満月と仁王像

小渕太郎

戯曲

5,487文字

月夜にとつぜん動き出した二体の像。寺の住職はかれらと問答することになるのだが……。美とはなにかを考える。

登場人物

住職(一)

住職(二)

阿形像

吽形像

 

古の秋

現代

 

寺院の仁王門前

 

古の秋。像役ふたりは、仁王に模したる着ぐるみをきて、中央奥に位置する門の左右に入る。門のまえに住職(一)立ちたり。暗い舞台に、ほどよく白光をあて、月夜を演出す。

 

住職 (虚空の一点をみつめて)今宵は月が美しい。(うしろをむき、阿形あぎょう役のほうへ寄り)皓々たる月あかりに半身を浴しながら……、(ついで吽形うんぎょう役のほうへ寄り)いかめしいかんばせをもて、傲然とたたずんでいる。(中央へもどり、またうしろをむいて)年月を経てうらぶれる前に……、(客席へむきなおり)私が手ずからこわしたい……。

(ふたたび虚空をみつめる住職。その背後で像役のふたりが、俄に身をよじりはじめる。ㇳ絆しを解かれたがごとく、手足の自由が利くようになる)

阿形像 (門内よりぬけだす。住職を越してたちどまり)たわけたことをかすでない!

住職 (声に応じて阿形役のほうへむく。ㇳ忽ちその場でしりもちをつき)……おお、何たることだ……。ぞ、像が……阿形像が……うごいた!

吽形像 (先とおなじ動作をし)我らを毀す、これ、許すまじ所業。

住職 (ついで吽形役のほうへむきなおり)う、吽形像まで!そ、それに、しゃべっている!

(像役のふたりは、住職より前面に位置をとり、彼を挟むかたちで、客席にむかい斜めに立つ。住職はしばし腰を抜かして、わなわなと身を震わす)

阿形像 して、住職よ。うぬはなにゆえ、我らを毀さんと欲するか?

住職 (震えはむも、ぼんやりとして)わ、私は、夢でもみているのか……。あるいはこれは幻か……。

吽形像 我らは幻などではない。ましてや夢とはわらわせる。偽りだと思うのならば、己が頬辺ほおべたでもつねってみるがよい。

住職 (頬をつねって)――痛たたた、たしかにこれは夢ではなく、うつつらしい。――も、もしやこれは、応身仏おうじんぶつではあるまいか……?

阿形像 否。我らはたんなる偶像にすぎぬ。

住職 ――し、しかし、その偶像の那辺なへんに、やにわに門からぬけだし、人語をあやつるようがあるというのだ?

吽形像 すべては月のおぼしめし。

住職 なんと!

阿形像 ――さて、こんどは我らが問にいらえてもらおう。

住職 (やおら立ち上がりつつ)なにゆえ、お主らを、毀そうとするか……であったな?

吽形像 いかにも。

住職 それは……、お主らの美しさがゆえだ。

阿形像 我らが……、

吽形像 美しい……、

二体の像 そう申すか?

住職 さよう、お主らは美しい。……そして、いまこそまさに、その美しさの爛熟期らんじゅくき、美のたけなわだ。それがあかしに……、(阿形役にちかより)このすさまじき面魂つらだましいに……、(ついで吽形役にちかより)この隆々たる筋骨は……、いかにも生気をみなぎらせている。さながら壮齢の男子なんしのごときに。あるいは……、(吽形役を見あげて)たぎる瞋恚しんい口唇こうしんでとじ、あるいは……、(阿形役にちかより、それから見あげて)忿怒ふんぬに燃えて大口をひらく。(真ん中へもどり)お主らは美をのぼりつめ、今しその絶巓ぜってんにいるけれど、亢竜こうりょう悔いありというように、あとにのこるのはくだりのみちのみ、衰えが首をながくしてまっている。しからばいっそ、頂きより身を投じたほうがよほどさかしい。さすれば滅却へと一足飛びに転落でき、お主らが美はとこしえに、私の胸に生きるのだから。

阿形像 なんと手前勝手な!

吽形像 我らは衰えなど憂えてはおらぬ!

住職 いかにも手前勝手なことわりだ。されどもお主らが美にふれて、想いを洩らすのも又、わたしの勝手。それがたとい、いかなことばであろうとも。――しかし案ずることなかれ、想いはそう易々やすやすと、遂げられるものではない。

阿形像 ――ならば、意志なき独語どくごと心得よう。

吽形像 詮方せんかたない。

阿形像 ――ときに住職よ、汝は先刻、我らを美しいと申しておったが……、そも美とはなんぞ。――汝は美をなんと説く?

住職 美……か。――美とはけだし……、“胸をつ”ということであろう。

吽形像 ――胸を搏つ?

住職 さよう。

阿形像 我らをみて胸を搏った。ゆえに我らは美しい。そう申すか?

住職 いかにも。

吽形像 しからば汝は、美をいずこより見いだすか?

住職 うつのありとあらゆる処より。

阿形像 例えば塑像そぞう

住職 例えば塑像。しかしてこれ措けば、小鳥、朝露、見目よきおもて。庵、庭石、紅葉もみづやまやま。すすき、打ち掛け……、(虚空をみつめて)望月もちづきの夜。

吽形像 ――つまりは物や自然のうえにか?

住職 目にみえる物ばかりではない。――あるいは音が心地よく耳朶じだにふれた時、あるいはよき思い出が胸にうかんだ時、あるいは人を助ける処を目のあたりにみた時、あるいは道徳心にうったえる説話にでくわした時、そうした時にも、胸は搏たれる。

阿形像 ――なるほど。してみると美とは、立派なあるいは褒まれるべき行い、つまり善行にさいしても生じうるもの……しからば、胸を搏ちうる善とは、すなわち美であるか?

住職 美挙、美徳、美行、美談。――這般しゃはんの言葉が存するのは、善にかなう行いに、美を見いだしてきたという証し。なればこそ、その行いをあらわす言葉に、美の一字を充てたのであろう。かくて善き行いは、ともすれば美しい事とされてきた。されども、善がすなわち美というのは、いささか速断にすぎやしまいか。と申すのは、美とは胸を搏ったさいに、はじめて生ずるものであって、その美しいとされる行いも、じかにふれて胸を搏つまでは、真に美しき行い、つまり至純しじゅんの美とは云えぬのだから。

吽形像 ――では問わん。至純の美は、常しえ足りうるか?

住職 ――至純の美は……常しえに……、否、至純の美は……

阿形像 フフッ、迷うておるな。さもありなん、これを拒めば、今しわれらを除けばその美は常しえという先刻の論を、みずから破るも同義なり。さりとてこれをがえんじきるにたる自信もなきと見える。

住職 ――至純の美が常しえたり得ずとも、お主らが美しさは、私のこころに不変のはずだ。

吽形像 蓋しくも、そうであるやも知れず。されどそこには、美しき塑像ばかりが遺り、至純の美はなおざりにされておる――。美が胸を搏ちしおりに、はじめて生ずるものならば、美とは畢竟ひっきょう刹那せつなに生れ死ぬものぞ。ある刹那に生れし美は、つぐ刹那にてはや失せり。ただ美しいという言葉のみ遺して。ああ……、美のしょうのいとも果無はかなきことよ……。

住職 さ、されど、塑像とて思い出のごとく、ふと心に浮かんだ刹那に、また胸を搏たぬとは限らぬではないか。

阿形像 いかにも。美はいくども生じうる、あるいは甦りうるものであろう。なにかにふれて胸を搏ち、こつねんと現じ又滅す、あたかもあま曳く流星のごとし――。

住職 (俄に悄然としてため息をつき)美は流星か……。(虚空をみつめて)なるほど、捉えきれぬ……。

吽形像 ――しかし、汝ら浮世の衆は、とかく美しきものを決めたがる。けだし便宜のためでもあろうが、したらば衆人は、美しいとされるものをしか、見むきしなくなる。いずこにも美を見いだしうるのが、現し世であるというのに……。なれど汝はさにあらず、とても美しいとされる望みなきもの、すなわち我ら塑像なぞに美を見いだした。我はこれを、歓びをもってむかえる。

阿形像 我もまたしかり。現し世の那辺にも、美を見いだしうるということは、いて美の望みなきものに、光をあてるということなり。――なにものも美の権化たりえず。なれば、凡てのものが美しくなりうる。

住職 ――慥かにわたしはお主らに、美を見いだした。常人ならおそれることはあっても、胸を搏たれることはないであろうお主らに。されども私は、美しい仁王像、つまり美しいというころもをまとった仁王像をめでるあまり、刹那にしか存しえない純たる美を、ないがしろにしていた。尊ぶべきは至純の美であったのだ!刹那なればこそ美がたっといとはつゆほどもしらず……。

阿形像 ――のう吽形、生きとし生けるものが畢生ひっせいは、いともみじかきとおもわぬか?

吽形像 おう阿形、さもありなん。くらべて我らはこれよりさき、幾百年とうつしよに、荏苒じんぜんとして在りつづかん。

阿形像 しかれども、幾百年も風をあぶれば、やがて傷つき、

吽形像 からだの処々がくずれだし、

阿形像 醜きなりをさらすべし。――されどそうもなれば、愈々いよいよつとめを果たしたとみなされ、だれぞ火中ほなかのただなかに、この身を放たるはずなり。

吽形像 ――のう阿形、生きとし生けるものが、かれの天寿を全うするのは尊きことと思わぬか?

阿形像 おう吽形、さもありなん。何物も役あるうちは須く、世にいくるべきなり。

住職 ――お主らの心はわかった。あるがままも又、たっときこと……。

二体の像 (虚空をみつめて)――今宵は月が胸を搏つ……。

住職 (同じく)いと美しき御姿や……。

 

暗転。現代に換える。住職(一)および像役ふたり退場す。古びたる仁王の人形二体を、門内左右へおく。男は門の奥にまち、住職(二)は手前にたつ。仄暮れのあかり。徐々に暗くす。

 

住職 (仁王像をみながら)きょうもたそがれにあわれな姿をさらすか……。(客席へむきなおり)凋落の色に染まりきっている。

男(仁王門の奥より登場し) あッ、どうも住職さん、拝観が済みましたので、これにて私、失礼させていただきます。

住職 そうでございますか。本日は遠方よりご足労いただき、ありがとうございました。なにぶん辺鄙な町でして、寺も侘しいものですから、人のお越しになったのは、久方ぶりのことでございます。

男 いえいえ、とんでもございません。私の方こそご案内いただき、ありがとうございました。おかげさまで、私淑ししゅくする俳人の句碑くひもすぐに見られました。

住職 お役に立ててなによりです。――それで、その俳人ゆかりの地をめぐる旅は、これからもお続けになるお積りで?

男 はい、こんどはもっと遠くへ足を延ばそうかと思っております。

住職 そうですか、ご苦労さまでございます。くれぐれも道中お気をつけくださいませ。わたくしも旅のご無事をお祈りしております。

男 どうも済みません。――それはそうと、住職さん、先ほどからずっとここに立っていらして……、(仁王像をみて)あの像をご覧になっていたのですね。

住職 ――ええ。

男 ――ずいぶんと……、痛んでおりますね。

住職 ――はい。はなはだしい損傷です。塗装ははげ、手や腕はおち、腹に穴あき、満身にひび割れがある。いつ崩れ落ちてもおかしくないでしょう。

男 ――そのようですね。

住職 ありし日の仁王像は、それは荘厳な姿をしていたらしいのですが……、いまは見る影もございません。――ほんとうなら修復すべきなのですが……。

男 できない理由があるのですね?

住職 ――はい。――この古刹こさつには、古より伝わる戒めがございます。曰く、 “何人も仁王怒れりと知らるるうち、之を火中にぶるべからず”。

男 それは、どういう意味なのですか?

住職 要するに、“仁王像が怒っていると分かる間にはかれを燃やすな”、ということです。

男 なるほど。――では、逆に解釈しますと……、“仁王像が怒っていると分からなくなった時にはかれを燃やせ”。

住職 ご察しがよろしいようで。その戒めをなした僧であります私の高祖父は、どうも仏敵からの守護という役目をおえた、あるいは果たせなくなった仁王像を、ねぎらいの意味も込めて、人間のように荼毘にふしてほしかったようです。

男 それで修復できないのですね。

住職 ええ。修復するということは、つまり彼らを生き永らえさせるということ。これは僧の意志に反します。(仁王門へむき)――どうですか、あなたは、彼らが怒っているように見えますか?

男 (同じく)――正直申しまして、とても怒っているようには……、見えません。

住職 ――やはりそうですか。私もです。私がおさない時分には、彼らをおそれてはおりましたけれど、それもいまにしておもえば、怒りにおびえたからではなく、不気味にかんじたからかもしれません。いよいよ最期の時がきた、このごろは日増しにその念をつよくします。

男 彼らを荼毘にふすのですね?

住職 はい。私みずからこの寺内にて、手厚く弔いたいとおもいます。あァ済みません、これからお帰りというところ、このような話をお聞かせしてしまって……。

男 とんでもございません。いいお話を聞かせていただきました。あれッ、いつのまにか真っ暗だ。(虚空をみて)見てください、東の空に月がのぼっていますよ。

住職 (同じく)あァ、ほんとうですね。――今宵は満月か……。(仁王像をみて)――ふしぎなものです……、私はいま、彼らのおもてに、笑みがうかんで見えます。こんなことははじめてです。

男 (同じく)――笑みは……、美しいものです。

住職 ええ。胸をうちます。

 

――幕――

2016年2月23日公開

© 2016 小渕太郎

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