聞いていた話と違っていた。
スーパーの棚はガラガラ。入荷の見込みは未定という殴り書きのメモが貼ってあるだけ。ベルリンに住む田沢が撮ったその写真のキャプチャーには「さすがのやっつけ感漂うクオリティー」と書かれていた。
ドイツが危機に瀕しているなどという報道は日本のメディアではまったく触れられていないし、ネットニュースにすらなっていない。ロシアに対して経済制裁と武器兵器の供与、それにパイプラインの受け入れ停止という措置を取っているとしか報道されていない。いわゆるポジティブな報道だ。ネガティブな報道はない。
理由ははっきりしている。ネガティブなことなどな何もないからだ。経済制裁をしてもパイプラインを停めても、ドイツ経済には一切何の影響もない。
田沢は卵も牛乳も小麦粉も買えなくなったと言っていた。スーパーの棚はどこもすかすかで、品不足は深刻。四月からはコロナの助成金も振り込まれなくなったらしい。
ロシアと戦争をしているのはウクライナで、ドイツやアメリカ、日本、西ヨーロッパ諸国はそのウクライナを支援し、ロシアに嫌がらせをしている。ロシアに嫌がらせをすることによって生じる不利益はないことになっていて、そんなことを一言でも言おうものならロシアの回し者にされてしまう。
中国はロシアを支援していることによって、同類と見なされ、投資などの対象からは外されつつある。台湾に侵攻してロシアみたいなことになれば、金をドブに捨てることになるからだ。
田沢からあてにしていた助成金が振り込まれないから貯金が底を突きそう、というようなラインが来た。急遽Zoom会談をし、どんな感じかというのを訊いた。すると、もうあと日本円で言うと六万くらいしかないと言うので、じゃあ、そのコロナの助成金分だけでも貸すわということになった。
聞くと他のドイツ人たちにも支払われていないようで、これは国の財政が危機に瀕しているからだ。日本は所詮ロシアなんて遠い国で大した影響はないが、ドイツにとってロシアは最大の貿易相手国で隣の隣の国なわけで、それで影響がないわけはない。ロシアは資源を有り余るほど持っていて、ドイツはその資源が必要不可欠で輸入しまくってきた。今回のウクライナ戦争によって、そのお互い理にかなった蜜月状態が断たれた。
メルケルがいれば、こんなことにはなっていなかっただろう。
ロシアにとってウクライナのNATO加盟は決して譲ることのできないレッドラインで、プーチンはそう公言していた。だが、あのゼレンスキーというタレント大統領はそれを公然と表明し、ロシアに軍事侵攻された。当たり前と言えば当たり前の話だ。
それをやったら軍事侵攻するぞと言われていたことをやって、軍事侵攻された。メルケルがまだドイツ首相の座にいれば、ゼレンスキーにそんなバカなことはさせなかっただろう。ヨーロッパで戦争を起こって何万人もの死傷者を出したくないからだ。東ドイツ出身の彼女は、人間が同じ人間をどちらかが全滅するまで殺し合うという行為の愚かさがよくわかっていた。だからたとえ政治的な考え方が違っていたとしても、あくまで平行線を保ち、対立はしているが戦争はしていないという状況をキープしてきた。
だが彼女が去り、理念の脆弱な男がドイツ首相の座に着き、アメリカではジョー・バイデンという目的のためには手段を選ばない七十七歳の老人が大統領になった。四年後や未来のことを考える必要のない人物を大統領にしてしまったということは、アメリカと世界にとって悲劇以外の何ものでもない。
田沢のツイッターは拡散され、何万人もの人がガラガラの棚や店員の書いた「入荷未定」という殴り書きのメモを目にしたようだった。だが、メディアやネットニュースには一切取り上げられなかった。ロシアへの経済制裁に対する反対とみなされてしまうからだろう。ロシア側に立つということは今の日本では絶対にタブーだ。
考えてみれば、長い話なのだ。ウクライナでは二〇〇四年にオレンジ革命というのがあって、新ロシア派の大統領が失脚し、民主派の大統領に変わったが、その大統領が失政を重ね、結局元の新ロシア派の大統領に戻ってしまった。さらにジョージアという国も関係していて、そこが独立を宣言したときに……。
つまり、
複雑な長い話を多くの人は嫌う。
単純な短い話に多くの人は飛びつく。
悪いのはどっちで、善いのはどちらか。
強いのはどっちで、弱いのはどちらか。
複雑で長い話を、単純な短い話にしてしまう。
お前らの頭はどこへ行った?
トントントン、お留守ですかー?
日本がウクライナみたいになったら、みんな考え出すだろう。
想像や仮定の話をしても意味がない。
そんなものはマウンティングのためのマウンティングです。
東アジアでのこのヒリヒリするような緊張状態が、戦争へと移行しないことを望む。
[了]
"聞いてた話と違う"へのコメント 0件