鯨子さいごの仕事(前編)

竹之内温

小説

8,581文字

輝ける女子アナたらんと用意周到に自分を磨く女子高生、安藤鯨子。高校卒業を控えた彼女は、将来のスキャンダルの芽を摘むために卒業アルバム製作委員となるが……

私が二十歳になった瞬間にすると決めていること。それは改名だ。

 

「私やります!」

クラス中の視線が一斉に私に集まる。いいのよ、私は将来のことまでちゃんと考えているんだから。今の面倒くらいたいして気にもならないのよ。ブスのあなた達は、自堕落に家でお菓子でも食べながら、テレビドラマでも見てなさい。

「安藤さん以外は? 誰かいない? クラスから二人出さなきゃいけないのよ」

「あのー、私もやります」

斜め前の席の岡本かよ子だ。あのブス、なんで手なんか挙げたんだ。あいつがアルバム委員をやったって、いいことなんて一つもないのに。馬鹿な奴。まぁいい。あいつなら簡単に丸め込めそうだ。

「じゃあアルバム委員は安藤さんと岡本さんね。次は明日の……」

あと一ヶ月でようやく長かった高校生活も終わる。私はすでに行く大学も推薦で決まっているし、大学に入ったら絶対にミスキャンパスに選ばれて、将来はアナウンサーになると決めている。そのために高校の三年間のすべての時間を使ってきた。彼氏とも絶対に写真を撮らなかったし、ダイエットと筋トレも一日も欠かさずに今日まで続けている。成績は一年から三年まで学年トップ、でも人っていうのは完璧な人間を嫌うものだ。私は知っている。だから体育の時間だけは実力を出し惜しみして、マラソンなんかも途中でリタイアした。水泳の時は水が苦手な振りをした。ちょっと顔を水にけただけで咳き込んでしまう姿が、他人にどんな印象を与えるか。私は知っている。

彼氏のさとるはことある毎に「写真撮ろうよ」と言ってきた。カラオケに行った時も、ラブホテルに行った時だってそうだ。裸の私に向かって携帯電話を向けてきたのだ。その時ばかりは私も逆上した。将来悪質な雑誌に卑猥な顔で微笑んでいる私の写真が大きく載るのだ。『大流出! (鯨子)アナウンサーの高校時代、素顔を激写!』。そうしたらそれまでの清楚で可憐な人気アナウンサーは一気に仕事を失う。私のろくでもない元彼は写真のおかげでたくさんのお金を受け取るのだ。

「ちょっとやめてよ。この裸はさとるのためだけのものなんだから。写真なんて撮ろうとしないで」

「何で鯨子はそんなに写真を撮られるの嫌がるの?」

「ほら、昔の歌の中に『古くなった写真の私はもうここにはいない』って歌詞あったでしょ? 私はあの歌詞の中の女の子と同じ気持ちなの」

ここで優しくキスをすればいい。私は知っている。

「でも俺達、二人で一緒に写ってる写真一枚もないんだよ」

さとるは馬鹿だけど、容姿がいいから付き合う相手としては私にふさわしいと思う。この田舎の街の中でさとるは結構目立つ存在だ。顔が格好良くて、雑誌を見てはわざわざ東京まで洋服を買いに行っている。身長も私よりも十センチは高い。なによりもさとるは物事をあまり深く考えないので、扱いやすいのだ。

一度洋服を買いに東京に行くと言う、さとるについて行こうとしたが、笑って断られた。「何で一緒に行っちゃいけないの?」と聞くと、「俺の買い物は慌ただしいから、鯨子きっと疲れちゃうもん」と言われた。さとるはきっと怖いのだ。私が東京に行き、たくさんの男の視線にさらされて、別の男のものになるんじゃないかと心配なのだろう。自分が連れている女に男の視線が集まることに快楽を感じないのだろうか? さとるは快楽よりも先に、嫉妬を覚えるタイプなのだろう。

「私とこうやってしてるだけじゃ嫌?」

とっておきの顔で微笑む。さとるはあっという間に私に覆い被さってくる。ベッドの中において、前髪がどれほど重要な要素になるか私は知っている。乱れても美しさを保つためには、今流行っている短めのパツンと切られた前髪じゃ駄目なのだ。幼さの演出にはなるかもしれないが、女にはなれない。ベッドカバーと髪の毛が溶け合うためには、前髪にある程度の長さが必要なのだ。時に視線を隠し、時にベッドカバーの上に咲き誇る花になる。全員とは言わないが、たいていの男は長めに用意された前髪に触るのが好きなはずだ。ベッドの上でも、偶然の出会いの中一瞬で相手を自分に惹きつける上でも、前髪は耳朶が隠れる長さがちょうどいい。大人っぽさと愛らしさの両方を演出できるからだ。もちろんあまりに前髪が長すぎると、陰気臭くなってしまうから長さには注意が必要だ。

 

私は場所が例えラブホテルでも、腹筋、背筋百回、腕立て、スクワット三十回、柔軟体操十五分は欠かさない。さとるは終わった後すぐに眠ってしまうので、私は広い浴槽で三十分の半身浴を行い、その後顔のマッサージ、全身マッサージと続く。同級生は隣で寝ている恋人の顔を見ていると、とても幸せな気分になるという。けれど私は寝ているさとるの顔を見つめてみたことなど一度もない。そんなの時間の無駄だと思う。私の唯一の欠点。それは寝顔の醜さだ。これだけはどうにも改善の方法が見つからない。本当に美しい人は寝顔まで完璧であるべきだとは思うけど、どんなに努力をしても無理だった。だから私はさとるよりも遅くまで起きていて、朝はさとるよりも早く起きる。可愛い顔で寝た振りをして、さとるが目覚めるのを待つのだ。私はラブホテル特有の大きな鏡に写った自分に、微笑みかける。私は知っている。今日の私も昨日と同じく美しい。

 

私の唇の左横には少し大きめの黒子ほくろがある。この黒子を差し出す感じにわずかに顔を突き出す表情が、私の持ってる中で一番とっておきの表情だと私は知っている。屋外での記念撮影の時には、突風が吹く可能性がある。その時は風の吹く方向を確認して、優しい手つきで髪を顔から払うポーズをとる。高校の同級生のそれは少し無造作すぎるのだ。なんにも分かっちゃいない。ブスはブスなりに努力してればいいけれど、努力を怠ったブスは手の付けようがない。同級生はアイドルの写真が載った雑誌『キューティー☆モンスター』を休み時間になっては広げて、それを皆で囲んでキャーキャー声を立てている。

「私が恋人になったら一緒にドライブに行って、その人の主演してる映画を見るの」

「この男の子は格好いいのに、彼女のアイドル不細工じゃない? それにグラビア出身でしょ。どうせこの女の胸に惚れただけだよー。だからきっとすぐに飽きてこんな女捨てるよ」

そこでまた笑い声がおきる。

「だってあんただって男のこと引っかける時、胸の谷間見せるじゃん」

「そこら辺の男は胸見せれば寄ってくるもん。でも大切な人にはそんな簡単に見せないよ」

「それってさ、なんか滅茶苦茶じゃない? しりめつれつって言うの? そういうのってさ」

月曜日の学校は一週間の間で一番騒がしい。週末の出来事を皆が一斉に話し出すからだ。私はなるべく自分のことを話さずに、微笑むことに決めている。ラブホテルのポイントカードがスタンプで一杯になって、一回無料で泊まれた話なんて決して言わない。そんなことを女子校の一人にでも漏らしたら、やっぱり週刊誌に『人気アナウンサーの放埒すぎる高校時代!』などと人気絶頂の時に書かれてしまう。同級生は皆簡単に私のことを喋るだろう。それで好きなアイドルの記事も同時に載った雑誌を手に浮れ回るのだろう。私の同級生はメディアにとっては生き証人なのだから、軽蔑しつつも大切に扱わなくてはならない。もちろん私のことをやっかんで、嘘を言い立てる人も出てくるだろう。けれど決定的な証拠だけ、私が残さなければいいのだ。

「鯨子、私見たよー。彼氏とラブホテル行ったでしょ? 昨日の夕方」

「えっ?」

「別に隠さなくたっていいじゃん。ウブそうに見えて色々してるんだね」

「ああっ、あれね。彼の友達がホテルに忘れものしちゃって、たまたま私達あそこら辺に用事があったから、ついでに取ってきてあげただけだよ。まさか私あんな所行かないよー」

「ふーん、そうなんだ。それにしては手とか繋いで仲良さそうだったけどな」

「考えすぎだよ」

「鯨子の彼氏、一高の人でしょ?」

「何で? 彼氏なんていないよ」

「色々とね、情報ってのは回るのよ。こんな街だと特にね」

今話をしているのは、私と同じアルバム委員の岡本かよ子。学校にもかなりの厚化粧で登校してくる。成績は良くって、いつも二番をキープしている。私もかよ子も秀才の割にいわゆるガリ勉タイプではないので、まあまあ仲良くしている。私は隣の無人駅に設置してある電話ボックスの落書きの中に

『隣街のさせ子ちゃん! 岡本かよ子→090—1852—53×× やりたくなったらこの子に電話!』

と書いてあるのを見たことがある。この前さとるにかよ子のことを聞いてみると、さとるは「ああ、その子ね」と言い、こう続けた。

「俺の友達でも五人は相手になったのがいるよ。そのうちの二人なんて三人でヤッたんだってよ」

「ヤッたなんて言い方やめてよ」

「あー悪い、悪い。三人でして、そん時にビデオカメラで撮影したんだってさ。かの子って女の子は何でもオーケーしてくれるみたいじゃん。鯨子とは違ってさ」

「さとるは見たの? そのビデオ」

「見てないよ」

「嘘つき、見たんでしょ?」

「ちょっとだけね。見たっていうか見せられたんだよ」

「どうだった?」

「どうって。何て言うの? エロかった」

「そうじゃなくて、かよ子の裸は綺麗だったかってことよ」

「ああ。鯨子ほどじゃないけどね。でもいい胸してたな、あの子」

さとるは結局かよ子の胸を見ていた。私はもっと細部の話を聞きたかったのだ。どんな声を立てるのかや、何をされている時のかよ子の顔が一番エロティックだったのか。私の胸はかよ子のそれと比べると、とても貧弱だ。全体的に見ると決してバランスは悪くないが、てのひらに収まってしまうのは物足りなさを感じる。これも寝顔と同じくどうしょうもない問題だ。しかし、清楚を今後売りにしてゆくつもりなら、この小ささがチャームポイントになるのかもしれない。それにしてもかよ子はそんな簡単に男にビデオカメラを向けさせて、よく平気でいられるものだ。こうやって田舎のちょっと可愛い女は堕落してゆくのだ。

「さとる、そのビデオ友達から借りれないの?」

「多分借りられると思うけど、どうして? まさか鯨子見たいの?」

「一緒に見ない? だってかよ子がどんなかちょっと見てみたいの」

「じゃあ今週中に借りられるように友達に言っておくよ」

 

アルバム委員の集まりは毎週月曜日の放課後に行われる。クラスで二人、全体では六クラス、十二人の人間でアルバムを作る。一クラスに割り当てられるページは見開きで四ページだ。その四ページはクラスによって好きに作っていいということだった。私とかよ子は各自載せて欲しい写真があったら、持ってくるようにとクラスメイトに伝えた。あとはアンケート用紙を一人に一枚配った。

 

1 学校生活で一番記憶に残っている出来事は?

2 クラスの中で一番可愛いと思う子は?

3 好きなタレントは?

4 クラスの中で一番頼れる子は?

5 クラスの中で一番大人っぽい子は?

6 将来一番の大物になりそうな子は?

7 最初に結婚しそうな子は?

8 自分が男だったら結婚したいと思う子は?

9 最後に一言!

 

私にとって2、5、6、8は必ず一番になっておかなくてはいけない項目だ。その四つは問題なく一番は私になるはずだが、一応の予備として私は委員になったのだ。性格の悪い女が勝手にアンケート結果を改竄してしまう可能性だってあるのだ。ファッション誌の巻頭インタビューで私はこう聞かれるのだ。

 

――高校時代のアルバムを拝見した所、同級生は皆(鯨子)さんのことを綺麗で、大物になる予感を高校時代から持っていたみたいですね。

「いいえ、クラスの皆は優しかったから、私のことをからかっていたんですよ。私って少しでも褒められると慣れていないから、顔が真っ赤になっちゃうんです」

――そんな(鯨子)さんの事をやっぱり可愛いと思ったんじゃないですか? 高校時代の(鯨子)さんってどんな感じの学生だったんですか?

「それが全然あか抜けなくって、勉強ばかりしていました」

――恋愛面では?

「そう来ると思ったんですよ(笑)。恋人はいませんでした。いいなと思う人がいても相手に恋人がいたり……。上手くいかなくって。全然モテなかったですし」

――(鯨子)さんがモテないなんて! いつでも謙虚なんですね……

 

私は世間の中で処女でなくてはならないのだ。モテないというのはイコールで、高嶺たかねの花だからだろうという感想を読者は持つだろう。嫌みにならないためには最初から恋愛には疎いふりをしておけばいい。私の口元の黒子はエロティックに思われがちな要素ではあるけれど、小振りな胸がそのイメージを払拭してくれる。アルバムに載せるための写真撮影は明後日行われる。ニキビができないように、今日からは野菜をたっぷりめに摂取し、今日、さとるの精液を飲もう。精液にはタンパク質がたくさん含まれているので、肌にとてもいいらしい。そして前日には買い置きしてあるパックで、肌のキメを整えよう。

学校の校門近くでかよ子に声をかける。

「かよ子忙しいでしょ? 私時間あるから皆から受け取った写真のレイアウトとか、アンケートの集計やるよ」

「いいの?」

「いいよ。私細かい作業あんまり嫌いじゃないし」

「助かるよ。じゃあ今からファミレス行かない? 何か奢るよ」

「ありがたいんだけど、今日は遠慮しておく。それより何でかよ子はアルバム委員になんてなったの? そういうの好きなタイプじゃないでしょ?」

「何かさ、暇だったから。別にたいした理由はないよ」

これで全権限は私に委ねられたという訳だ。家にはちゃんとアルバムに載せるための写真を選別して置いてある。私の写真ばかりだとさすがにクラスの女に嫌な思いをさせ、後々に響くだろう。ある程度の謙虚さを持って完璧な私の写真を配置すればいいのだ。家の机の上にはブスに囲まれて、天使のように微笑む私の写真が積み上げられている。誰が見ても思わず「この子可愛いね」と言葉を漏らしてしまう類の写真だ。

「鯨子ー!」

さとると私の行くラブホテルの場所は決まっている。さとると私の学校どちらからも三十分はかかる場所だ。高校生は大抵が、学校からも近い市街地にあるホテルに行くので、そっちのホテルだと誰かに出くわす可能性が高い。私達は誰とも会わずに済むように国道沿いにあるホテルに行く。お金はほとんど毎回私が払っている。さとるは払うと言ってくれるが、口止めの意味も込めて何となくそうしている。

「持ってきたよ。例のビデオ。何かうちの学校のほとんどの連中が見てるみたいだったよ。かよ子ちゃんファンクラブなんていうのもできたみたいだしね」

「何それ?」

「なんかビデオ見て、好きになっちゃった男がたくさんいたみたいでさ。今日も俺の高校の奴ら何人か、かよ子ちゃんに会いに行ってるみたいだよ」

「そうなの……。さとるもかよ子に会いたい?」

「俺は鯨子がいるから、そんな女に会う必要ないよ。分かってるくせに」

私とさとるはラブホテルの部屋に入って早速テレビの電源を入れて、ビデオをセットする。ブレる画面。二人の男の喧しい声。カメラの先、微笑むかよ子。かよ子は今、私がいるのと同じラブホテルの部屋で、下着姿のままカメラを見ている。オールドローズ色のマニキュアを塗った指先が煙草を口へ持っていく。私は思わず自分の立てた、ごくりという喉の音に怯えた。かよ子はその豊満な胸を黒いブラジャーで覆っていたが、中心にはくっきりと谷間が見えた。黒い下着姿で煙草を吸っているかよ子は、女だった。お腹にはうっすらと脂肪が付いていて、真っ白だった。男の一人がかよ子のブラジャーのホックを外す。それでもかよ子は煙草を口にくわえたまま、片方の手で無言のまま邪険に男の頭を撫でていた。かよ子の前髪の長さは完璧だった。豊満な両胸は漆黒の髪によって大切な部分を隠したままだった。大きな胸は男の手に収まりきらず、漏れ出ていた。男の手つきでかよ子の胸の柔らかさが、私にまで伝わってきた。私の胸は筋トレの結果、柔らかさを失いしいものとなっていた。かよ子は胸を弄る男の首に手を回し、軽くキスをした。煙草の灰は床に落ちたようだった。首の筋の美しさ。ピンと張ったハープの弦のようだ。かよ子は男に胸を弄られキスをしながらでも、ビデオカメラが回っていることを忘れてはいなかった。たまにカメラに向かって笑いかけるのだ。それは薄汚い笑いではなく、かよ子の秘密に辿り着くための間の笑顔だった。男は胸に顔を埋める。かよ子はそれを上からか冷淡すぎる程の表情で見つめていた。完璧だった。かよ子の髪のなびかせ方も、指先の動かし方も美しかった。男があまりに強くかよ子の胸に吸い付いたのだろう、

「跡が付いちゃうから、もっと優しくしてね」

と囁く声が聞こえた。かよ子の初めての声が、私の耳にこびりつく。カメラを持っている男の唾を飲み込む音が聞こえる。かよ子は長い睫毛の扱い方まで熟知していた。長い睫毛を同級生達はどれだけ上に持ち上げられるかと必死だったが、本当に色めいた女は睫毛を上げたりしない。それは少し下がっていた方が目元に影ができて、儚げな印象を与える。かよ子の睫毛はたっぷりのマスカラによって、下に向けられていた。男はかよ子のパンツの中に手を入れる。かよ子はその間も男に身を委ね、時折切ない顔をする。瞳を閉じて、先程まで煙草を握っていた手は男のそこにゆっくりと辿り着く。焦っている男と対照的に、かよ子の指先は穏やかでしなやかだった。

「鯨子、俺もう我慢できないよ。俺達もしようよ」

「ちょっと待ってよ。まだ終わってないでしょ? 最後まで見ようよ」

「でもビデオ最後まで見てたら、時間なくなっちゃうぜ」

「たまにはいいじゃない。いつもと違って」

「つまんねーの。俺もかよたんに会おうかな」

「何よ、そのかよたんって」

「うちの学校ではそう呼ばれてるの。大人気だからね」

「私のことは?」

「鯨子の話なんて出る訳ねーじゃん」

大丈夫だ。高校生には私の魅力が分からないだけ。ヤリマンだからかよ子がいいだけだ。この田舎じゃそれでちやほやされるかもしれないが、都会に出たら誰も見向きもしない。都会は私みたいな洗練された女を求めるはずだから。しかし、かよ子の媚態びたい、あの演技はどこで手に入れたのだろう。媚態は情報収集の結果だ。だから簡単に私にもマスターできるはずだ。今試してみればいい。

「さとる、抱いて……」

さとるはラッキーとばかりに私に近づいてくる。制服のリボンを外し、上着、ブラジャーと脱がされた。さとるは私にキスをする。私は未だに流れ続けるビデオの中のかよ子の真似をして、さとるの頭を撫でる。指先はしなやかに、優しさを指先だけで表現するのだ。

「頭触るの止めてくんない? 何か馬鹿にされてる気分になる」

「そんな事ないよ……」

かよ子みたいに耳元で囁く。さとるは馬鹿だから気が付けないのだろうか。こんな風が靡くように撫でているというのにだ。

「鯨子さ、かよたんの真似すんのやめなよ。自分の顔ちゃんと見てみろよ」

さとるはそう言い残して、制服をしっかり着込み先に帰ってしまった。「自分の顔見てみろよ」とはどういうことだろうか。つけっぱなしのビデオの中ではかよ子が微笑み、男が果てる直前の顔でえている。

私はラブホテルの大きな鏡で自分の姿を映す。いつもとどこか違っているだろうか。最初に顔を確かめる。ニキビだってないし、かよ子ほどではないが、そこそこキメの細かい肌をしている。黄色味がかった肌はコンシーラーやファンデーションがあれば思いのままだ。毛穴だって黒ずんではいない。鼻筋は通っていないが、ちょっと丸い鼻はチャーミングだと思う。主張のない鼻は東洋的な美しさを持っている。瞳の白い部分は混じり気のない白色をしている。目は二重でこそないが、すっきりとした一重はしくクールビューティと呼ぶに相応しいだろう。下睫毛は毎日の育毛剤によって少しづつ量を増やしている。ふっくらとした頬は国民的な人気を博した過去の女優に共通したものだ。赤ん坊の手にも似た丸っこい手は、赤いマニキュアこそあまり似合わないかもしれないが、ピンク色は栄えるだろう。体毛は身体中たくさん生えているが、それだって処理を怠らなければ問題ない。かよ子にあって、私にないもの。それは一体何だろう。かよ子は淫乱だからモテるのだ。私は強靭な精神力で自分自身を守っているのだ。大きい鏡に映し出された私は昨日とどこも違っていない。まだチェックアウトの時間までは一時間ある。大きな浴槽を利用して、半身浴をしよう。明後日は撮影の日だ。さとるの精液は飲めなかったが、帰りにコラーゲン入りの飲み物でも買って帰ればいいだろう。かよ子は私よりも先にあだ名を付けられた。あだ名が存在するという事実は重要だ。あだ名は人気者にしか与えられない。毎日の筋トレ量を少し減らし、何キロか体重を増やして、ふくよかなラインを描く身体にした方がいいのだろうか。体重を増やせば、胸に谷間もできるだろう。バスタブに腰掛けていると、テレビからかよ子の「ああっ」という声が聞こえてきた。それはじれったくて、甘くて切なくていい響きだった。

――(続く)

2007年4月1日公開

© 2007 竹之内温

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"鯨子さいごの仕事(前編)"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る