聖書の設計図をなくさぬように

上限のない電波塔(第2話)

アサミ・ラムジフスキー

評論

3,414文字

2013年11月発表、The Other Morning Callのアルバム『Fakeurban』に所収されたライナーノーツです(CD版のみ)。紙面の都合で削った箇所を復元した完全版。

つい一五〇年ほど昔まで、楽譜は音楽にとって唯一絶対の設計図だった。無形の時間芸術であるはずの音楽を有形の器に落とし込んだものが楽譜であり、五線紙に落とされたインクは作者の魂そのものなのだ――そう長いあいだ信じられてきた。

だから演奏者に求められるのは、寸分違わず作曲者が書き記したとおりに演奏すること。そして指揮者の役割も、元来はタイムキーパー以上のものではなかった。楽譜が設計図ならば、指揮者はいわばその完成を見届ける現場監督だ。よけいな遊びも隠し味も一切不要。今でこそ「生演奏の魅力はその再現不能性にあるのだ!」「ライブとレコードは別物!」といった主張が幅を利かせているが、蓄音機以前の時代においてはコンサートのほかに音楽鑑賞の機会などなく、オーケストラこそがレコードプレイヤーそのものだったことを忘れてはいけない。どのオーケストラのいつの演奏を聴いても作曲者の意図が明確に伝わるからこそ、指揮者の存在価値があったわけだ。

ところが現在、クラシック音楽の世界では「指揮者で聴く」というリスニング・スタイルが主流となっている。『第九』はフルトヴェングラーが絶品だとか小澤征爾なら『火の鳥』が白眉だとか、こうした言説はクラシックに興味のない人でも一度くらい耳にしたことがあるに違いない。指揮者によって曲の解釈が変わるのは当然だとされ、その違いが演奏にも大きな差異をもたらし、聴衆もその事実をごくふつうに受け入れている。そして録音技術の恩恵によって、同じ指揮者の別ステージの演奏すらも比較の俎上に載せられるようになった。今、指揮者を単なる裏方だと考えている人間はほとんどいない。

 

「指揮者による解釈」をはじめて音楽に導入したのはハンス・フォン・ビューローだ。ビューローというと、ワーグナーに妻を寝取られた(が、それさえ黙認するほど心酔していた)というゴシップが有名だが、本業の指揮者としての功績も並外れて大きい。近代的指揮法の歴史はビューローとともにあるとまでいわれるほどだ。彼の指揮がいかに革新的だったかは、当時の批評を紐解いてみれば一目瞭然だ。なかでも『音楽美論』で知られる辛口批評家エドゥアルト・ハンスリックをして「まるで手の中の小さな鈴を振るかのようにオーケストラを振った」とまで言わしめたことは特筆に値する(ましてハンスリックは反ワーグナー派の急先鋒だった)。

そもそもビューロー以前には、作曲者自らが文字どおり現場監督としてタクトを振るケースが大半で、職業指揮者などというものはほとんど存在すらしなかった。解釈の導入が近代的指揮の原点と考えれば、解釈の豊穣さによって指揮者の評価がなされるようになるのは必然だった。音楽史におけるビューローの登場は、音楽を楽譜から切り離した「断絶」の事件だともいえる。

もっとも、有史以来すべての演奏は一度きりのものであったはずだ。どれほど卓越した演奏家を掻き集めたところで、まったく同じ演奏が何万回と再現されるだなんていうことは絶対にありえない。演奏者はロボットではないのだ。楽器の演奏が肉体と無縁ではいられない以上、必ずやそこにはなにかしらの揺れや訛りが介在せざるをえなかった。ビューローはむしろ「切り離した」のではなく、直結しているかに錯視させられていた、目に入っても見えないふりをしていた大きな溝を、極太のマジックペンでなぞって顕在化させたのだともいえるだろう。

身体性から逃れることができないのであれば、いっそのことその不確定要素さえも作品内に取り込んでしまえ――ビューローが解釈を導入した背景にはこういう思いもあったかもしれない。結果的にビューローは音楽と楽譜のみならず、現実と幻想をも断絶してしまう。ピアノの誕生以来多くの音楽家が志向しつづけ、サイン波の発見によって夢を抱き、録音技術の発達によって絶望することになる純粋性/身体性の限界――テクノイズの不可避性を一世紀ばかり先取りしていたということになる。

 

ビューローの死から一二〇年が経過しようとしている現在、ポップミュージックにおいてテクノイズを懐柔することは常套手段となった。ただし、かつてのように解釈という抽象的な要素にそのコントロールを委ねるのではなく、具体的な形のまま取り込むことが可能になったのが大きな違いだ。発声時の息継ぎ、ピアノのペダル、弦をこする指、その他物音やノイズ。それらを音楽と不可分のものとして認め、積極的に音楽的に捉え直していく試行は、エレクトロニカ以降の時代にあってはもはや実験的でも前衛でもなんでもない。

こうした手法が生まれたのも、言うまでもなく録音技術の恩恵だ。「身体性を排除することが不可能である」という絶望的な事実を突きつけることになったこの忌々しき技術が、時を経て逆に光明となったのだからなかなか因果な話ではある。あらかじめ音盤として固着された音楽ならば、再生ボタンを押すのがカラヤンであろうと赤子であろうと野良猫であろうと、スピーカーから鳴り響く音が変わることはない。音楽家はついに、音楽を完全なる管理下におくことに成功したわけだ。

完璧なコントローラビリティを獲得したからこそ、音楽はより自由度を増していった。二度と再現できない即興も、実演不可能な一人多重録音も、コンピューターなしでは生まれえなかった緻密なサウンドコラージュも、始点と終点さえ定めれば作品となりうる。コンポジションとアレンジとの境界線を滲ませ、ソングライティングとサンプリングとの峻別を無意味なものとし、楽音と物音とを等価な波形に変え、楽譜の存在すらも遠くへと追いやるこの旅路で、音楽が指揮者と出会うことはもうない。行程も交通手段も宿泊先もすべて自分できめなければならない旅は困難だが、どこまでも楽しく自由だ。

 

そんな自由さの極北に位置しているのが、今作、『Fakeurban』なのだろう。TOMC=坂井多果はノンミュージシャンだ。今作中、坂井が自ら演奏している音は数えるほどしか聞こえてこない。TOMC名義以外にもいくつかのバンドで音楽活動を展開しているが、そこでも彼は一般的な意味での「演奏」はあまりしていない。それでも間違いなく彼は「音楽」を鳴らしている。楽器を操らなくても、レノン=マッカートニー的ソングライティングから距離をおいていても、バークリーメソッドを囓っていなくても、脳内で響く音を理想のままに具現化できる。そしてそのことになんの負い目を感じることもない。これはけっして、無知という意味でも、あえて無視しているという意味でもない。MP3世代の坂井にとって、音楽のコンテクストとテクスチュアを分離して捉えるのは自然な発想なのだ。その証拠に、彼の音楽的バックグラウンドは、幅・奥行きともにきわめて広い(無節操だと形容したくなるほどに!)にもかかわらず、TOMCのサウンドからはほとんどその片鱗を見てとることができない。

広大な海のなかから貝殻を拾い上げては積み上げ、積み上げては蹴り飛ばしていくような音の世界は、ユートピアかはたまたゴーストタウンか。まるで針の飛んだレコードのように、地続きの断絶と無自覚の組み替えがなされる歴史。この贋物の都市の指揮者はずっと処刑台に磔にされたまま、ありもしない歴史の息吹に耳を傾けつづけている。

 

ところでビューローは、J・S・バッハのクラヴィーア曲集を「ピアノの旧約聖書」、ベートーヴェンのピアノソナタを「ピアノの新約聖書」だとそれぞれ評した。この有名な発言は、しばしば大バッハとベートーヴェンの偉大さを讃えたものだと捉えられているが、しかしビューローの指揮へのスタンスを知ったうえでこの発言をあらためて見ると、これは作曲という行為の神聖さを認めながらも解釈の可能性にこそ着目した発言だったのだととることもできる。なにせ聖書は、その解釈論だけでひとつの学問分野となるほどなのだ。

そこであえて、僕はこのアルバムを「電子音楽の新約聖書」と呼ぼうと思う。コラージュという断絶のくりかえし作業により、作者の意図を音楽の内側へと取り戻したことは、きわめて音楽に対してラディカルな態度だと感じるのだ。もっとも坂井多果本人がそのあたりについてどう考えているのかは、おそらくこの作品を聴くうえではあまり関係ない。

2015年8月14日公開

作品集『上限のない電波塔』第2話 (全5話)

© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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