字

書くことの倫理とは何なんだろう。鎌倉時代初期の歌人にして公人であった藤原定家に接近した三島由紀夫、その交接点を論点に据えつつ、古今東西のエクリチュールを探訪しつつ。

無底と喪失――藤原定家と三島由紀夫における〈不在〉のイマージュ③

月形与三郎

 

 

能には御霊信仰に根ざす魂鎮めをテーマにしたものが多い。柳田・折口の説では万葉集の叙景歌も鎮魂歌である。ゲニウス・ロキ、ということで、詠めば村落(ハムレット)の地神を鎮める?

西田幾多郎は人を哲学的思惟へ向かわせるのは悲哀だといい、ルナンは悲哀の共有がネーションだといったそうである。小林敏明は、フロイトのいう「喪」と御魂鎮めを類似のものとする(小林著『精神病理からみる現代思想』講談社)。そして「喪の作業」(デリダ)は、アポリアの「経験」(現前)だという。

 

《西行法師國々を修行しけるに、讃岐の院(崇徳院)の御廟に参りて、(中略)かかる松山のこけの下にうづもれ給へる事、無常転変のことわりをしるといへども、夢の心地して哀れに覚えけるままに、

よしや君むかしの玉の床とてもかからん後はなににかはせむ(西行法師)

苔の下にかすかなる御音にて詠じ給ひける。

浜千鳥あとは都にかよへども身はまつ山にねをのみぞ鳴く (崇徳上皇の霊)

是等の歌はよのつねに、人毎に口に付きたれども、静かに詠ずる時、万縁悉く忘れ、一心漸く静かなるものをや》(無住著『沙石集』。山家集や保元・平治物語などにある記事が典拠)

 

保元の乱で企て破れた崇徳院は、讃岐へ流され、恨みのうちに崩御し、「日本国の大魔縁」となって祟り世に戦乱の災いを為したという。保平の乱を、国体がおかしくなった元凶として、明治天皇も王政復古の詔勅で触れている。それを西行が歌によって鎮めたという伝説だ。歌がお経になれば、この種のパターンは能の定番、

 

《(謡曲は)死と追憶による優雅の文化意志》(三島『日本文学小史』。三島のいう「優雅」は、最晩年まで近代小市民的な含意を除ききれなかった)

 

(あや)とはならず隠れた、だが回復すべき「価値」ではないもの、ハイデガーのいう存在者と存在の差異である隠れるものは、喪=アポリア提示によるメタレベルに於ける同一化の形式にはなく、他の生成の形式に於いてのみある(、、)。ジュディス・バトラーのフロイト読解にいう喪として同定されないメランコリーの非―対象は、喪失されたものが顕われるとき隠れる。追憶から漏れて隠れる(、、、)ことこそが死者の二重の死である。

 

雅び(、、)の聡明さは、明暗の対比とともに幽玄(、、)の構造を持ち込むことによって、何かしら聖なる質(すなわち、他者へと、知られざる世界へと働きかけることによってその魅惑的な存在感を駆動する、独自にうつろう質である)へと近接することになる。幽玄(、、)の構造は、紫式部の時代には明確に定義されていなかったのだが(それゆえ私は、源氏物語がこの定式の発展に大いに貢献したのだと示唆しておきたい)他者の、暗黒にして無限の世界という意味を抱く美しい対象の揺れ動く契機となっている。特殊な、厳密に定義づけられた審美的対象の顕示は、それを通じて神秘的な、ほとんど形のない「世界」を感得することによって高められるのだ。紫式部はこの美の聡明な魅力から美の暗闇の神秘へと至る、より深遠で重要な延長を為す審美的なつながり、人間欲望の破壊的な力へと至る連合的なつながりに従っている。紫式部にとって、幽玄(、、)――光と闇の出会い――の質は最も美しいものであるのだが、しかしこの出会いは生と死、快楽と苦痛、この世界と他の世界との境界線に位置している。至高の美は存在のはかなさと緊密に結びついている。例外的に美しいものははかない。》(ジョン・R・ウォレス著・暮沢剛巳訳『否定的なもののもとへの滞留・紫式部と三島由紀夫における審美的ヴィジョン』青土社『ユリイカ』2000年11月号所載)

 

ホワイトヘッドは「哲学とは全てプラトンの著書に関する注釈」といったそうである。当方でも、「三島文学」にかぎらず、「日本文学」は尽く源氏物語のラノベ化だ、といえるかもしれない? その『源氏』の受苦と快楽の源泉は、此世(このよ)(ほか)の清浄な秩序への希求と、因果的に()へ繋がる、(分裂態勢的な)欲望の両価性(アンビバレンス)、「宿世」と「色好み」という命法の両義性(アンビギュイティ)にある。阿弥陀(アミタ)とは「無量者」(大文字の他者)のことで、中期プラトン主義や、遡ればザラスシュトラ教、その種の思想に由来する概念だという。隠喩としての〈光〉が、「エロスそのもの」としての詩性=〈母〉性を巡るディスクールを不透過なものへと仕立てる。光の君(シャイニング・プリンス)は欲望する他者にして欲望――あるいは「再―性転換」した天照皇――そのものであり、〈女〉的なもの、「欲望過剰」のマゾヒスト的主体性がそれへの同一化による「空虚化」と「運命化」を目指すところ、すなわち涅槃であり自然(じねん)であった。『源氏』の主題の一つは、「弥陀の誓願」の擬制のようなのである。夢幻、それは「現実的なもの」すなわち大文字の他者を指示する(非実体的な)ものであり、その「対象」の導きで、絶対的な「現実」の不可能性、実存的な死と合一し、涅槃(ニルヴァーナ)へ至る。幽玄の「闇」とは、あまねくある光が(イルミネート)する「神の闇」で、その「幽明境」がもたらす薄明は、こうして「光」よりも目を眩ます。右引用文の「延長」とは、竜樹の『中論』で言葉とその指示対象の現前性をさすプラパンチャ(エクステンション)に当たる。また光のもとにある現前性とは、「感性的」な()前性に限らず、むろん「悟性的」な()前性をも同時に含むだろう。ただ、そういう「プラトンの洞窟」には、光の出入りする「秘密の通路」があるのだから、自他二つの世界は、じつのところはじめから一続きだといえる。ちょうど、パーティが絶対全滅しないRPGの秘密の洞窟のように、留保(レゼルブ)付きなのである。幽玄とは、そのような幽明の(バウンダリー)を行きつ戻りつすることだ。日本の場合、このテアトロクラシーは中国仏教と老荘思想に由来する。日本で最初に幽玄の語を用いたのは、どうやら最澄と空海らしい。

「幽玄の構造」を「明確に定義」したのは、定家の父、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と断じた藤原俊成である。ただし俊成自身は、幽玄を歌学の第一義としながらも、余情美の一様相だとしている。西行がその「幽玄美」を「素艶」の趣で完成し且つ身を以って示し、定家は「妖艶」の趣で完成し且つ技法的にリファインしたといえる。そして、後世とくに室町芸術においては、「幽玄の美学」を、俊成よりも定家に由来するものとする傾きもあった。また「鵜鷺系歌論書」といった偽書の影響もあり、幽玄の象徴美と、定家のいう有心は混同されてきた。しかし、佐藤喜久雄など優れた国文学者の少なからずが、後世に定家の有心の特徴とされた美観は、むしろ幽玄の性格をさすとしている。

定家は歌論書『毎月抄』で、有心を和歌の存在条件とした。それにしては室町の文学論の多くが、有心よりも幽玄を重視しているのではないか。その室町時代の「幽玄」は、源氏物語はもちろん、新古今集の時代とも異なり、他力的ではなく、自我崇拝的な武家の時代に相応しく自力的なものと解されるようになる。

連歌の大成者である心敬は禅教二道のうち、本来なら言葉によって伝えられない禅の領分にあるものの美的表現を「幽玄」とし、その歌道の師である正徹もほぼ同じといえる。上記の二人は定家の信奉者の中でも秀でた歌人だった。繰り返すとつまり、幽玄には揺れ動くような定かならぬ何か表現すべき「美」の対象域があっても、有心には特定の対象領域はない。幽玄とはメランコリーの領域を喪により「識」へ回収しようとする意欲といえ、有心は単に心得であって予めの意欲ではない。「気色の揺らぎ」を対象とする営為が求めるのは「意味」で、コミュニオンにある幽玄では「詩的方法」が恰も一通りの様であり、優先権を付与されている言表が必然的に(「論理的」に)先立ち、「語りえぬもの」の可視性は、否定態として指示されるしか、体系の補完的なものである「非言語的形成」としてしかない。凡そ視覚中心主義といってよく、これは「音声中心主義」ともほとんど同じもので、現前(プレゼンス)の優位を前提する。だが有心は、全くそうではなく、ようするに「書くこと(エクリチュール)」の方法なのである。

 

《宇治市に入ると、山々の青さがはじめて目に滴った。》(三島『天人五衰』)

 

右は大岡昇平が、三島的「美文」の特徴を示すために引用して以来、ときおり引かれる一文である。「夏山如滴」というような、漢詩文を齧ったことのある者なら誰でも知っている表現に纏わるイメージに基づく「ずらし」といえる。ちょっと目薬をさしたみたいだ。定型的ではある。とはいえ、松尾芭蕉や夏目漱石の定型的な「漢詩取」はよろしくて、三島がすると、空疎だとか、酷いときには、けしからん、というような一部の批評家の論法はアンフェアというものだろう(注16)。

とりあえず「山々の青さが滴る」、国文学研究の用語に習って、こういうものを一纏めに「共感覚的表現」としておく。

 

注16

《海暮れて鴨のこゑほのかに白し》(松尾芭蕉)

《(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった)夜の底が白くなった》(川端康成著『雪国』新潮社)

芭蕉のほうが、当時としては、そこそこ「発明」的な漢詩取だろうものを、川端のほうは、いかにも定型的な感じで用いているのだった。このような漢詩取に類する「エクリチュール」の作用が、なぜ後世からだと象徴主義的に見えるのか。たとえば、かつてのソシュール主義(、、)的には凡そ、西欧の言語では青と緑をはっきり区別するのを、かならずしも厳格に区別しない言語があるのは、色彩及びその他の知覚的要素の連続的総体へ規則が押し付ける区別の仕方の違いのためだというふうに理解した。このような考え方は半ば正当で、いうなれば「原知覚」的なものの連続性を基盤へ置く点で半ばが論件先取りだった。原基的な連続性の比喩は、(くだん)の(本稿第四章引用文の)三島のように、言葉の構造を以って整序すべき混沌(カオス)と言い換えてよい。しかしわが国では、「あお」と「みどり」の区別が「和語」のうえでは曖昧なうえ、「あお」には、青、蒼、藍、「みどり」には、緑、翠、碧、などと機によって当てる漢字が違う。こういうことがあるというのも、云わば、日本文学ひいては日本語の使用が、はじめから半ばコロニアルなものだという事情があるだろう(もちろん、近代のコロニアリズムと、古代のそれがすっかり同じ性格だというのではないが、日本近代文学に限らず、およそ外国文学者が日本文学を「つくった」といって過言ではないのである。たとえば、漱石が(すでにヘゲモニックな言葉であった)英語文学者であったように、紫式部や清少納言にしても中国文学者だといえるのだ。ただし、ある種の批評理論にありがちな、ごくありきたりの意味で、地域的な「固有性」を過度に軽視し、前時代との「断絶」を過度に強調する考え方も、もはや耐用年数が切れていはいるだろうから、この問題に関しては、いまやスタンスの取り方が難しいところだろう。)。近代の色彩学と違い、古代中国の「真理」基準では、現在なら明度や透明度や質感とされるものも「色彩」であり、近代的な青と緑の別は、そのような異なる意味の編成のうちの一つだった(これを以って「東洋文明」がクォリアやらの理論などを先取っていたと言いたい訳ではない)。夏山が、海から拾い上げた翡翠や碧玉のような「色彩」であれば、なるほど元の中国では、しずくが滴る如き気もするだろうから、たしかに「象徴形式」を存在論的に考察するならば、鶏と卵の水掛け論の滴る如くなるとしても、そのことを以って文学実作上の「象徴主義」の根拠とはいえない。そして、これで肝心なのは、こういうレトリカルな操作が可能なのも、文字のレベルでの翻訳的な行為がとっくに成った「事後」――つまり漢語のエクリチュールの作用が日常的な言葉の使用において定着して以後――だということである。なお、これは、何も「色彩」に関する事柄には限らない。実証的な見地からこと細かく述べる知識は筆者は持ち合わせていないが、それでも、詩歌に代表される日本文芸が象徴主義的な傾向を途端に強めるのは、「日宋貿易」以降の鎌倉初期、「日明貿易」の東山文化期、「鎖国」直後の江戸時代初期、そして明治、昭和の中ごろ、およそ新たな翻訳的行為が膨大に為されてからであることは注目してよいと思われる。すなわち、文の上に「意味」が等置されて後、それを反省的に見れば、象徴化作用が事前にあったように見える、ということが――この程度ではもちろん不十分極まりないとはいえ――一応はいえるのであった。

 

風きけば峯の木の葉の中空(なかぞら)に吹きすてられて落つるこゑごゑ

()けば散る夜の間の花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲

夕ぐれの心の色を染めぞおくつきはつる鐘のこゑの匂ひに(三首とも正徹)

 

「風きけば」という句は日本語史上初出ともされる。真ん中は定家の「春の夜の」のムードを受けついで夢幻的であり且つ、

見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな(光源氏『若紫の帖』)

との「間テクスト性」も意識しているはずだ。後は暮れ方の気色を染め「おく」で「露置く」と袖の涙を連想させ、袖の涙に映る月=(鐘を)()き=尽き果てる、と懸かって技巧的。「声の匂い」と「共感覚的」な表現が用いられている。ちなみに、『蹴りたい背中』(綿矢りさ著・河出文庫)の書き出しも、「さびしさは鳴る」以下、「共感覚的表現」である。

 

ふけにけり音せぬ月に水さび江のたたなしを舟のひとり流れて(心敬)

 

「水さび江」は水垢の濃い入り江、「たたなしを舟」は踏み板のない小舟のこと。「音せぬ月」と「共感覚的表現」による「喪失の美」だろうか?

佐藤喜久雄は、世阿弥のいう「幽玄」は正徹に近しく、禅竹のほうは心敬に近いという。どれも秀歌だろう。それでも、定家の最も肝心な面が継承されていないと思えるのだ。「後継者」の歌なり文は、やはり陳述的すぎる(、、、)、御子左流(俊成・定家の嫡流)とてもそうなのである。「室町和歌」には、近現代の、散文家のみならぬ、詩人・歌人・俳人にいたるまでの「エクリチュール」のレベルの異様なまでの軽視、または、それへすら気づきもしない無関心、その問題群の萌芽が微かながらあった。レトリックへの関心の深さでは「戦後作家」の中で随一だったろう三島ですら、定家の歌へ、所謂「カメラ・アイ」の対象記述を介した見世物(スペクタクル)を観たがるという、「詩」への浅薄な理解を露わにするのも、「室町」をとおしているからかもしれない。新古今の「共感覚的表現」の例としては次のような歌がある。

 

なく蝉の声もすずしき夕暮に秋をかけたるもりの下露(二条院讃岐)

 

近世文学を先取りしたようで「声がすずしい」あるいは「蝉の声が秋をかける」というのだ。ただ同じ「もりの下露」でも、

 

消え侘びぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしのもりの下露(定家)

 

定家の歌のほうも、読み方によっては「共感覚的表現」なりはある。だが、もはや通釈するのが無駄なものだ。象徴詩的な手法が、他の手法と複雑に結合している。「無色の緑色の観念は凄まじく眠る」(チョムスキー)といった、たんに意味的(、、、)に珍奇なシュルレアリスム風とも違い、立派(、、)な律文ながら「統語的」に錯綜しており、スクラップにしないと「意味」へも「()意味」へも回収されない。通説で異色だとされる西行よりも、新古今の「美学」を代表するといわれる定家がより一層異色である。そして、幽玄が超越的な「大虚」へあるのに対し、有心が一見して軽薄なマニエリスムであることで、(エロス)(タナトス)の文学の偉大すぎる(、、、)〈母〉紫式部から定家は、確かに乳離れしたのだった。

「幽玄の美学」では、「識」(自我)へ(異者的な)他性(ダス・アンデレ)を呼び集める。それは主意主義的であって、それは遁れがたく観照的な一人遊びである。没我・脱自(エクスターゼ)も、濫喩(カタクリーシス)も、また関係主義であっても、陳述的になってしまえば、けっきょく他者(デア・アンデレ)の取り込みによる全一性への欲望又は依頼なのであって、そのときは「判断」がエコノミーの「失われた対象」の回復作業なのである。しかし有心は、そういう「識」の全能を妄想する観照的な一人遊びではない。つまり、こころ(、、、)を有するのは他である。象徴(、、)の異化ではなく、象徴化(、、、)の異化なのであり、歌意(うたごころ)は代用的対象へ固着せず、そのつど性起するのである。したがって有心では他者が自己に於いて同定されない。「詠じられる」でなく「作られる」、もの(、、)としての歌には固有化した自他の別がないからだ。「幽玄の美学」にいう情意(「人間欲望」ともいえる)が、「否定的なもの」をあったところのもの(、、、、、、、、、)(喪失されたもの)として同定し本質存在へ「還元」(回復)するのを企図するならば、有心では、そういうカテゴライズされた領野が、予めあるのではなく、出会うべきものだ。幽玄は極限で「不在の美学」になるとしても、歌の存在条件である有心は、所与のものと関わる際の方法としてのポエトロジーである。

 

梅の花にほひをうつす袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ (定家)

 

これも袖の上に移る=映る「匂いと光」があい争う共感覚的表現ではあり、月の影とともに梅の香も懐旧の隠喩である。ただし右の定家の歌も、たんに幽玄的ではなく、漢詩取のうえで、観想的に争っているのは、歳時的な「自然美」としての春の主題「梅の花」と秋の主題「月」になっている。「もののあはれは秋にこそまされ」という伝統的価値観に対して「今一きは心も浮きたつもの」(徒然草)と時節ごとの情趣を対置した吉田兼好に先だち、かつ実作上その「批評性」が示されている。それらは「時間意識」を構成していた、古今集で確立された形相の脱形態化(ディフィギュレーション)である。

 

《かかるものが「幽玄」ならば、むしろ「幽玄」の冒涜であると思っている。(中略)屏風に向うて歌を作り、「白氏文集」の句を誦して歌をつくるは、尊からざるごとく(以下略)》(斉藤茂吉『定家の歌一首』岩波書店)

 

和歌においては、詠嘆と詞が歌意として(、、、、、)一致すべき、というのならばその通りだろう。かつてレヴィ=ストロースは、所与の物をレトリカルなレベルで再構成するコンテンポラリー・アートを批判した。その理由を大雑把にいうと、それが目前の「自然」から構造を直接に取り出す経験的なものではないからだった。日本に於いては、賀茂真淵や本居宣長がそうした「美学」を代表するとされることが未だに多い。しかし、真淵はさておき、

 

《今の歌は、歌の本意にあらずとて、古来質朴の体に、ありのままによまんとするは、かへって歌の本意をうしなふ也》(宣長『あしわけをふね』)

 

「もののあはれをしるこころ」を重んじる思想の開祖であるはずの宣長にとってさえ、「ありのままに詠む」態度は退けるべきものだった。では象徴主義で充分か、というのでも無論ない。極言すれば、「もののあはれをしるこころ」も、ありとあらゆる詩的方法を是とし要するのであり、従って、たとえ詠嘆と詞が、構成上まるで無関係だとしても、時として一向にかまわないといえる。

さて、まるで幽玄的ではない、という茂吉の(小林秀雄とも共通する)流石に的を射ているといってよい定家の歌への批判は、紀貫之の「絵にかける女をみていたづらに心をうごかす」ようである、という六歌仙の一人遍昭の歌風への批判と言い回しが似ている。

あまつ風雲のかよひ路吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ(僧正遍昭、百人一首ほか。この歌は謡曲『羽衣』で取られている)

定家と違い西行は赴いたことのない歌枕を一切詠まなかったという。西行は、「絵に描かれた女」を詠まないのだ。小説の舞台とする地を洩れなく訪れて取材した三島はやはり西行の末裔? ジル・ドゥルーズの考えを援用すると、同定するために歌枕の地へ趣き、差異のまま肯定するためには行かず文や図象を駆使する、となりそうである。誰しも「絵に描いた風景の中の女」や「脳内彼氏」(笙野頼子)にしか無償の恋をしないのだから。

2010年9月7日公開

作品集『無底と喪失』第3話 (全4話)

© 2010 月形与三郎

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