掌の破滅派

このページでは、破滅派編集部に届いた小品を紹介します。

しなしなのリンゴ売り

悪辣外道和尚

上海から列車に揺られること数時間、山間の寂れた駅に停まった。五分ほどの停車になる。
我が国の経済発展は著しいが、内陸部へ一度足を踏み入れれば、まるで別世界であり、時空を超えたかのような錯覚に陥る。都会で育った私には、牧歌的な風景が、どこか懐かしいように感じられ、時折通り過ぎる古いあばら家には、カルチャーショックすら受ける。 完全に停車する前から、プラットホームの物売り達は、こぞって列車に群がった。中には乞食もいるのだが、物売りたちと大差ない格好をしている。物売りの商品は、新聞や飲料、果物、タバコ等がある。

ちょうど婆さんが、体の一部のような萎びたリンゴの籠を抱え、私の座席の窓際へと近寄ってきた。
しわがれた声で、「リンゴは要らんかね? 一袋一元だよ」
田舎の味とはどんなものなのか。
私は婆さんに、二十元札を一枚渡した。リンゴが四個入った袋を受け取り、釣り銭をよこすよう促す。婆さんは忙しく頷き、まごつきながら抱えていた籠を地面に下ろし、そわそわポケットを弄りだした。皺だらけの小汚い財布を取り出し、財布をひっくり返すが、小銭はない。婆さんは申し訳なさそうに、それでいて人懐っこい笑顔を浮かべる。
時間が経った。
婆さんは、未だゴソゴソと体のあちこちを探ってる。私と目が合う度に、手を停めて苦笑い。
車掌が列車の外で、安全確認を行っている。
「おい、婆さん。お釣りはまだ見つからないのか?」と婆さんを急き立てた。
「今探してるんだがねぇ、おかしいのぅ」
「もういいから、近くの者に小銭出してもらったらどうかね?」
耳を貸すどころか、婆さんは何事かをごちゃごちゃと方言で喋りだした。鳥がピーチクパーチク騒いでるようにしか聞こえない。
私の脳裏に一抹の不安がよぎった。
この婆ァ、まさか時間稼ぎしているのではあるまいな?
腹の底で、険悪な感情が煮える油のように沸き立ち始めた。

汽笛が鳴り響くと、列車はガタンと音を立てて、ゆっくりと動き出した。私が懸念する最悪の事態は、どうやら婆ァの思い描いた最高のシナリオのようだ。貧民風情に、してやられたかと思うと、怒りに任せて、クソババアを散々に罵倒したい衝動に駆られる。
丸まった新聞を握り潰し、憎憎しげに窓の外に目をやると、婆ァは事態が飲み込めないネズミのように、キョトンと立ちすくんでいた。ゆっくり動き出す列車に血相を変え、なんとこちらの車窓に向かって走り出したではないか。手にはしかと釣り銭が握られていた。しかし、すでに列車は加速し始め、老婆の足では到底追いつけない。それでも彼女は諦めることなく、握り締めた手を振って懸命に走り続けた。
「お釣り、お釣り、あなたのお金だよ!」裂けんばかりに声を上げる。
距離はどんどん開いていく。老婆が蹴躓いて中空に放り出された時、私はあっと窓から乗り出した。彼女は強かにコンクリートの地面で頭を打ったが、それでも尚、痛みを堪えて顔を上げ、額から頬に流れる血をそのままに、握り固めた手を震わせながら、腕を目一杯こちらに伸ばしていた。その瞬間、私の魂は震撼した。呼吸も忘れ、次第に遠く小さくなっていくその姿を凝視し続けた。
列車は更に速度をあげ、小さな駅が遠くなっていく。目を閉じると老婆が血を流したあの光景が、まるで映画の一場面のように、繰り返し映し出される。袋から萎びたリンゴを手に取ると、胸が一気に締め付けられた。
列車が駅を離れ、山の向こうへ隠れて見えなくなると、プラットホームで蹲っているリンゴ売りの老婆は項垂れたまま、ゆっくりと手の中で皺になった二十元札を見るなり、ニヤリとする。手で血を拭うと、茶色いボロボロの歯の隙間から、ヒヒヒ、と下賎な笑いを漏らした。

ーー了

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