東京ギガストラクチャー (三十二)

東京ギガストラクチャー(第33話)

尾見怜

小説

11,547文字

官房長官を逮捕してみたいっていうのは攻殻SACを見てからずっと夢でした。自作小説とはいえ夢がかなってうれしい。

杉山シュウジの襲撃から一カ月経った二〇六五年十一月十八日、俺はイスラエルから帰国した。
そしてギガストラクチャー霞が関エリア八階、首相官邸の内閣官房長官執務室に向かっていた。ケガが完全に治っていないので左腕のギプスと生傷だらけのままだった。
俺は執務室のドアを開けて中を見渡した。部屋の中はすべての壁が本棚になっていて、親父の書斎によく似ている、と思った。部屋の奥には観世官房長官と一人の白人男性が座って話をしていた。俺は近づいて、やあ、と挨拶をした。急に入ってきた俺に対して、観世は驚いていた。
「なんで部外者がここに入ってこれるんだ、セキュリティはなにをしている」そう観世が叫ぶと、様々な人種の武装した兵士達が部屋の中に十人ほど入ってきた。
「俺はあなたと話がしたいんですよ、なにもしませんから安心してください、観世さん」
俺は観世にそう言って、もう一人の白人に挨拶をした。
「私はイズミテクノサービスの和泉と申します、主にセキュリティコンサルの仕事をしております、失礼ですが、あなたは」
「私はカナダ商務局次長 クリストファー・マッカランです」そう言って白人は笑顔で名刺を渡してきた。俺は名刺を受け取ると破いて地面に捨てた。
「堂々と嘘をつかれるのは気分が悪いを通り越して笑える、あんたはカナダ人ではなくアメリカ人だろうが、ブルッキングス研究所主席研究員極東アジア担当のジョージ・マクラクラン、日本研究のスペシャリストだ、次代のジャパンハンドラーといったところかな、米国民主党のブレーンでもある……合ってますか」
俺がそう言うと白人は目を伏せてなにも言わなくなった。
「アドリブはあまりきかないほうですかね、まあいい、ひとつお願いがあります、ミスターマクラクラン、あんたとあんたの研究所の人間は二度とこの国に来るな、約束してくれるかな」
「そんなことは私には約束できない」
「仮にこの警告を無視した場合、あなたの故郷であるアーカンソー州ハワード郡に住むある平凡な家庭になにかが起きる」
俺がわざとアメリカ的な婉曲表現をしてやったのに、いまいちピンときていないようだ。
「もうすぐ姪が生まれるんだろう」
「なぜ、それを知っているんだ、妹夫婦とお前は関係無いだろう、何者だお前は」
いきなり感情をむき出しにして怒り出した、だがこれは演技だ、まず鉄槌で相手を撃ちすえて、その後になぜ殴ったか説明する、これがアメリカだ。
「怒らないでくれよ、お祝いの贈り物を送るだけだよ、今中身を決めかねてるところで、もしそうなった場合に備えて好きなほうを選んでおいてほしい、準備もあるしね、チューズワン、B、オア、C」
「お前は一体何を言っているんだ、BとCから選ぶのか、AとBじゃなくてか、なんのことだ」
「またまたとぼけちゃって、Bはバイオ、Cはケミカルに決まっているだろう」
典型的なWASPであるアメリカ人は白い顔を青くした。表情は警戒心を隠そうとしていなかった。インディアンを殺した彼の先祖は、こんな表情をしないはずだ。彼らは牙をむいてきた敵をもっと淡々と殺したはずだ。
「アメリカにまた炭岨菌でもばらまく気か、そんなこと許されるわけがないだろう」
「いきなりどうしたヤンキー、お前らはいつも上から、余裕で寛容、強者としてふるまうんじゃないのか、メキシコ製の葉っぱが切れたのか、俺はムスリムじゃないけどテロならもっとうまくできるよ、お前のイギリス由来のご自慢の家系を根絶やしにしたら、次は三沢の在日米軍のB-2でも鹵獲してワシントンを空爆してやるよ、俺たちにはその準備だって進めているんだ」
「そんなことはできるわけがない、ふざけたことを言うな」
「いずれできるようになるんだな、それよりもうすぐ生まれてくる姪っ子がお前のせいで奇形児にならないといいけどな、アメリカ人は奇形児が生まれたら殺すんだっけか、それとも気にせず洗礼するのか、昔の聖人の名前を奇形児につけたりするのかな、お前の妹は奇形児にも寝る前にマザーグースを読み聞かせるのかな」
「黙れ、不愉快だ、長官、今日のところは失礼します」
「もう長官には二度と会えなくなるよ、残念でした、最後にもう一つ、俺はあんたらがここにいる観世を使ってこの国にやろうとしたことを絶対に許したりしない、お前らには必ず然るべき報いを与えるから楽しみにしてい」
アメリカ人は汚い言葉で俺を罵りながら、立ち上がり長官室から出ようとした。俺は腕を力の限りつかんで制止した。怒りと恐怖がこの男を支配していた。
「最後にもうひとつ、俺たちは純日本産でAIフェーズ5のアルゴリズム及びソフトウェアを開発した、マーカスⅤというんだ、それはお前らの国が作ったレーニナⅣより優れたものだ、ハードの性能も必要だが、一般的なアンドロイドに入れればカフェの店員くらいならできる、ランダムに配置してあるテーブルを避けながら客に注文を取りに行くことができるんだ、何が言いたいかというと、俺たちの作ったAIの基幹ソフトウェアがレーニナⅣのシェアを塗り替えるということだ、お前たちアメリカ、NSAが当然の様にやっているAI経由の盗聴や窃視、データ収集も出来なくなる、逆に言えば日本が、俺たちのAIが全世界の情報収集をするということだ、俺たちの作ったAIより優秀なものを頑張ってDARPAで作らないとな、さもないとアメリカのAIすべてが俺たちの情報収集用エージェントとなる、理解できるか、今、日本はアメリカに牙を剥いているんだぞ、忘れるな、日本はおまえらを庇護者ではなく敵としてみなしているんだぞ」
アメリカ人は俺の顔を最後に一瞥して、俺の手を振り払って部屋から出ていった。いずれまた会うことになるだろう。

そして残された俺と観世は、おたがいににらみ合った。
「どこまでジョークだって気づいてくれましたかね、長官、さすがに在日米軍の鹵獲は無理ですよ、それに奇形児が生まれるのは枯葉剤でしたね、そういえば、沖縄で昔使われたやつだ、あとあいつはプロテスタントだから洗礼はしないか、つい腹が立って興奮しすぎた……」
「君は米国をなんだと思っているんだ、あいつらにはかなわない、決して……」
「そうでしょうね、僕もこれでかなりまずい立場に立ちました、もしかしたら暗殺される可能性も十分ありますね、アメリカと日本の差など重々承知してますよ、国力に大人と子供以上の差があります、アメリカが本気を出せば中露の侵略どころじゃなく、食糧封鎖と金融締め付けで日本はあっという間に飢えて死ぬでしょう、ただ今回は瀬戸際だったんです、日本としても譲れない一線だ、ここまで産業と教育を壊されては立ち直れない、もう窮鼠猫を噛むをやるしかない」
俺はしゃべっているうちに目の前に座っている外斜視の男に腹が立ってきた。
皆こいつに殺された、決して許しておけなかった。
「それにあなたのような男は個人的に我慢ならない、よくもここまで遊んでくれたな」
「君たちは今までどこに隠れていたんだ、かなり探したからその分費用もかさんだよ、でも覚悟を決めたようだね、潔くて結構だ」
「そうだね、覚悟はまあ決めたかな」そう言って俺はアメリカ人がさっきまで座っていた席に座った。観世は周りを取り囲むベオウルフの兵士たちに、大丈夫だ、とジェスチャーで合図をして、俺と向かい合った。
「さて話し合おうか、相互理解のために」俺はそう言った。
「君は和泉君だったね、鷺沼の息子の友達だよな、特別に講義してやる、日本はアメリカの軍事、経済における支配からは逃げられない、いいか、それがまず大前提だ、その上で今から言う話を聞け、国連とアメリカの国際的影響力が衰え、あらゆる国家が社会的、あるいは経済的な爆弾を抱えており、そいつがいつ爆発するか皆がおびえていた二〇三〇年代のことだ、米中露は秘密協定を結んだ、すべての国に暫定的な階層を定め、経済規模や軍事状況をすべて三国で遠隔コントロールしようという協定だ、偽善的な建前だらけで甘っちょろい国連のやり方とは全く別の、グローバル経済と戦争のコントロールだ、バランスを取る上で日本は中産国、イタリア程度まで経済を減速させる必要があった、いまだに日本はアメリカと中国の国債と外貨をたんまりと持っていて完璧にコントロールするというのに自信が無かったんだろう、日本と戦争をした三国だからトラウマもあったんだろうな、その日本が衰退した分を他の国、例を挙げればロシアが経済成長する必要性があったんだ、三国を頂点とした、地政学的に安定したピラミッドを構成する為には日本にはある程度へこんでもらう必要があった、日本は経済という観点では地政学的に有利すぎるからね、その協定について俺は当時の日本人で唯一知っていたんだ、昔通っていた学校、イギリスのイートンだがね、そこでできた友人が今米国のシンクタンクに居るんだ、俺は彼らに提案したんだ、日本を経済的に負け組に叩き込むにはどうすればいいかというのをね、彼らは熱心に聞いてくれたよ、なぜなら私は誰より日本人の特性を理解しており、悪いところも知っていたからな、私は日本人が潜在的に情報化社会に適応できず、工業社会に回帰したがっていることを感じていた、彼らは同じ時間、同じ仲間と、同じ仕事をしたいんだ、同じ娯楽、同じ経験、同じ空間、同じイベント、同じ服、同じ顔、同じ苦労……そこで考えたのはご存知SUAのシステムだ、根付かせるには小規模でいいから戦争を起こして日本人を精神的に弱らせる必要があった、その後の宝生は本当によくやってくれた、戦後の日本人を憂いて私が作ったシナリオに心底共鳴してくれたんだ、本当に愚かな男だと思ったけどね、日本社会を硬直させて、生産性と独創性を削いで、教育と産業を破壊した、情報化社会、世界の潮流から逆行させるんだ、日本人はさぞ気持ちがよかっただろうな、自分たちが最も楽しかった時期に構造だけでも戻れるんだから、アメリカの連中は出来る限りのバックアップをする、と約束してくれたよ、結果私は行政のナンバーツーである内閣官房長官になった、日本の政治はホワイトハウスで決まるというのはほんとうだ」
観世は一息に話すと、紅茶を一口飲んだ。
「よくもまあそんな恥知らずなことを抜け抜けと言えるな」
俺がそういうと、観世は意に介さず続けた。
「いいかい、日本における思想というのは非常に短命なんだ、一気に燃え上がって終わる、大体サイクルとしては三十年持てばいい方だ、一向宗もマルキシズムもそうだ、ぱっと盛り上がってすぐ飽きちゃうんだな、SUAだってそんなもんだ、と私と鷺沼は考えていた、借り物で骨のない思想はエントロピーに従い拡散し、薄まっていき最後に消失する、それに何にも生み出さない、ただの現実逃避だからな、一九六〇年から七〇年にかけて、日本人は知識人でさえ内ゲバで殺しあったり、機動隊に火炎瓶を投げていた頃、アメリカの国防総省では一部のエリートがTCP/IPの発見とそれを利用したインターネットの試験構築を行っていた、その後の社会を変える技術だ、わたしの言いたいことがわかるか」
「日本人はいつの時代も他国から与えられた思想に熱狂するだけのバカ、一方アメリカ人は未来を作った知性の権化、とでも言えば満足か」
観世は微笑んで、そこまで極端にいうのもどうかな、と言ってうなずいた。なぜアメリカ人でもないのに得意気な顔が出来るのか俺には理解できなかった。
彼は間を置いて自分のペースでしゃべることによってリラックスした様だった。また紅茶を一口飲んで、ちょっと冷めちゃったな、とつぶやいた。
「君は破壊工学という学問を知っているか」
「名前だけはね」
「建設現場のプレハブとかがいい例だ、要はもともと壊す前提で物を作るときに考える学問だよ、鉄筋でできたビルだって、この柱を破壊すればすべて壊れるという構造のものがある、それは破壊工学を適用させたビルだ、いかに最小限の力で、構造をすべて破壊するかって学問だ」
「それがなにか」
「私と鷺沼はSUAという思想にも破壊工学を適用した、あらかじめ壊れることを前提に作ったんだ、あまり日本が経済的に衰退しすぎるのは世界のパワーバランスを考えるとよくないことだからね、あくまで日本は奴隷と消費の国として市場を維持してもらう必要があったんだ、SUAの弱点は君や野村君の指摘を待つことなく明らかだ、電気インフラだよ、日本人を気持ちよく過ごさせるには大量の電力が必要だ、東京に人が一か所に集中しすぎて供給が間に合わない、百万キロワット出せる原子炉を十基以上持つ発電所がギガストラクチャーの近くになきゃ成り立たないんだ、狩羽だけじゃ全然足りないからな、そこを突けば脆くも崩壊する」
俺は何かとてつもなく気持ちが悪くていやなものが近づいてくるように感じた。観世の表情にどこか、すべてを諦めたような不吉な人間だけが持つ印象を感じたからだった。国に捨てられた野村、仕事に絶望した茂山、家族の問題があった葛野と平岩、仲間に誘う際に会った彼らに共通して感じたものだった。回避不能で巨大な悪意が、俺に迫っているような気がしていた。
「俺達は二十年前、国内に反SUAの思想をばらまいた、鷺沼は当時の最新脳科学を使って、自分の息子を洗脳したんだよ、反権力、反支配、暴力的、差別的な人間になるようにね、アドルノのFスケールを知っているか、あれで満点が出る人間が欲しかった、俺たちにとって理想的なファシストは幼児から意識的に教育すれば作り出せるんだ、AIの特徴量をいじるような感覚だ、AIのディープラーニングは最初の調整ですべて決まるように、鷺沼の息子であるニシキ君を過激な差別主義者にしてSUAを解体させるのは俺たちの既定路線だったんだ」
理解が追い付いていなかった。どう処理していいのか分からない、混乱の渦の中に突き落とされ、観世の顔を見ることができなかった。
ニシキが父親に洗脳されていた。それじゃ俺たちが今までやってきたことや、考えてきたことはすべて、この男が決めたシナリオ通りということだろうか。
信じたくない、信じてしまったら生きていけない、全精力を持って否定しなければならない。
ニシキは死んだんだぞ、ニシキは命を懸けて、この国を心配して……
ニシキと再会した廃寺を思い出す。
あの時のニシキは、本当に辛そうだった。
俺が手を貸してあげなければ、自殺してしまったかもしれない。
そんな思いつめ方をしていた。
それが仕組まれたものなら、あの真剣な表情が作られたものなら、もうなにも信じられない。
「しかし想定より速すぎた、SUAはあと十年機能するはずだったんだ、日本の人口とGDPを半分にして外貨と外国債を全部吐き出させた後にね、でも君たちという時限装置は設定した時間通りに機能しなかった、あっという間に壊して見せた、驚いたよ、あれほど大規模なテロをミスなく出来る奴なんてそうはいない、私は現時点では宝生の方が君たちより上手だと思っていた、だからね、もう少し日本は衰退する必要があるんだ、世界が設定した目標値には足りないんだよ、だから君たちは本当に邪魔だ」
罵声を浴びせてやりたかったが、声が出なかった。観世の不愉快な演説はとまらない。
「君は私の作りだしたシナリオ上の日本を嫌悪しているというか、社会システムそのものを嫌悪しているようだな、日本は好きだけど日本人が作るシステムが大嫌いなんだろう、だが、君の作り出した組織は日本的なシステムではないのか、なぜ老子や達磨のような人生を選ばなかったんだ、宝生同様、キリストにでもなりたかったのか」
「黙ってろ、あんたは負ける、俺はあんたを殺して快楽を得る、それで十分だ」
「ちがうな、君の意思なんてものは存在しない、洗脳されたニシキ君の影響で君は過激な思想を育んだ、多感な時期にニシキ君と過ごしたことで間接的にわたしたちに洗脳されたんだ、間接的に洗脳が成功するなんて聞いたことが無いぞ、こんな影響されやすくて繊細なやつっているんだな、おもしろいやつだ」
「うるさい」
「おまえは私が洗脳したニシキ君に影響を受けただけだ、おまえ自身の意思などない、おまえのSUAに対する敵意はすべてニシキ君に影響され、トレースされたものだ、あらゆる人間の動機は環境と、社会システムと、雨のように降り注ぐ情報と、傍にいる人間の影響で決まるんだ、おまえにものを考えたり判断する力はない、春日夫妻や宝生と一緒だよ」
「黙れ」
「自分が外的な刺激に対して繊細すぎるから山にこもったんだろう、ちがうか、ニシキ君に影響を受けすぎているのが無意識的にこわかったんだ、でも逃げ切れなかった、ニシキ君は私たちに刷り込まれておまえを迎えに行ったんだ、目的は達するにはおまえが必要だと判断したんだろうな、おまえは自分をカリスマや英雄だと思っているんだろうが、なんてことない、ただの周りの環境に影響を受けやすい、それでいて対人恐怖症の、誰よりも繊細な日本人だ」
「あんた、気を付けろ、今ここで殺すぞ」
「この警備の中でやれるものならやってみろ、悪いがニシキ君もおまえも、私の予定通りだ、すべては私が考えた、SUAにプログラムした破壊力学にのっとった構造の一部だ」
「オレもニシキもアウトサイダーだ、人の影響は受けない」
「だから違うって言ってるだろ、おまえらは私と鷺沼がプロデュースした、作られた革命家だ、ギガストラクチャーという社会システムの中にあらかじめ組み込まれた、自壊プログラムの一部だ、ソースコードの内の一行に過ぎない、もともとの君は弱いし不細工だ、頭も良くないし孤独にも耐えられない、かといって情報の暴力に対しては繊細すぎる、差別的で閉鎖的だ、これからの社会では使い物にならない人間だ、すなわち日本人だ」
観世は俺を含めた日本人、そして何か自分のコンプレックスに向かって言っている様だった。泣きだしそうな子供の様な表情だった。
俺の頭は、観世の言葉によって停止していた。自分たちは、しょせんシステムの中でちょろちょろ動いていただけに過ぎなかった。世界を覆う巨大で理解しがたい何かに、俺も、ニシキも、そして宝生でさえ捕らえられていた。
「ニシキ……」俺はそう呟いて目を閉じてうつむいた。顔を観世には見られたくなかった。
知ったような口を聞いて、こいつらは俺たちのことをなにも知らないくせに、好き勝手言いやがって、ゆるせない。俺は体全身であの悪夢の様な感覚の予兆を感じた。自分の意識が観世に取り込まれてしまう様だった。悪寒に必死で耐えているのを、観世に見られたくなかった。観世の言葉について、考えることをやめなければならない。

ボロクソに言われてるな、和泉、大丈夫か
ニシキの心配そうな声が聞こえるような気がした。
俺も、そうだな、散々だよ、と頭の中のニシキに答える。
アオイも、頑張って、と言ってくれている気がする。
あの杉山に追い詰められた時の悲しくも美しい笑顔だ。
俺はなんだか楽になって、さっきまでの自分がバカバカしく思えるほど客観的な気持ちになった。この瞬間、ある意味で狂ったのかもしれない。
頭の中を整理しなおして、これからやることを何回かトレースした。完璧だった。
奥底にある殺意をおもいだす。殺された野村と平岩。破壊されたビル。宝生の醜い顔。ヘリに虫けらみたいに追い回されたあげく打ち殺された仲間たち。
大丈夫、安心しろよ、ニシキ、アオイ、俺達のやってきたことは無駄じゃない。
頭の中に浮かんだ二人の幻は不自然なほど優しく微笑んで俺を見守っていた。
ふたりは死神かもしれない。だが今の俺には受け入れる余裕が生まれていた。
大丈夫、大丈夫だ。悪寒は消えていた。
俺は既に完成された幻想を手に入れていた。観世がどれだけ正しいことを言っても俺には通用しない。全部わかっている。俺の頭の中に違う世界がある。自分で自分に言い聞かせている。もう何もかもが遅い。俺は進み続けるしかなくなっている。俺は情報をコントロールできる。嵐が去るのを祈るだけの百姓じゃない。眼をそらさずに目の前の敵を叩き潰す。どんな建造物でも破壊できる。

「わかった、抽象的な話はもういいよ」
俺は顔を上げて観世に対して白旗を上げたふりをした。それを聞いた観世は表情を緩ませた。
「じゃあ具体的な、これからの話をしようか」
そう言って観世は椅子の背もたれに寄りかかって、天井を見つめた。
「君たちの生き残りは、ここにいる彼らが全員始末する、そういう契約になっているんでね、茂山も葛野も平岩の子供たちも金剛さんもだ、全員悪いけど死んでもらうよ、国のバランスを乱した罪というのは歴史上いつだって最も重い刑罰が科される、死ぬ前にギガストラクチャーのメインフレームに入る権限を渡せ」観世はベオウルフの黒人兵士と目を合わせた。太い腕にライフルを抱えている。
「果たしてそれができるのかな」俺はそう言って、観世の反応を見逃すまい、と近づいた。
「なんだと」
「なんか気になるメッセージとか端末に来てないか」俺は観世に顔を近づけて言う。
「なんだ、それは」いやそうな顔をして観世が言う。
「たとえば、そこに居るやつらの会社から、一方的な契約解除の連絡とかだよ」俺は微動だにしない兵士を指さしながら言う。
「そんなわけないだろ……」
観世は自身の机にある画面を見て固まった。
依頼通り、時間通りだ。
俺の言った通り、ベオウルフの極東担当営業部長からの契約解除に関するメッセージが観世に一方的に送り付けられて、更には返金の連絡まであった。
「信じられないだろうけど、そのメールを読んだ現時刻から、ここに居る兵士を含めてお前が雇ったPMCは俺の側についた、政治的調整ってやつでね」
俺が目で合図をすると、一斉に兵士たちが観世から距離をとった。既に彼らにも通信で共有されていて、今日の時点で知らないのは観世だけだった。
「なんでこんなことが起きる、契約不履行だ、こんなことは許されるわけない」
観世は目の前で起きていることが信じられないようだ。
俺は観世の眼をしっかりと見据え、
「やっぱり企業勤めの経験のないエリートは頭が固くてダメだね。PMCだって会社なんだから利益で動くんだよ、軍じゃない、企業なんだからな、。俺はこのベオウルフの最大の顧客であるイスラエル政府に友達が居るんだ、軍事顧問なんだけどね、彼に相談して、ベオウルフにはたらきかけてもらったんだよ、日本の観世というやつに手を貸さないでほしいってね、お前がワンショットで払っている金なんてイスラエルという何十年って単位で契約してくれる大口顧客と比べたら屁みたいなもんだからな、すぐに承知してもらった、市街戦に適応した武装義肢のテストデータも十分とれたみたいだしね」
俺とアオイは襲撃を退けた後イスラエルへ向かい、モサド長官経由で軍事顧問を紹介してもらっていた。ハルカとユキオの研究成果の一部をイスラエルと技術共有する代わりに、ベオウルフへ圧力をかけてもらったのだった。
「さあ、おまえの大好きなアメリカの兵隊は使えないぞ、どうやって俺たちを皆殺しにするのか言ってみろ」
そう言って俺は観世の机上の書類とマグカップをすべて床にぶちまけた。
高そうな万年筆を観世の顔めがけて投げつけた。
兵士たちは見て見ぬふりをしている。
「既に自衛軍も警察も、上野で虐殺をやらかしたお前の号令じゃ動かないぞ」
俺はガラスの灰皿を地面に叩き付けた。
観世は俺の行動から目をそらしている。
「アメリカにお膳立てされて官房長官まで上り詰めたんだ、もしかしたら大した権力闘争も経験してこなかったんじゃないの、こういった寝技を食らったこと無いのかな」
「なぜ、お前みたいな奴がイスラエル政府に人脈があるんだ……」
「どれだけ臆病で繊細な日本人だってね、ひとりじゃなければ海外に出られるんだよ、長官、たとえ無力でも、植え付けられた偽物の思想でも、俺たちはあんたを叩き潰してこの国をやり直す、それがニシキの望みなんだ」
観世は自分の端末を見つめている、ベオウルフに抗議のメールでも送っているのだろうか、アメリカに助けを求めているのかもしれない、でも、すべて手遅れだ。俺は野村のシナリオを印刷した冊子を観世に投げつけた。
「これは俺の元部下が死の間際まで作っていた政治シナリオだ、二度とSUAみたいなのが現れないようにあんたと宝生が壊した独禁法を始めとした法整備まですべて網羅している、もちろん現政権はいずれ解散させるが、その前に今日あんたはここで更迭される、お友達もそろって地獄に落ちる予定になっている、副長官も参事も情報官もみんなだ、今日からあんたはこの野村が作ったシナリオに沿って動くことになる、蓄えた財産や権力、自分のやったことをすべて国民に吐き出して二年後獄中自殺するって筋書きだ、たくさん判を押してもらうぞ、SUAの存在を完全に違憲と最高裁で判決した上で、あんたが主導し日本中を巻き込んだ疑獄事件として全世界に発表する、歴史的な売国奴として話題になるはずだ、そして米中露への警告にもなる、あんたの余生は裁判や証人喚問だらけになるから覚悟しろ、あとこの資料、結構分厚いけどちゃんと読めよ」
「そんなものに……従うわけないだろ……」
観世は笑っている。ブラフスマイル。自分を奮い立たせるために笑っている。アオイのそれとは違って醜かった。そんなことをする必要はもう無いことを教えてやらなければならない。
「まだ状況が分かっていないようだけどとっくに手遅れだ、悪いけどあんたの味方はもう日本の政治家、官僚、財界にはほとんどいない、だいたい金剛が懐柔して飲み込んだよ、SUAが壊れたことによって日和見だった連中ばかりだからね、それにシナリオとは従う従わないじゃない、そうなることがもう決まってることをいうんだ、既におまえが二年後自殺するまでのスケジュールが組んである、それ以外の行動は俺が許さない、もちろんそれまで自殺もさせない、病気にもさせない、俺がここに来たということは、すべて調整済みということだ、なんの準備もせずにのこのことおまえに殺されに来るはずないだろ、アメリカ、中国、ロシアには俺から連絡しといてやる、子分はこちらで処分する、とね」
観世は既になにも答えられなくなっていた。周囲の兵士たちは無表情を貫いていた。
もう説明する必要は無い、立ち上がって必死に現実から目をそらして端末をいじり、誰だか知らないが助けを求めている観世を見下した。
興奮を抑えるために腕を組み息を深く吸って、吐いた。ちっとも抑えられない。怒りは俺と一体化して溶岩の様に俺の体内を巡った。
だが、この怒りになんの意味があったんだ。
俺たちは今までなにをしてきたんだ。もうなにもかも手遅れなんじゃないか。
そんな疑問を今考えてもしょうがない、と思わざるを得なかった。それを考えてしまったら、と俺はまた、どうしようもない恐怖にのみこまれてしまうだろう。
「然るが故に……」
俺はあの廃寺で今の俺と同じように腕組をしているニシキの事をまた思い出していた。
彼は凍り付くような粉雪の中、まやかしの希望に燃えていた。
俺は涙が溢れそうなのを必死にこらえた。
声が震えるのをなんとかして抑えた。
根底には怒りと恐怖と混乱があった。
「日本をあらゆる構造から解放するため、あんたを非公式ながら拘束する」

俺の合図でベオウルフの兵士たちが一斉に動き、瞬く間に観世を拘束した。ぞっとするような機械的な動きだった。巨大なシステムの王であった観世が、驚きの声をあげる間も無く、ただの無力な個人となった。俺は正視することができなかった。観世に対する怒りは軽蔑に変わり、軽蔑は諦念へと変わった。
「文句があるなら金剛衆議院議長にどうぞ、あ、でも、もう死ぬまで外部とは連絡取れなくなるから無理か」そう俺は言って立ち上がった。もうこいつには興味を失っていた。
部屋の中に葛野と茂山が入ってきた。茂山は注射器を持っている。俺は彼らと入れ替わりになるようにして、部屋を出た。が、もう一度部屋に戻って、目隠しされている観世にもう一度声をかけた。親しい友人と話すときのような俺の明るい声色に茂山は驚いていた。
「観世さん、日本がアメリカに勝つのは無理かな」
「どの面においても絶対に無理だ、日本というハードで勝負して、日本人というソフトでものを考えている限りな」
「まあそうだよな、その通りだ、あんたはずっと正しいよ、正しかった」
「俺達日本人にはもう何もないんだぞ」
そう叫ぶ観世を無視して俺は官房長官執務室を出た。

2020年12月4日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第33話 (全35話)

© 2020 尾見怜

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