夢のなかの同窓会

中田満帆

エセー

5,710文字

人生はむつかしい。ルー・リードのようにはいかない。

 

たまらなくなって、おれは懐いだす、朝の早い時間を走る軽トラックの車窓、回収量の進歩を褒めてくれた業者の男、新聞紙と一緒にビールを何本もくれた、両手のない老人、おれにやさしく、身の振りを案じてくれた禿げ頭の老人、作業中に見つけた、ひとりの女の、30年にも渡る日記、そしておれを敵視して追いかけて来た、子供会のくそ老いぼれども、長雨の午後、道をまちがって京都までいってしまったこと、いまとなって懐かしいすべての愚かさやなんか、みんなおれにとって教師だった。遙かな土地を飛びあがる、貴人のような時間たち・・・ ・・・。
きょうの陽が落ちても、夏の熱波がたえまなく流れ、その澱のなかをひとり、夜になって歩きだしたのは、けっきょく金が入ったから。おれはもう首だったけど、役職の2番めの男がおれに金を恵んでくれた。なみはや紙業をでて、歩きだしてしばらく、車がいちだい停まった。若い男女が乗ってる、かれらはおれに枚方の方向を訊く。おれは正反対のところを教えて差しあげた。かれらは礼をいって走り去った。通りに灯りは乏しく、まっすぐな道が不安にさせた。おれは瓢箪山の駅にむかって、もはやひと通りもテーマ・ソングもないアーケードを抜ける、知らない路線の、知らない列車に乗る、巨きな男がそそり立ったままチーズバーガーにかぶりついて、ずっとこっちを見てる。やつがなにを考えてるかは知らない。ただ眼を合わせないように我慢して、あとは中心街にむかってゆられる。
くだらない仕事だった。古紙回収は利益にもならない。喰うものもままならないまま、日を過ごしてた。あるとき、タイヤがパンクして、それでもおれは修理さえせずに仕事を放棄した。さらに免許の更新期限を過ぎてしまった。どうしようもない、ああなっては首を待つしかない。とにかくゆく宛はなかったけど、移動することでしか、じぶんの存在がなり立たないような気がした。粘り着くような、汗染みの衣類、そしてだれかが気にかけるかも知れないじぶんの体臭のことなんかを考えながら、大阪本町までいき、そっから乗り換えて梅田にいく。馴染みのある風景が車窓いっぱいにひろがり、安堵した。実家に帰るだけの運賃を残して、おれは呑み歩いた。ウィスキーのポケットをやりながら繁華街をいった。おれは飲み屋街の片隅で、路上に坐って、やがて来るだろう、人生への、まったくの失望とともにして酒を呑みつづけてた。時間はもう遅い。おれはそのまま眠った。
「ミツホやないか」
だれかが近寄ってくる。でも、その貌がわからない。存在がちかいというのに、それらしい感じがしない。臭いもない、音もない、かげもない。ただ黒々としたと、どんつきに立ってるだけのように見える。
「そんなところでなにをやってるんや?」
「おい、こいつだれやねん?」
「おなじクラスにずっといた、ナカタってやつやねん」
「へーっ、こいつ、酔ってんの?」
「そうらしいなあ」
「まさか、連れてくんか?」
「どうやろ?」
男たち、女たちの騒ぐ声がした。おれはいわれるがままにした。これは明晰夢だ。おれはこれが夢だってことを理解してる。酒をいっぽん、そのまま呷って、立ちあがった。それにしても、なんと大勢なことだ。15人ほどの人間どもがかたまって、なんの意志も感じさせない眼をしておれを見てる。軽蔑、侮蔑、嘲笑、不安、そして怒り、そんな感情がおれのなかにとぐろを巻く。なにをやってるんだ、きみらは。おれはこうして酒に酔って、今夜の塒を探すところだった。
「おい、ミツホ来るか?」
「ああ、いくよ。――いくとも」
何人かが笑った。腹が立ったが、どうしようもない。おれは12の瞳のうち、3つを使っておれを見るのを遮った。データ回線がやぶられてる、鼡の、心臓が0度を下回るまで、きっとまだまだかかるのだろう。太平洋艦隊との連絡がつかないのは親父がおれを瞞し、そしておれの大切なものをすべて火にくべてしまった13歳のときからだ。おれはそれから絵を書くのをやめ、文藝に走った。だってパロールってやつは紙とペンさえあればできるからだった、廿日鼡と人間の戦いがあって、塹壕のなかの酒席でおれは上座に降ろし、背嚢を傍らに、注文を繰り返した、侵入を繰り返した、そして見た、虐殺されたハマチの切り身を、唐揚げを、馬刺しを、公共空間の切り身に添えられた、憐れな人間どもの哀歌、さりげないふりを決めてやってくる、無数の、男女の、嬌声の、共鳴。おれは乾杯もあげずにビールを飲み干す。だれかがおれを攻撃する。
「やめろ、おれは呑みたいときに呑むんだぜ」
「酒癖わるいな、おまえ。いつからそうなってん?」
「12歳から」
「え?」
「おれの脳味噌はもう腐ってるんだよ」
だれもが呆れた貌でおれを見てる。帆立のダンス・フロアで女たちはおれに冷たい一瞥をむける。どうせなら、このなかからだれを撰んで、おまんこしたい。でも、ちゃらちゃらした醜女ばかりで、おれの面食いないちもつはピンともしない。
「サイトウユリコはいないの?」
「いないよ」
「なんだ、かの女はおれの初恋だったのにな」
「おお、そうやったんか。はじめて聞いたなあ」
「それにしても、ここに集まってるのはどうでも半チクばかりだ」
「なんやと」
ウエムラトオルの貌が真っ青になった。おれは耳の穴から万国旗をとりだす。しかし、その旗にはおれの見てきたポルノ動画のサムネイルが貼ってあって、おれは急に恥ずかしくなって、旗をテーブルの下に押し込み、なんでもないようなふりで、もう1杯のピールを呑んだ。
「あーっ、あたしのビール呑まないでよ!」
「わるかったよ、カワイコチャン」
「そういうの、やめて」
どうやら万国旗は見えなかったらしい。鋼鉄の痴女がおれを見守ってる。たぶん映画ってのは地平線を遮る唯一の手法なのだろうなとおもって、おれは刺身に手を展ばした。まったく、どうかしてる。
「――いまさら訊くけど、なんの集まり?」
「同窓会やで。中学の」
ドウソウカイ?――ちょっと待てよ、ジミー、どっかで聞いたことのある単語だ。綴りはdoh saw kaiだっけ。いいや、導想界だったような、ああ、でもこれが太陽神のお祭りだってのを、母方の祖母に聞かされて西脇の縁日にいったような記憶もある。たとえば房総半島でハマナスの唄を歌ったときの、映像や、記録係のまちがいだったり、そのほか大勢のエキストラがそれぞれの映像論を必ずしも持ち合わせてないときに使う符号だったりすることが最近の農家学と政治家との癒着で判明したってことをユリコから聞いたような、秋の罪深い景色と重なって見えてる、この情景こそがドウソウカイなんだっておもった。
「おれは呼ばれたことがないね。たぶん一生呼ばれないだろう」
「でも、おれたちはこうしてミツホと呑んでるんやで?」
「そうはいってもな。タイムカプセルのこともあるしな」
「え?」
「小学校さ。――おれは連絡を1年待ったよ」
「おいおい、そんなこと蒸し返してどないやねん!」
「要するにおれは拗ね者、ってわけだ」
「ミツホのいってること、ようわからへんわ」
女が声をあげた。フクシマというやつだった。
「おれはもう24だぜ。淋しくもなるよ」
「そうかもわからへんけど」
かの女は貌をうつむけたかとおもうと、ほかのやつにほかの話を差し向けにいった。たぶん、透明の幕がおれを隔離してるんだ、艶のない、マットな質感の。そして透視図法の学習に失敗したおれはろくに風景画も描けずにいまに至る。いくらいい絵を見ようが、おれは負い目があって、それを直視できない。だからおれは画集を買わない。写真集しか買わない。絵画はおれの劣等感を刺激する。夜の公園で、父の叱責と折檻を怖れ、夜通し過ごした、15歳の1年が脳髄のなかでパッと散らばる。半円形に切り取られた、感傷が虚ろな満員電車のごとく過ぎ去って、丘のうえが淋しい。サム・シェパード、パード、ドーハ、ハーネスト、トロツキー、キーウエストのヘミングウェイよ、いままさに拡がる憎しみをどうしたらいいのか、教えてくれ!
「ところでミツホは定時制にいったんやっけ?」
おれは黙って肯いた。
「カブで走ってるとこ、見たことがあるで」
おれは黙ったままだ。
「ところで、絵ぇまだ描いてんの? うまかったなあ」
おれは嘲った。
「絵だって? とっくにやめたよ。――美術部は追いだされるし、親父には絵も画材も燃やされてしまった。おれにはもう大切なものなんか残ってないんだよ! たとえここにいる全員に憎まれようがおれに興味もないね。それにあの美術部の連中と来たら、顧問のババアも含めてまるで救いようがない。いかがわしい本を持ち込んで、嬌声をあげるくそったれな雌豚どもだ。あんなやつらにホッパーの筆使いや、ムンクの作風の変遷についてなんか語ってもらいたくないね。どうせ、恋愛すらできないオタク女どもに、いったい全体、藝術のなにがわかってたまるかよ!」
「いい加減にして!」
声をあげたのは見たこともない女だった。
「あんたとおなじ美術部だったけど、あんたはまじめに絵を描いたことなんてないじゃない! いつもすぐに帰るし、果てはひとの陰口なんか叩いて、先生に追いだされたくせに! それもたった2週間、――2週間やで! ひとのこというまえにやることがあるやろ!」
それまで回転をしてた基督像がとまった。機銃音がやんだ、深夜のニュース番組でナカタミツホが自殺を図ったと、ヘッドラインが告げるのは、どういったわけだろうか。悲しいことなんかなにもないのにパンケーキにシロップがかけられ、やがて浸透するのはいったい、どういう料簡だろうか。料亭の隅っこで臍を嚼む珍品堂主人のかげ。かれは店を乗っ取られた。船長は昼食へでかけ、船員が船を乗っ取ってしまった。貝は淋しい。特別、二枚貝は。臨場のように、半額セールのように、食べかけのハンバーグのようにいまはただ悲しい、悲しい、悲しい、悲しい。すべての夢は出来損ないのセックスの結果だ。ゼロのなかでわれわれは協力しなければならない、でもおれは論外だった。おれは笑った。そうとも、おれには笑いが必要なんだ。
「すまんな、冗談だ。ほんの冗談だ」
「あたしにはそう見えないけど」
かの女はうらめしそうに眼をしてる。でも、すぐにジョッキに顔を降ろした。機械的なリズムがする。はなればなれになったテンション・コードが不協和音を奏でるみたいにおれはそのリズムのなかに自身を埋葬させながら、ひとつひとつの科白をゆっくり、ゆっくりと、喋くってみた。
「――ところで、おれはいま文なしなんだ、オケラだ、棲むところもないんだよ」
「それがどうしたって?」
だれかがヤジを飛ばした。ツダという長身の男だ。
「きょう仕事を首になって、寮も追いだされて、困ってるんだ。4千ほど貸してくれないか、一生のお願いだ、帰る家さえないんだよ。家族には勘当されてるし、小さいころは折檻されつづけてな。そう、中学時代は公園で寝泊まりしてたくらいだ、どうかわかって欲しい。金は必ず返す。誓っていうよ。おれは臆病者だ、自殺さえできない。だからきみらに逢えてほんとはうれしいし、この奇跡を大事にしたい」
「うそこけや!」
またしてもツダだった。
「でもおれには必要なんだ、どうか頼む!」
おれはトオルやヨシムラをはじめ、馴染みにあるやつらの貌を見ながら喋った。草臥れ、もう仕方がないといった体で、3人が財布をだし、金を抜く。まさしく僥倖である。
「いいか、ミツホ。おまえはもうオシマイなんやで。これっきり、もうおれたちのまえに現れるなよ」
蔑みのなかでトオルがいった。おれはもうどうでもよかった。西成のどやにでもいって落ちぶれるだけだ。そうおもった。たまにはこういう夢があってもいい。とりあえず、ハマチを平らげ、馬刺しを一切れ喰い、ふたたびビールを呑んでかれらとともに店をでた。おれたちは正反対にわかれた。だれもおれをふり向かない。それもそのはず、かれらのバックパネルには仕掛けがあって、冷蔵庫が回転しないように防御装置が働いてるからだ。アルミにも、ステンレスにも、青銅にも涙があって、それを拭う布巾がないからといって、そのままにはできまい、きっと分裂作動のオートマティック車がかれらを導く標となって、橋田壽賀子の腐りきった作劇のようにどぶ河の表面を滑走してるにちがいないのだから。そしておれは中之島を臨む河岸で、陸を引いて眠った。夢のなかで眠った。やがて黄金に緑青を溶かしたみたいな朝焼けを見た。駐輪禁止の柵のなかでおれはからだを起こして、強ばった全身を解す。ふいにポケットを探る、金が入ってた。なるほど、子供の靴紐を解くようにおれは人生を乗り切ることができる。そうだ、本を買おう。ジョン・ファンテでも買って、あたらしい作品について考えたい。おれは作家になるんだ。そんなことをおもって、堤防のうえを、ワイルドサイドを歩く。あのふたつのコード、それがおれを導いたんだ。”And the colored girls go”――おれは口遊む。”Doo do doo do doo do do doo…”ってね。
そのときだった。足が滑って、おれは踏み外し、じぶんの歌声を聴きながら、水のなかへ、澱む河のなかへ落ちてった。”Doo do doo do doo do do doo…”――もうなにもわからない。どっからか、レモンの匂いが漂い始めた。これはいったいなんなのか、もしかすればこれこそ、おれがいままでずっと求めつづけてきた経験なのか。おれは泳げなかった。最期に泳いだのは13歳の夏だった。教師ども誘われて、落ちこぼれや知恵おくれどもと一緒に海へいったこと、遠い小島にむかって泳いだこと、溺れそうになったこと、そしてその旅をきっかけにカワチとかいう皰だらけの醜いヤンキーにしつこくちょっかいかけられるようになったこと、それから国語の女教師の、過干渉ぶりなんかを懐いだす。暗い河で水死してから、しばらくおれはおれでないものを、おれのなかに見つけたような気がした。そうとも”Doo do doo do doo do do doo…”だってね。

2020年12月22日公開

© 2020 中田満帆

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