インドネシアと

山谷感人

エセー

1,189文字

アパ・カパール?

二十代前半の頃、バックパッカーをしていた時期があった。猿岩石が話題にもなり、そうした時代だったのだろう。日本テレビに「次、俺を使えや」と直接にテレフォンし「事務所経由で」と云われて「俺はフリーダムだから」と返答し即、通話を終了されたのは、忘れない。
諸々な国を廻ったが、一等、肌に合ったのはインドネシア。無論、バリ島がメインで向かったが、スマトラ、ジャワ島の方にも訪れた。ジョグジャカルタなる地域で僕は道に迷った。一人旅だし、ガイドブックなどクソだと思っていたし。その時、少し年下の青年が「どうしましたか? 日本語の学校に通っているモノです」とヘルプレスして呉れた。あのシーンは、現在でも鮮明に憶えている。
やがて三日、その青年の家に無料で泊まらせて貰い、敬虔なるイスラム教徒ではなかったのでビンタン(インドネシアのビア名)も御馳走になった。「御世話になった。いつか、日本語学校に通っている君がヤポネに来た時は、恩返しするぜ」と伝え僕は次の目的地、トルコへと。サンパイジュンパ・ラギ。
その青年は、やがて実際、日本に来た。住所は教えてエア・メールで、やり取りをしていたので成田空港まで迎えに。長野、松代に研修生として住む、との事であった。それから僕が松代に遊びにやら、彼が東京に来た時は往時、御徒町に住んでいた僕の部屋に滞在させたりした。ガティス・ハント(ナンパ)も成功率は低いが、よくした。
だが然し、やがて彼も日本に毒されて、変わってきた。六本木とか教えたのは、僕の罪ではあるが、金銭使いが荒くなった。「このビンタン、インドネシアでは百五十。今、このバーで飲んだら八百円、している。俺は君の父兄にもインドネシアで御世話になったから、やめておけ」 「ティダアパアパ(大丈夫)」そうしたパターンが何度も続くようになった。ラスト、ローリング・ストーンズのチケットが入ったから一緒に東京ドームに行こうと云われた時。
「そのチケット、どう購入した?」
「六本木の日本人経由で」
「お幾らした?」
「三枚で八万円」
「君、騙されているよ」
まあ無論、ローリング・ストーンズの講演は僕も行ったが、その、取り巻きに洗脳されつつある彼とは徐々に、お互いに会わなくなっていった。やがて音信不通。

それからインドネシア語を一切、使っていなかったが先日、世界の東、その西の果てナガサキにて僕のフットワークの軽さから九州のインドネシア人を管理しているマザーと友人になった。諸々なる会話をし、在日のインドネシア人だけのコミュニティにも「ユッ(行こう)」と誘われた。コレが、これからの僕の人生に、どうバックパックするかは判らないが、愉しみに参加して行く。
ただ然し、彼女達は敬虔なるイスラム教徒なので「ビンタンは、駄目よ。今もアルコール臭い」と早くも小言は頂いた。
アク・スカ・ガティス・チャンティック(私は可愛い女性が大好きです)。

2021年3月15日公開

© 2021 山谷感人

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