最古の晩餐 断層をめぐる断想

上限のない電波塔(第3話)

アサミ・ラムジフスキー

エセー

9,442文字

2011年11月、紙の『破滅派』8号に掲載されたエセーの改稿。震災から5か月後の東北を訪れた際のエピソードと、それに関していたり関していなかったりする四方山話を綴ったもの。

「ふだんなにを食べているのか言ってごらんなさい、あなたがどんな人間か言いあててみせましょう」

食聖ことジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの言葉だ。

美食のバイブルと呼ばれる著書『美味礼讃』が発表されたのは一八二五年のことだった。ここでサヴァランはガストロノミー(美食学)の考えかたを提唱している。それから一八〇年あまりの歳月が流れた現在、「美食」という単語を知らない者はほとんどいないだろう。「食通」を自称する人間も巷にあふれている。テレビの情報番組を見れば、聞き飽きるほど「グルメ」という言葉が耳に飛び込んでくるはずだ。さらには「グルメ・レポーター」なる、ただ有名店の料理を食べて感想を言うだけで報酬を得る者まで存在する。それほど人々の関心が食に向けられているということだ。

あらためていうまでもなく、人間は食事することなしには生きられない生物だ。光合成をする能力はないし、体内に自家発電装置を備えているわけでもない。食物を口に運び、咀嚼し、消化することでしかエネルギーを得ることは適わない。そんな人間が食について強い関心をもつことは、生存欲求に直結したごく自然な行為だといえるだろう。そして、食べなければならないからには、少しでも食事に快楽を見出そうとすることもまた自然な欲求だ。だから人間の味覚は発達した。美食は人間の特権だ。

だがサヴァランの思想は、一人歩きしている「美食」とは裏腹に、いまひとつ正確に伝わっているとは言いがたいのが現状ではないだろうか。僕たちの暮らす社会に「美食」という言葉はあれど、それはまるでからっぽの器だった。グルメ・レポーターたちは、けっして技術論や文化論で料理を評価しない。「やわらかい」だの「ぷりぷりしている」だの「とろけそう」だの、小学生でも言えることをただ目を丸くして大声で叫ぶだけなのだ。「味の宝石箱」に詰まっているのはイミテーションばかりかもしれない。

ガストロノミーという思想は、ただレシピ上の美意識を追求することではなかった。塩の産地や水の硬度に一家言をもつことは結構だが、それだけでは単なる食いしん坊の好き嫌いに過ぎないわけだ。まして個人の嗜好は学問にはなりがたい。世界中のありとあらゆる料理を食べ尽くした挙げ句に「この世で最も旨いものはうまい棒のコーンポタージュ味だ!」と主張する者がいたとして、それが好みの問題であるかぎりは誰にも否定できないのだから。味の優劣を競うゲームは水掛け論にならざるを得ないし、味覚を強制することは、草食動物に肉を食えと強要するくらいの横暴だ。

料理や食事にまつわるあらゆる文化的要素を包括的に捉え、生活のなかに「食」という行為をマッピングしなおそうという作業、これこそがガストロノミーの神髄といえる。

だから、真の美食家には栄養学や生理学はもちろん、心理学や地理、美術、音楽、建築、服飾などへの見識も求められる。原理的にいえば料理の味は調理者の腕と実食者の舌だけで決定されるはずだが、しかし現実には、たしかにそれ以外の要素が味覚には絡んでくる。身近な例でいえば、飲食店の内外装が挙げられるだろう。暖色系の色が食欲を増進させるという色彩心理学上の知識は、多くの人が身をもって理解しているはずだ。マクドナルドや吉野家、デニーズや和民など、有名飲食チェーンの多くがそのロゴに赤やオレンジや黄色を用いていることは有名だ。反対に、バーのような落ち着いた雰囲気を演出したい店舗では寒色系が好んで使われ、照明も薄暗い。従業員のユニフォームやBGMの選択だって無造作になされているわけではない。テーブルや椅子はもちろん、箸置きひとつにいたるまで徹底的に熟慮された末に選ばれている。フレンチのフルコースはがやがやと騒がしい場所で食べたくないし、反対に、焼き鳥を食べるならかしこまった雰囲気の店では息苦しい。いかなる店であろうとも(たとえ激安飲食チェーンであろうとも)、なんらかのコンセプトや思想にもとづいて食の場を作ろうとしている。客にドレスコードを求める高級店は、その最たるものといえるだろう。

美食とは、まず態度と環境の問題なのだ。食事は一生ついてまわるものだが、一生にできる食事の回数には限度がある。美食を謳うならば一口たりとも無駄にしてはならない。そしてせっかく食べるからには、あらゆる側面にも気を配り、最大限その特徴を生かしたうえで味わうべきなのだ。

 

多面的に食を捉えるという点からは「食育」の思想を思い出した読者もいるかもしれない。食育と美食は、一見正反対の概念かに思えるが、その目指すところはあながち遠くない。この言葉が一躍有名になったのは、小泉政権時に施政方針演説でピックアップされてからだったが、その初出は意外に古く、明治時代の軍医・石塚左玄にまで遡る。石塚は一八九六年の『化学的食養長寿論』において「体育智育才育は即ち食育なり」と述べている。ここからは、「食が人間の基盤をつくる」という発想が洋の東西を問わない共通のものであることが窺える。そして、その思想が一世紀以上の時を経て再度注目されたという事実は、これがきわめて高い普遍性をもつものであることを示してもいる。

つまり、食への態度には個人個人の人となりがあらわれるということだ。

なるほど、そういえばたしかに、この国には食事の作法ひとつで人間性を測ろうとするメンタリティが存在するではないか。日本で育った者ならば誰もが一度は注意され、正しく使うよう矯正されたことがあるだろう作法――そう、箸の使いかただ。あの二本一組の棒きれから構成される道具の目的がなにかといえば、食事を口に運ぶことだ。本来の目的を果たせさえするならば、鷲掴みにしようとも両手に一本ずつ持とうともナックルボールの握りで持とうとも一向に構わないはずだ。だが、それは厳格にマナー違反とされ、ひとたび大人がそのような使いかたをすれば即座に非常識との烙印を押される。近年は、こうした古き伝統を前時代的だと嫌う人も多いかもしれないが、ここまで述べてきたような事情を踏まえれば、途端に論理的に思えはしないだろうか。美食家が手にすれば、箸は単なる道具ではなく、思想になる。

冒頭に引用した言葉は、シンプルながら、ガストロノミーの思想を端的に集約した象徴的な一節だといえるだろう。食が日常のあらゆる要素と密接にかかわっているものだからこそ、食習慣がその人自身を示すことになるとサヴァランは主張しているわけだ。

さて、それではサヴァランは、僕のことをどのような人間であるとアナライズするだろうか?

 

 

「内部被曝しませんか」

そんなメールが届いたのは、八月のある朝のことだった。悪質なスパムかと最初は思った。なにせこの件名だ。ブラックジョークにしても黒すぎる。漂白剤をどれだけ使っても色落ちしないぐらいに真っ黒だ。頭の固い人が見たら即座に怒り心頭に発して朝日新聞あたりに投書したかもしれない。

だが、そのブラックホールほどの黒さに身を包んだ件名は、僕には非常に真摯でシリアスな文言に読めた。読めてしまった、というべきか。そもそも歴史上、ブラックジョークに激しく憤る人間が当事者であったためしはほとんどない。この手のジョークは本来、当事者たちが当事者間でこっそりと笑うために存在するのだ。不謹慎にも、僕も思わず笑っていた。

あの三月十一日以降、東京で暮らす僕は毎日放射性物質を食べている。大本営発表がどのように言っているかは知らない。知ったところで信用する気もない。そしてそれを糾弾するつもりもない。事実として、実感として、僕はたしかに放射能汚染された物質を食べている。今日の昼間チーズリゾットを炊くのに使った水も、今飲んでいるインスタントコーヒーに用いたお湯も、そしてこの原稿を書き終えたあと飲むだろうウイスキーに放り込む氷も、すべて放射線と無関係ではないはずだ。これは関東以北に住むすべての人間に共通した感覚だろう。

しかしそれでも食べるし、飲む。ある者は麻痺しているのだろう。ある者は覚悟をきめたのだろう。またある者ははじめから諦めているのかもしれない。そのいずれでもない者はとっくに国外脱出したはずだ。どの選択も等しく正しい、と僕は思う。幸か不幸か、僕たちは生きているからだ。

返事に悩むことはなかった。今さらどこへ行こうが行くまいが、なにも変わらないのだから。

 

二日後の夜、僕は東北地方のとある海岸にいた。車で十時間以上という大移動だった。そこは、由緒ある観光名所だ。源重之、伊達政宗、殷富門院大輔といった面々によってたびたび歌に詠われてきたことでもよく知られている、あの海岸だ。松尾芭蕉作とされる句(実際は田原坊の作)はなかでも有名だろう。例年の夏なら、さぞ賑わっていたに違いない。

だが現実に僕の目に映るそこは、はっきりとわかるほど寂れていた。日中ですら、ほかにはどこかの学生らしき若者がヨットの練習をしているのみだった。まして夜となれば、観光地としての面影は微塵もなかった。寄せては返す波の音だけが、期待はずれの夏をなんとか盛り上げようと空騒ぎしていた。それでも、海岸線に沿って横たわるばかりの瓦礫たちは、なにも答えはしない。あの大惨事の被害を奇蹟的に軽微なもので済ませたという神々は、ふたたび静かな眠りについたということなのだろうか。それとも、次なる災いに備えて力を蓄えているところだったろうか。

その眼下で、僕はひたすら肉を食べていた。観光にきたのでもなければ、仕事でもない。ボランティアでもない。といって冷やかしでもない。肉を焼いて食べるためだけに、僕はその海岸にいた。

世間一般では、その行為をバーベキューと呼ぶ。きわめて健康的で能動的で瑞々しい響きだ。だが、僕のバーベキューは、そうした世間一般のイメージからはあまりにかけ離れていた。道楽ではない。ただ空腹を満たすためだけの野蛮な行為でもない。大事なのは、それがとても神聖でシリアスな行為であったという点だ。肉をいただくということは、命をいただくということなのだ。目のまえに肉がある以上、僕はそれを食べなければならなかった。むさぼるように、囓りつくように。誰と食べるかではない、なにを食べるかだけが問題だった。

肉なんかどこでも食べられるだろうと、あなたは思うかもしれない。その疑問は正しい。金さえ払えば、誰だってどこでだって食べられる。だが、それは取り替え可能な肉だ。釣りたてでしか食べられない魚があるように、もぎたてでしか食べられない果実があるように、肉にも、唯一無二の交換不可能な肉がある。

大きな塊のままの牛肉を、ろくに切りもせず、そのまま炭火で焼く。バーベキューの語源はスペイン語の「barbacoa」=「丸焼き」だから、その点を考慮すれば、むしろ世間一般におこなわれているもの以上にバーベキューらしいバーベキューだったかもしれない。懐中電灯以外にはほとんど灯りもない夜の海岸で、小さな炎が粛々と燃え続けるさまは、神聖な儀式のようだった。立ち上る煙もなにかのメタファーに思えてくる。足りないのはレクイエムくらいだったろうか。ある肉は生焼けだったし、ある肉は焼きすぎたりしたが、些末な問題だった。肉は肉だ。だいいち暗闇のなかでは赤と黒の区別などつかない。知覚できないものは存在しえないという人間原理の立場をとるならば、その海岸には間違いなく、食べごろの肉しか存在しなかった。

なにもあれが生涯最高の肉だとは思わない。あの日の僕に味を尋ねることはナンセンスだ。僕はグルメ・レポーターではないので、とってつけたような美辞を連ねても、連ねれば連ねるほど嘘くさくなる。だからこう言おう、それは肉の味であったと。今まで食べたすべての肉のなかで最も肉の味がした。どこにでも売っている焼き肉のタレと、どこにでも売っているバターで食べる肉の味は、そこ以外のどこでも味わうことのできないものだった。

シャワーのように放射線が降り注ぐ海岸で僕が食べていたのは、出荷停止処分を受けた牛肉だった。

 

ジョルジュ・バタイユは一九二九年、雑誌『ドキュマン』六号のなかで次のように書いている。
「屠殺場というものは宗教に所属する」

あえてこれを文字どおりに受け止めるならば、今、ひとつの宗教が終焉を迎えつつあるといえる。

屠畜場、食肉処理場、食肉センター……呼称はいろいろあるが、これらの名称に野球とベースボールほどの違いはない。せいぜい、カレーライスとライスカレー程度の差だろう。内部でおこなわれていることは一緒だ。獣畜を追い詰め、気絶させ、殺し、解体する。太古から何万回、何億回と繰り返されてきた儀式を機械化・ルーティン化しただけだ。人類文化が続いていくかぎり、この儀式も永遠に繰り返されていくのだろうと誰もが思っていたはずだ。ところが、あの三月十一日を境に、東北地方においてこの儀式は途絶えた。いずれ再開するだろうが、一度途絶えたが最後、僕たちはもう、かつてのように肉と接することはできない。開けてしまった玉手箱は、慌てて閉めてももう遅いのだ。

もちろん今後も人々は肉を食べ続けるし、食肉は生産され続ける。厳格なヴィーガンでないかぎり、食える肉があれば食うのだ。だが、そのとき、僕たちはもう、それがかつて生きていた「肉」であったことを意識せざるを得ない。清潔で美しい、スーパーマーケットで煌々と照明をあてられてプラスチックのようなピンク色に光る観念としての肉は、もう泡と消えてしまったのだ。

僕があの海岸で食べたものは、信仰の抜け殻のようなものといえるかもしれない。胃に格納された観念としての肉は、もうとっくに消化されて跡形もない。だが、あの日あの海岸であの肉を食べたという記憶は生き続ける。それを、僕は人生最後の肉だと、半ば本気で思っている。僕が炭火で燃やしていたものとは、なんだったのか。煙があれほど目に沁みたのは、なぜだったのか。

缶ビールを片手に携えながら、言葉や思想を白い泡に溶かして飲む。おそらく地元在住だろう若者たちが花火に興じる音が耳に届く。波音はそのすべてを連れ去る。服についた煙臭いが、僕が食べたものへの責任を追及しているかのようだった。

 

 

人類が肉を食べるようになったのは、いつからだったろう。六万年まえ、僕たちの祖先はアフリカを旅立ち、世界中に散らばった。これは人口の増加を受け、肉を確保するためだったとされる。また、ほかの動物にはない複雑な言語を獲得したことも、肉食の習慣と関係しているとする説がある。草は一人でも刈ることができるが、大きな獣は協力しあわなければ殺せない。だからコミュニケーションが発達した。近代野球は戦術の複雑化とともにブロックサインも複雑化する一方だが、雄叫びや口笛が言葉へと変化していったことも同じ原理といえるのかもしれない。人類は肉を食べることで進化し、文化をつくってきたわけだ。農耕がはじまったのはせいぜい一万五千年ほどまえだから、人間にとって自然な食行動は肉食のほうだと考えられる。反対に、近代的で文明的なありかたが菜食であると主張することでも可能だ。

菜食主義者がしばしば主張するように、肉が野菜にくらべて体に多大な負担をかけることは事実だ。動物性蛋白質は消化・吸収に時間がかかり、消化器官が酷使されるためだ。それでも人間が肉を食べてきたのは、短所を補ってあまりある魅力がそこにあったからだろう。しっかりとした歯ごたえ。噛んだ途端にあふれ出す肉汁。バランスよく配された脂身。そして食事後の充足感。リスクを負ってまで食べようとする、それだけの価値があった。しかし翻っていえば、肉がそうした魅力を失ってしまったとしたら、それはただ体に負担をかけるだけの危険物に堕してしまうともいえる。旨味がなくなれば、煙草だって自殺志願者以外は吸わなくなるのではないか。

昔はどのような肉にも価値があった。なんといっても肉には豊富な蛋白質がある。フリードリヒ・エンゲルスは「生命は蛋白質の存在様式である」と言ったが、蛋白質の欠乏は筋肉の衰えを招き、血管を弱らせることにも繋がる。戦時中、食糧に困っていた日本人は野菜の茎や芽さえも調味料で味をごまかすことでどうにか腹の足しにしていたが、そのようなぎりぎり生命維持をするだけのための食事にくらべれば、どれだけ固くて味気ない肉であろうとも肉は肉だった。目を見張るようなご馳走だ。喜んで囓りつくだろう。

しかし飽食の現代にあっては、空腹を満たすだけのものも蛋白質を摂るだけのものも、代替物はいくらでもある。まして量のわりに高すぎるカロリーは忌避されさえする。僕たちは今、旨くない肉を必要としていないのだ。肉は必ず旨くなければならない。閉店間際のスーパーマーケットで値引きシールを貼られた色の悪い肉よりは、新鮮な産地直送のキュウリを囓っていたい、そう考える人は少なくないはずだ。では、はたしてこれは、菜食主義への転向といえるだろうか。

 

ところで、ここ数年よく耳にする言葉に「草食系男子」というものがある。その定義については時期や話者によって若干のぶれがあるが、おおむね「消極的な男」のことだと解釈してよいだろう。恋愛に消極的で、デートに誘うこともせず、口説きかたも知らない、そんな男の総称として使われることが多い。

しかしながら、語源である本来の草食動物は、なにも消極的だから草ばかり食べているというわけではない。ウマやキリンやヤギが肉を食べないのは、ただ単に、肉を食べるのに適した肉体をもっていないだけのことだ。彼らのもとにA5ランクのサーロインステーキを置いたところで見向きもしないだろう。

いわゆる草食系男子は違う。彼らが興味の対象としないのは、肉そのものではない。ただ、「目のまえに存在している肉」に魅力を感じないだけなのだ。

この態度を消極的だと形容することはあまりに盲目的といわざるを得ない。むしろ彼らは、誰よりもグルマンであるといえるのではないだろうか。

彼らは食べるものを選んでいる。選んでいるように見えて選ばれてしかいなかった時代を終え、本当に自らの意志で選ぼうとしている。つまり積極的無関心、あるいは選択的無関心だ。去勢されているのは彼らのほうではなく、肉のほうだ。おそらく彼らのほとんどは、最高級の旨い肉が目のまえに饗されたなら、喜んで飛びつくはずなのだ。だが、一時の空腹を満たすために不味い肉を食べることはしない。美食家たるもの、一食たりとも無駄にしてはならないからだ。気の迷いで妥協した先に待ち受けるのは、後悔と強烈な胃もたれだけだろう。低品質な肉を食うぐらいなら草を食んで胃腸の調子をととのえておきたい、彼らの多くはこう考えてるたのではないか。来るべきご馳走にありつく日のために。

 

 

海底で人知れず暮らす、太古の恐竜の生き残りがいた。雑食性でおとなしい性格のその恐竜は、願わくばいつまでも悠々自適に暮らしていたかったことだろう。しかしその静かな暮らしは、人間の実施した水爆実験によって終止符を打たれてしまう。

一九五四年十一月に第一作が公開された、日本特撮映画史上に燦然と輝く金字塔『ゴジラ』シリーズの話だ。おとなしかったはずのゴジラザウルスは、実験によって浴びた多量の放射性物質の影響で、凶暴な怪獣へと姿を変えた。これが、僕たちのよく知るあのゴジラだった。

ゴジラといえば破壊だ。僕たちはゴジラをイメージするとき、伊福部昭によるあの有名なテーマ曲や、地割れのような足音とともに、街を破壊し人々を震撼させる、凶暴なあの姿を思い浮かべるに違いない。

第一作目において、その図式はすでに完成されている。ゴジラは挨拶がわりとばかり、首都・東京の街をことごとく破壊していくのだ。東京湾から芝浦へ上陸すると、新橋、銀座を経由し国の中枢である永田町を襲う。さらに上野、浅草と展開してから、隅田川を辿ってまた東京湾へと戻る。一見すると、ただ都内の有名スポットを行脚しただけに思えるかもしれない。しかし実はこのルートには、明確な制作上の意図がある。これは、東京大空襲の際にB29爆撃機が辿ったルートをなぞったものなのだ。

終戦からまだ十年も経っていない時期に、ようやく復興しつつある東京を、かつて壊滅させたのと同じように壊すという演出。スタッフがここに込めた意図を汲み取ることはそう難しいことではないだろう。また、この空襲さえなければ東京の都市計画が大きく変わっていただろうことも付け加えておきたい。関東大震災と東京大空襲という二度の壊滅のたび、東京の都心部はだんだん西へと移動している。このころまだ渋谷は今のような若者の街ではなかったし、山手線以西となれば田畑だらけだった。破壊は同時に、新しいはじまりでもある。

 

先ごろ、世田谷区内で高い放射線量が計測されたとの報道があった。世田谷といえば、東京二十三区の南西端に位置する区だ。つまり、その放射線が福島から飛んできたものだと仮定するならば、二十三区ほぼ全域に同等かそれ以上の放射線が降り注いでいる可能性が高くなる。首都が、看過できないレベルの被曝をしたということだ。

結果的には、その放射線量は原発とは無関係のものであったらしい。陰謀論を主張する者も一部にはいるが、その是非をここで論ずることはしない。

それより興味深いのは、この第一報があったとき、騒いだり慌てたりする者が局地的にしか存在しなかった点だ。問題の土地の近くで暮らす人であれば、怯えるのは当然だろう。冷や汗を流したり目の前が真っ暗になったり「転居」という言葉が脳裏をよぎったりするのも無理はない。しかし、たとえばツイッターにおける僕のタイムライン上は、淡々とそのニュースに触れつつも、どこかみな奇妙なほど冷静に見えた。些細な話題にすら過剰なほど加熱する、あのツイッターがだ。友人・知人も静観している人ばかりだった。家族にいたっては話題にすらしていない。

この冷静さがどういった種類のもので、社会学的にどのような意味をもつものであるかはわからない。ただ、間違いなくいえるのは、この報道があの三月以前になされていたなら、世田谷どころか首都圏じゅうの人々がパニックに陥っていたろうということだ。僕たちは、三月のあの水と食糧をめぐる狂騒を覚えているはずだ。あれと比較すれば、今回の一件ではほとんど波すら立たなかったといってよいのではないか。

やはり僕たちは、すでに麻痺するか覚悟をきめたか諦めたかをしているのだ。多くの人々の胸に去来したのは「やっぱり」とか「案の定」とかいう感想だろう。だから、結果が予想と違うものであったと判明したところで、なにを安心することもない。僕たちはやはり麻痺と覚悟と諦めのなかで、明日も明後日もゆるやかに生き続ける。

めいっぱいの「ご馳走」を食べた僕は今、どこの街をどのようなルートで破壊すべきだろうか。サヴァランなら答えを知っているかもしれない。

2015年8月14日公開

作品集『上限のない電波塔』第3話 (全5話)

© 2015 アサミ・ラムジフスキー

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