男はいくつかのダンボール箱に自らの所持品を分けていた。一見用途不明のガラクタのようなものが多いが、その男にとっては何か思い入れのあるものなのだろう。不要物は全て半透明のゴミ袋に詰め込んでいて部屋中に置かれていた。ダンボール箱の数よりゴミ袋の方が多かった。
部屋から何往復もし、ゴミ袋を捨てにいくとやっとフローリングの床が見えた。男はそこに座り込み、ダンボール箱の上で宅配先の住所を記入した。宅配先の住所はそれぞれ別の場所であった。
そこに女が帰ってきた。男よりも年上の女で、今日は気分がすぐれず、早退してきたのだった。真昼のことだ。女は玄関のドアを開けた瞬間から一つの部屋の様子がいつもと違うとすぐに察し、その部屋のドアを一気に押し開けた。
「ちょっと、どういうつもりなの」と女が少しかすれた声で男に言った。
男は少し驚いた顔をしたが、そのまま黙り込んでしまった。そして再び俯き、宛先の記入をしながら少しずつ話し出した。
「今日は帰りが早いですね」
女は男の呑気な言葉に少し腹を立て、何かを言おうとしたが、その前に男が口を開いた。
「少し、ここより遠くへ行こうと思いまして」
ドアを開けたところから動けなくなってしまった女は、目に涙を浮かべ「どこにも行かないで欲しい」と呟くと大粒の涙をボロボロと溢し、声をあげずに泣きだした。
「君が泣くと思ったから、こうして君のいない間に支度をしていたんですが、失敗してしまったじゃないですか」
男は手に持っていたボールペンをダンボール箱の上に転がし、煙草に火をつけた。煙が開け放った高い窓から青い空へとするすると吸い込まれていった。白かったはずの部屋の壁はすっかり薄黄色く染まっていた。男が煙草を吸っている時間がやたらと長く感じた。男も女も、互いに同じように感じていた。
夕方、男は「長い間、ありがとうございました」と女に言うが、ベッドでうつ伏せになったまま女は一言も喋らなかった。
男はしばらく困った顔をしていたが、女の髪にそっと触れ、そのまま風のように部屋を出ていった。
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