黄砂舞う西安バスツァー

合評会2018年02月応募作品

大猫

エセー

3,745文字

中国・西安のちょっとグロいバスツァーの旅行記です。ずいぶん昔の話です。今はどうなっているのだろうか(しみじみ)

 西安は中国内陸部の陝西省の首府で、昔は長安と言った。今でこそ陝西省は中国有数の貧乏省になっているが、長安はかつての大唐帝国の首都であり、最盛期の8世紀頃はバグダッドと並んで世界最大の都市であった。したがって名所旧跡はあちこちにうなっている。

1980年代の終わり、中国へ留学中だった私はたった一人でこの地へ乗りこんだ。目的はもちろん観光名所を見物するためだ。ここの治安はあまりよくないと聞いていたが、たしかに飛行場へ着いた途端、蝗のような白タクの客引きに拉致されかかるわ、バスに乗ればスリに遭うわで、かなりの緊張を強いられた。にもかかわらず、外国人用の豪華リムジンバスツァーではなく、国内客用の格安おんぼろマイクロバスツァーを選んだのは金がなかったからである。

 

 バスで隣合わせたのは中年の警察官の一家だった。なぜ警官と分かったかと言うと、その人は深緑色の警官の制服を着たままで遊山旅行をしていたからだ。別に勤務中というわけではなくて、れっきとした家族連れの休暇旅なのだが、警官の格好をしたままの方が何かと便利だからだと言った。当時、公私混同という概念は中国にはなかったかもしれない。

  よし、私もツァー中はこの人の後ろにくっついていよう、そうすれば悪い奴らに狙われることもないだろうと思ったのだが、それはとんだ見当違いだった。警官の格好をしていようがいまいが、一緒になっておんぼろバスに揺られて気分が悪くなり、一緒になってバス会社と結託した土産物屋へ連れて行かれて妙なモノを買わされ、一緒になって怪しげなレストランで不味いものを食わされていた。

 

 さて、郊外の秦始皇帝陵と陪葬の壮大な陶器の軍隊、いわゆる兵馬桶へと向かう道は狭くガタガタで、信号もないのにしょっちゅう止まっていた。ちょうど道路の拡張工事中で、乾燥した空気に砂ぼこりが舞い上がって口の中までザラザラした。でもバスの窓を閉めれば朦々たるタバコの煙で五分としないうちに中毒死するだろう。

仕方なく砂ぼこりを吸い吸い窓の外を見ていると、拡張工事中の道の両側が一メートルばかり切り立っていた。赤みがかった黄色い土は黄土高原特有の色だ。その切り立った両壁から、なにやら白っぽくカドカドしたものが幾つも飛び出ている。材質は木に見えないこともない。目を凝らすと木の箱のようにも見える。よくよく見れば、黄色や青の造花やら日本の玉串のような紙銭の束も見えた。

「もしかして、ここは墓地ですか?」

私が聞くと、

「そうだな。ありゃ、棺桶だよ。工事をしていたら墓地に突き当たったんだな」

と警官が言った。

  のろのろ進むバスの窓から見たものは、ブルドーザーで削り取られた黄色い土地から、朽ちかけの棺桶が無残に露出した姿であった。新しめの棺桶もあれば、ボロボロに崩れて今にも中身が見えそうなものもあった。死体が見えたらどうしたらいいんだと思いつつ、私は最後まできっちり目を開けていた。

「しょうがないね。道路広くするためだから」

「あの棺桶はどうするんですか?」

「金を出せる奴は改葬してやるし、出せない奴のは適当に処理されるんだろうな」

 処理の具体的内容は恐ろしくて聞かなかった。

「ま、貧乏人なんかはそのまま埋まってるのも多いし。そういうのは地面ごと削られるんだろうね。ここらへんの土ぼこりには死人の腐った肉やら骨やらが混じっていて健康に悪そうだな」

 やめんか、このサドおやじ! と心で罵りつつ、私はハンカチを口に当てたのであった。

 

 気を取り直して向かったのは楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスで有名な華清浴池である。

「春寒くして、浴を賜ふ華清の池 温泉、水滑らかにして凝脂を洗ふ 侍児扶け起こせども嬌として力無し」

 漢詩のことはよく知らないが、女の裸を堂々と詩に詠ったのは白居易の「長恨歌」が最初ではなかろうか。

 

初めて寵愛を賜る早春の夜、白大理石の浴室は温かく、海棠の花の形の湯船に可憐な裸身を沈める楊貴妃。肌が長湯で桃色に染まっている。身を起こせば、湯が白玉となって双の乳房から滑り落ちる。梨園の楽寮から霓裳羽衣の琵琶の音がかすかに聞こえてくる。

湯にのぼせた貴妃は、侍女の腕に抱かれてへなへな崩れ落ちる。紗を敷き詰めた寝台にそっと寝かされ、やや年かさの侍女が枕元に寄って来る。西域の出身か、髪は栗色で鼻梁は高く目が青い。ジャスミンの花を浮かべた茶を勧めても貴妃は見もしない。侍女はちょっと笑って貴妃を抱き起し、瑠璃の碗から茶を口に含んで口移しで飲ませる。長い睫毛をあえかに開き、貴妃は花の香りの吐息をつく。

そのまま身体の手入れが始まる。貴重な薔薇の香油をたっぷり手に取って、か細いうなじを揉み、丸い肩から柔らかな腰を揉みしだく。くすぐったがって貴妃が笑うと、いたずら心を起こした侍女が首筋や脇腹をちょっとくすぐる。鈴振る声で笑い転げる貴妃の肌が温かく匂い立つ。貴妃を仰向けにして、香油の附いた指で薄い耳の裏を撫でる。白い脇も小さなピンク色の乳首も。雪をあざむく太腿を開けば、恥丘から先にうっすらと柔毛が見える。鼠径部に沿って優しく慎重に香油を擦り込むと、貴妃がまた湿った笑い声を上げる…

 

 …てなことを妄想していい気になっていたら、発掘された浴場跡は手入れが悪く、水底に溜まったヘドロやら水苔やらが甘い夢を一瞬で吹き飛ばしてくれた。1936年の西安事件の銃撃戦の跡に、物々しい解説板が掲げられているのを見てますます興覚めした。そこで敷地の向かい側にあった派手なピンクの建物へ行ってみることにした。観光客目当てに何やら展示を行っていたからである。

 

 看板には「古代の奇跡-蘇る千年の美女 同時展示・生命の神秘」とあった。すぐに看板に騙されるのは私の悪い癖だ。早速、入場料を払って勇んで入って見ると、だだっぴろい殺風景な展示室の真中にガラスケースが一つ置いてあって、そこに何人かの人が見入っている。寄って行くとガラスケースの中身は渋紙色をした人形だった。

 と思ったら違う。これはミイラだ。全裸のミイラだった。

 説明を読むと、なんでも楊貴妃と同時代の貴婦人のミイラなのだという。この近くの貴族の陵墓から出土したもので、保存状態が極めて良く、皮膚にはまだ弾力が残っているという。一瞬、人形と間違えたくらいだから、図版で見るエジプトのミイラのようなグチャグチャのカサカサではない。腐敗したのではなくて乾燥してしなびたというのが正解だ。成人女性だというが、しなびたためか身長は120センチほどにしか見えない。かつてでっぱりがあったはずの部分、鼻だの唇だの乳房だのは萎れた花のようになっていた。髪の毛もまばらに残っていた。

 

 ミイラの足側に回って、股の間の部分を長い間凝視している男性がいた。奈良漬の大根よりもしわくちゃな太腿と太腿の間を、それはもう一心に見つめている。

そんなもの見て何が面白いんだよ、生きてる女のを見せてもらえよ、おい! と詰め寄りたくなるのを堪えてミイラに背を向けると、そこには生前の推定マネキンがきらびやかな衣装をまとって艶やかに笑っていた。

千年後にこんなところで下賎の民百姓にあられもない姿を晒すとはまさか貴婦人も思わなかったろうに、と感慨にふけりながら、一瞬、私の頭を疑念がよぎった。

 あのミイラ、いくら乾燥地帯でも保存状態が良過ぎる。あれなられっきとした博物館へ収められてもおかしくない。こんなボロ家に置いてあるのはどう考えても変だ。副葬品の類が何も展示されていないのも怪しい。

 拡張工事の露出した棺桶群が脳裏に浮かんできて背筋がゾっとした。まさかとは思うが、あの棺桶からめぼしい遺体を引っ張り出してきて、千年前の美女と偽ってここに展示しているんじゃないだろうな。

 

ところで同時展示の「生命の神秘」には、もちろん期待などしてはいけない。それは堕胎胎児の展示であった。ホルマリン漬けにした胎児が、妊娠4週目から始まって、2ヶ月目、3ヶ月目…と続き、なんと9ヶ月目まであった。人間の発生とはかくも神秘的で生物の進化の跡をすべて辿っているのだ云々、と説明書きにはあったが、胸が悪くなっただけだった。

 前方を手をつないで歩いていたカップルが、そっと肩を寄せ合っている。こんな展示を見せられて怖がった女を男が励ましているのだろうと思ったら、互いに腕を回して熱く抱擁し合っているではないか。男の片手は女の尻に伸びている。妙なものに欲情する人もいるものだ。ラブラブカップルが、暗いのを良いことに所かまわず愛を交わしていただけなのかもしれないが。それはともかく、万一胎児ができたらちゃんと産んでくれよ、と祈った。

 

 まあ、気にするな、わが国は人間が多過ぎるんでね、とよく分からないことを警官おやじに言われた。人間が多過ぎるから堕胎胎児も多いのか、人間が多過ぎるから妙な娯楽がはびこるのか、どっちの意味だったのだろう。

 

 その後、警官を始め、バスツァーで一緒になった人たちとガヤガヤ不味い夕食を楽しみ、西安駅への帰路についた。ところが最後の最後までケチがつくもので、駅まで後3キロというところでバスが故障して動かなくなった。仕方なく排気ガスと黄土高原の土ぼこりが朦々と舞う幹線道路を、みんなで泣きながら歩いて帰ったのであった。

2018年1月27日公開

© 2018 大猫

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"黄砂舞う西安バスツァー"へのコメント 6

  • 投稿者 | 2018-02-16 19:48

    私も中国の空港で白タクに拉致された経験があるので、ツァーや展示の胡散臭さを描いた部分は楽しく読めた。ただ、楊貴妃のくだりに見られる美化されたファンタジーとしての古代と即物的でパッとしない現代の対比は、中国文化を語る言説としてはありがちなものである。古代と現代のはざまで近代史が回避されていることは、西安事件の掲示板に対する語り手の反応からも窺える。読んでいて「あるある」と共感できるエッセイではあるが、作者ならではの独自の視点がほしい。

  • ゲスト | 2018-02-16 20:11

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  • ゲスト | 2018-02-21 21:18

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  • 投稿者 | 2018-02-21 21:32

    エロ度、ホラー度ともに高くはないが、グロ度はなかなかのもの。実話のパワーはすごいと思う。楊貴妃の妄想はなかなか神秘的でよかったので、もっとそこを膨らませてほしかったなと思うのだが、それはそれで無粋だったかもしれない。ていうか海外旅行うらやましい。

  • 編集長 | 2018-02-22 12:58

    中国に行ってみたかったので、面白く読めた。紀行文としてはよいできである。
    しかし、エロとホラーという題材に向き合っているとは言えない。

  • 編集者 | 2018-02-22 14:10

    中国に行った事もない自分からすると面白いし読みやすいが、どうしても、紀行文の方が主になってしまっている。ところで「生命の神秘」展は私も東北某地で開催されていた似た企画展に入場したことがあるが、眺める展示品が多い中で、唯一触れる皮膚を剥がれた男性人体標本には人が多く群がり、包皮もないむき出しのペニスをみんなしっかり触っていた。私も触った。

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