二千二年。Guns N’ Rosesが、サマーソニックに急遽、やって来るぜ! と云う事になって僕は慌ててチケットを購入した。識っている人には蛇足だかGuns N’ Rosesは千九百八十年後半くらいから洋楽ロックを学んだモノ、特にアメリカン・ロック好きには大ヒーローの存在である。そうです、僕は現在、四十五歳であります。
チケットは二枚、届いた。一人で行くのはロックじゃないな……と思ったから西荻窪で風俗店で働いていた幼馴染みを誘った。風俗店勤務。それは辛い労働で、幼馴染みは週に八日お労務しているのではないか? 程のハード・スケジュールだったのだが「サマソニのチケットをゲットしたけど行く?」と電話したら「死んでも行く」と述べた。まあ二年後、幼馴染みはアルコール依存症で本当に他界してしまうのだけど。
当日。千葉の幕張に着いた僕らは、まずは物販コーナーに行った。然し、Guns N’ Roses関連のモノは皆無であった。もの凄く別格扱いされていた。
Guns N’ Rosesはその往時、ボーカルのアクセル・ローズ以外はバンドから離れていて、その上、オリジナルメンバー全員で「お前を決して許さない」なる訴訟合戦をしていたから、ロゴが入ったTシャツなど、易々と売れなかった訳だったのだろう。その連れの、今はもう他界している幼馴染みと「無いよ、Tシャツ」と会話したのを憶えている。
サマーソニックに限らず、ロックフェスティバルとは朝から泥酔、色々なバンドが演奏して夜まで騒ぐと云ったイベントなので、最初は僕らは、全く興味ないマィティーマィティーボストンズのオマージュかなあ? みたいなハードコア・スカバンドとか眺めていた(マィティーマィティーボストンズのバンド名が合っているか? は判らない。興味ないから)
幼馴染みは、つまらなそうにビアを派手に鯨呑みしていた。缶類の持ち込みは基本、禁止だった故、風俗店お労務で金銭には余裕が有った幼馴染みに、何度も千葉スタヂアムの売店へとパシリをさせられた。
「お前、この流れじゃ死ぬぞ」と、お節介の台詞を吐いたが、それは完全に響かなかった。
昼間になり、幕張メッセの方でハノイロックスが演奏する時間になり、もう泥酔している幼馴染みを担ぐ様に運んだ。一番、前のポジションを取りギタリストのアンディが「いっそ、殺して呉れ」みたいなフレーズを唾が届く距離で聴いていたが幼馴染みは横で寝ていた。普通、有り得ないのだが、曲に感銘を受けて寝た! とバンド、ギャラリーは判断したのだろう。これもロックなんだろうな。と淋しく感じた。
ぐでんぐでんの、幼馴染みを引っ張って今夜のラストショーをどうするか? と彼の長い髪の毛を引っ張って説いた。幼馴染みは米国より英国のナイーヴなロックが好きだった。千葉スタヂアムではGuns N’ Roses、幕張メッセでは幼馴染みが全作品を揃えている、その英国バンドがトリであった。
僕は無論、Guns N’ Roses目当てで、この場所に参加している訳だから幼馴染みの長い髪を此方も疲れるくらい、如実に疲れるくらいワイルドホースをばした。
「俺はGuns N’ Rosesに行くぜ」
問答がつづくと思い、Guns N’ Rosesも英国ロックバンドの方も、観れないな……と感じたが幼馴染みははGuns N’ Rosesと呟いた。
やがて、千葉スタヂアムの奥の方に我々は座り、Guns N’ Rosesのショーを待っていた。
開始予告から一時間。全くアクセル・ローズは出て来ない。幼馴染みが「ねぇ、ビアを買ってきてよ」と、ぐずりはじめた。僕は最早、開き直っていて「十五杯くらい?」と述べた。幼馴染みはニャッと笑い財布を投げ「全部、アルコールにして」
ああ、判ったよ、分かる、解ったよ。
売店に向かおうとした瞬時、アクセル・ローズが舞台に上がって大歓迎が響いた。「あ、コイツは生きる側だったんだ。僕の幼馴染みは他界するのだろうけどね」と、その時、思った。ぱっと振り返って、幼馴染みの顔を。
二千二年、サマーソニック。ライヴ・レヴュー的には素晴らしいと感じた。
アンコールで「パラダイス・シティ」をアクセル・ローズが唄い花火が轟いた時はグッとした。
最近、一緒に暮らしている黒猫が、僕をじっと眺めている。
ワイフにそれを延々と語り「お前は売れないフォークシンガーか?」と殴られ追い出され、公園のベンチにてGuns N’ Rosesの曲を流し、通勤するサラリーマンから叱られながら、この下らないエッセーを書いている。
かえって、詫びようっと。
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