一昨年、作詞家の阿久悠さんが亡くなりました。
それまでは「阿久悠?誰それ」という感じだったのですが、徒然なるままに連日放送される追悼番組を見ているうちに、だんだんはまっていきました。
そして今年に入ってある番組で歌手の北原ミレイさんが『ざんげの値打ちもない』(幻の四番入り)を熱唱していたのに感動し、youtubeでその動画を繰り返し見ているうちに「この歌詞の構成を取り入れた小説を書いてみよう」と思い立って書き上げたのが、『オフライン文芸誌 破滅派三号』に寄稿した短編小説『海辺のざんげ部屋』でした。
しばらくすると阿久悠の歌を多く歌っていたジュリーこと沢田研二に恋してしまい、いつの間にか毎日動画収集に明け暮れるようになり、「この歳になってアイドルに夢中になるなんて…」と我ながら情けなくなったりもしましたが、それもようやく落ち着いてきました。
(まだ生きていて今も活動しているけど、全盛期だった1970年代のジュリーじゃなきゃ駄目という、なんとも難しい複雑な恋でした。)

そしてもう一度冷静に阿久悠の歌詞と向き合ってみたいと思い、先日『阿久悠を歌った100人 女性歌謡曲編 ざんげの値打ちもない』というCDを購入しました。
その名の通り、阿久悠が歌詞を提供した歌手の、名曲の数々を集めたアルバムです。
聴いたこともないような歌もありましたが、和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』や八代亜紀の『舟歌』、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』など、おなじみの歌も数多く入っていました。もちろん北原ミレイの『ざんげの値打ちもない』も。
その中でも異彩を放っていたのが、夏木マリの『絹の靴下』です。
前にちろっと聴いたことはあったのですが、改めて聴いてみると、なんだかこう、なんて色っぽいんだ!と。
もちろんそれは、夏木マリも努めて色っぽく歌っているせいもあるし、歌詞の内容も「金持ちの男と結婚したが気取った上品さなんてもうイヤ!誰か私をめっちゃめちゃに抱いて!」というものなので当たり前といえば当たり前なんですが、なにか他の要素があるような。
そこで改めてタイトルを見てみる。サビにも多用されている言葉、「絹の靴下」。…これだ!
くるりと考えてみると、単なる「靴下」だとなんだか臭いイメージ、かといって仮に「絹のスリップ」だと「いかにも」な、タイトルとしてはむしろ安っぽい感じ。
「絹」と「靴下」という少し意外な組み合わせだと、なんだかしっとりとした得も言われぬ良い香りが漂ってきそうではありませんか(靴下までシルクなんだよ、ということでいかにお金持ちかも分かる)。
そしてそれは歌詞に描かれている、上流に属しながら情熱を持て余している、言わば上品さと野性味との狭間で悶えている女性自身にもつながり、その色香をいっそう引き立てることに一役買っているような。…おお!
……と一人で盛り上がってしまい、阿久悠がどうしてこのタイトルをつけたのかを知りたくなって調べてみたところ、1950年代のアメリカ映画でそのまんま『絹の靴下(原題:Silk Stockings)』というタイトルの作品があったことが判明しました。傑作だとか。すみません。知りませんでした。
そういえばジュリーの『勝手にしやがれ』だってゴダールの作品名と同じじゃないですか!
それにしても、よく知られた映画と同じタイトルを冠して独自の新たな物語(歌詞)を作り出すというのは、よほど自信があったということなんだろうな、と思いました。
夏木マリの『絹の靴下』もジュリーの『勝手にしやがれ』も大成功!という感じです。恐れ入りました。

ちなみに私は、靴下なんてユニクロで2足1000円のやつで充分です。この冬はフリース素材のあったか靴下にお世話になりました。とってもオススメです。

谷田七重