ノーこーライトガールさんから

うそつきは自分のためだけに涙を流すのだろうか

幾野温

エセー

4,232文字

昔友達だった人が何だったのか考える。 #友やめ

ぼくには昔、女の子の友達がいた。女の子だと思っていたけど、実際は42歳の女性だった。

 

 

彼女はクリエイターだった。
僕もクリエイター。共に商業芸術を志すような間柄だった。
SNSで繋がった間柄だった。

彼女には大層振り回された。関わっていた期間は一年もなかったのに。おそらく毎晩5、6時間にも及ぶLINEでのチャットや週何回かでの長電話。このハイペースな関わりが、普通の友人とのやりとりの3、4年分くらいに相当しているのだろう。

何がそんなに振り回されていたのだろうか。僕にははっきりと言語化することがいまだにできない。だから本当に厄介なのだと思う。
けれど、彼女からのLINEが来なくなった時に、全身で「ほっ」とする感覚を覚えたと同時に、開放されたような気になったのだ。それはやはり、相当に振り回されていたということなのではないだろうか。

かといって、LINEや電話が嫌だったわけじゃない。楽しいのだ。一緒にするやりとりは全部楽しかった。それなのに何であんなに疲れてしまっていたのだろう。

 

一緒にいる時はすごく楽しいのに、終わったらめちゃくちゃな疲労感だけが残っている。

 

僕はこの人のことが好きなのか何なのかよくわからなくなっていた。

 

 

彼女は嘘つきだった。
近くにいた時はそう思わなかったけど、今ならそういう人間ではないのかな、と思う。

本人は「嘘」ではなく、方便だとか建前だとかイメージ戦略だとかそんな風に言うだろう。

SNSで「悪口を言う人は最低、大嫌い!」と言っているのに、僕への電話の第一声は「XXさん、見た? 痛いなー」などの界隈の人への批判だったりする。
乗ってしまう僕も僕だけど、彼女のほうから他人の批判や悪口などを振ることは多かった。

年齢も明言はしていなかったが、周囲が20代だと勘違いしているのをそのままに若いイメージを上手く利用していた。見せるエピソードに偽りはないけれど、年齢がバレるようなことは言わない、そういう感じだった。やり方がうまかった。
正直に自分の年齢を言っている自分が損をしているような気がした。
だいたい女性のクリエイターは、若いとそれだけで下駄を履かせてもらうことが多い。「若い女性が作っている」ということは、それだけで少し価値が上がるのだ。だから羨ましかったし、正直にやっている自分には彼女がズルく感じてしまった。

彼女は、僕とプライベートで繋がっていることが周りにバレると、クリエイターの馴れ合いが出てしまってよくないから、この関係は周りには隠そう、と言った。
だから僕がオススメした作品でも僕にすすめられたと言わずに、自分が見つけてきたような体で「大好き」というようなことをSNSにたくさんUPしていた。
けれどそんな彼女は、他の人との馴れ合いはたくさん表に出して、他の人に教えてもらったものは「XXさんに教えてもらった」などと言うのだ。これはなんだか不公平な気持ちになった。
オススメしたものを自分で見つけてきたように言われて、自分が一番のファンのようなテンションで語られまくってしまうと、僕の手柄を横取りされたような気持ちになる。

それから彼女は腱鞘炎で手首を壊してしまったと言っていた。
だからあまり作品を量産できない、と。
それだけ聞くと、真摯に作品に向かった結果の悲劇なのかな、と思うだろう。
けれど、話をよく聞くと少しだけ違った。

彼女はかつて掃除のバイトをがんばりすぎて手首を壊したのだと言う。
掃除のバイトで褒められるのが嬉しくてつい頑張りすぎてしまった、と。確かそんな話だった。全力でモップ掛けをしているうちに手首を壊して腱鞘炎になってしまい、作品も上手く作れなくなったということだった。

 

その話を聞いた僕は内心「えーーー」だった。

 

彼女はSNSで時々、手首が悪いから思うように作品が作れなくて悔しい、ということを言っていたのだけれど、これだけを読むと10中8、9の人が作品にストイックになった結果だと思うだろう。
これも例によって、明言していないといえばしていないから、嘘ではないかもしれないけれど、「聞かれていないから言わない」的な論法とも言えるし、人々のイメージを利用した甘いセルフプロデュースでもあるのだろう。

けれど、それから数年後、彼女と縁が切れたあとに僕は恐る恐るという気持ちもあって、あの人いまどうしてるんだろうとアカウントを覗きに行った。すると掃除で壊したはずの手首はいつのまにか、作品を頑張りすぎたからという話に堂々とすり替わっていた。それを見た時、僕は内心笑い転げてしまったわけだが……。

 

 

結局、何年かするうちに話がすり変わっていたことを見て、僕は「嘘つきなんだ」と思った。

思えば彼女の作品は、僕はかなり好きだった。個人的にもらったものを未だに消していない程度には好きだ。僕はほんとうに傷つけられたし、嫌な思いをしたのだけれど、作品に罪はなかったのだ。

けれど、好きではあるけれど「大好き」な類のものではなかった。友達になったから贔屓にしているという面は多分にあった。これを人は「馴れ合い」と呼ぶわけだが……。

まぁまぁ好きだし、嫌いじゃないし、上手いし個性もあるけれど。そんな感じだろうか。でもそんなことってたくさんあるよね。

彼女の作品はなんだかキラキラしすぎているのだ。心が綺麗すぎるというのか。僕にはなんだか綺麗すぎて響かないところも多かった。そういうのは人それぞれだからね、この人はこういうのが書きたい人なんだな、くらいに思っていたんだけど。

けれど最近彼女のことを「嗚呼、嘘吐きなんぢやあないか」と思うに至って、もしかして嘘を吐いているからこそ、あの矢鱈と心が綺麗な感じの作品なんぢゃないのだろうかと思うようになったのだった。そう、今回記事を書き始めたのはこの思いがそもそもの動機だった。

自分の心の中の綺麗なところしか見たくないし見せたくない。そう思っている人なのかもしれない。

すごく思い込みの激しい人なんだけれど、そういうところがきっとクリエイター向きなんだろうな。などと離れた今も思っています。

 

 

縁が切れたのはある日、僕は彼女の作品や活動について正直に思っていることを言うことにした。もう自分に嘘はつかない、と思ったのだ。
僕は精一杯謙虚な言葉を選んだつもりだったのだけど、彼女は言葉を勝手にすりかえ、思い込みで聞き違え、周りの善意のフォロワーに泣き喚き、SNSでひとしきり暴れてそして、僕は全部をブロックされて、彼女との繋がりは終わった。

あの性格だから、界隈の人に僕の悪口を言いふらしているのかと思っていたけど、周りの人の僕への態度は今までと変わらなかったから、そうでもなかったのかな、とも思った。確かめようはないけれど。

何度思い出しても不思議なのは、それは僕がちょうど自己肯定感を上げていこう、と決意してすぐの出来事だった。

彼女は僕が自分より下だと思っていたから、そもそも初め急速に距離を詰めてきたのだろうか。
だから、僕の発言云々じゃなくて、肌で「こいつはもう弱くない」と悟ったから僕から離れていったのだろうか。

思えば他人に対して上から目線の善意をよく振りかざすような人だった。「あの人、今の感じだとイマイチだから、なんとかしてあげたい」
こういうことを言う人だった。
この論法が非常に身勝手で失礼なことがわかるだろうか。
善意に見せかけた悪意である。しかし、当時の僕もこういう話に共感して乗っかっていた時もあった。僕もよくなかった。

思えば彼女が僕を気に入った理由というのが、SNSに過去の話を淡々と(自分としてはまあまあ面白いと思いながら)UPしていたのだが、その話を「こんな恥ずかしい話を堂々と書けるなんてすごい人!」ということだった。
これは恥と取る人もいるけど、すごいと取る人もいる、一般的にはそういうタイプの話だった。
僕はもちろん、そのエピソードを恥ずかしいんなんて微塵も思っていないから意外だった。けれど、自分の作品をどう楽しむかは受け手の自由。だからどんな形であれ楽しんでくれたのなら何よりだと思って、嬉しくて特に深く考えていなかった。

けれど後々考えると、これって僕が見下されていたということになるんじゃないのかな。と思うようになった。

また、その当時、僕は家庭環境がかなりしんどい時期だった。そういう所も彼女の「同情心」という善意によく似た悪意を引き出して満足させていたのかもしれない、ね。

 

 

彼女は真実以下の嘘未満のようなもので自分を見せる人だった。虚言ではないけれど、近くにいる者からすれば釈然としないものもある。

矛盾がたくさんある人なのだろう。正義を強く明言しながら、自分でその発言を翻すようなことをする。
僕はもしかしたらそういう所にも振り回されていたのかもしれない。

 

 

彼女は僕にとって「現象」である。あの時、ほんの僅かな時間だったけど、確かに吹き荒れていたあの台風はいったいなんだったんだろう。その正体が何年経ってもよくわからないんだ。
あの人を恨んでいるとか、嫌いだとかそういうことじゃなくて、あの人の正体が一体何だったのかよくわからない。

今回、こうして描いてみて少しだけすっきりしたし、以前より何が起きたのか理解できたような気がした。けれどまだ全貌はわからない。「エナジーバンパイヤ」という言葉があるのでその線も疑っているけれど、確証が持てない。

何にせよ、今後も彼女という現象を何らかの形で解き明かしていきたい。

 

 

***あとがき***

ところで他人の「友やめ」エピソードって面白くないですか? えっ、そんなことない? 私はよく友達関係で悩むことが多いので、ネットの悩み相談や体験談を読んでヒントにしょうとすることがあります。それはとても興味深く感じます。というわけで、自分と自分のような人のために、またいつか「友やめ」話を書いていけたらなあと思っています。

友達の悪口みたくなってしまうので、ネットにはあまりかけずにいたのだけど、もうお付き合いないし、冷静に考えたいし、ということで。一つよろしくお願いします。

 

**

イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました。ありがとうございました。

2020年11月18日公開 (初出 https://note.com/ametori/n/n7c1c8eb1f186

© 2020 幾野温

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