売っていない本の中身と永遠に出てこない見積もり

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第6話)

高橋文樹

エセー

4,466文字

電子書籍という言葉が喧伝され、なにか本よりも安いものが流通するのではないかと期待されたがそうはなっていない。これは端的にいってテキストに値段はつかないからだ。私達は今、19世紀のお針子たちのように、値段のわからないモノの前で怯えている。

「芥川龍之介のブロマイド」という言葉を聞いてあなたはなにを思い浮かべるだろうか。顎に手を添えたボサボサ頭の細い顎が頭に浮かんだのならば、それが正解だ。あの芥川のもっとも有名な写真こそ、まさに「ブロマイド」と呼ばれるにふさわしい。そう、原宿のジャニーズショップでまだ売られているだろう「ブロマイド」とあの写真は同じものなのだ。

猪瀬直樹はある講演の中で芥川がなぜあんなに格好をつけた写真を撮ったのかについて解説している——芥川は大正期の作家だが、当時は雑誌や新聞といったメディアビジネス勃興の時代であった、『金色夜叉』のお宮が貫一に下駄蹴りを食らわされる原因となった金剛石ダイアモンドの指輪を送った男のモデルは博報堂創業者の息子と言われている、「成金の息子」の象徴が広告代理店の息子だった、メディアにおける有力なコンテンツの一つであった小説の書き手たちはある種アイドルでなくてはならなかった、だからこそ芥川は小説を書くだけの役職として毎日新聞に入社し、「格好つけたブロマイド」を撮らなければならなかった——なるほど、うなずける話だ。そういえば芥川に憧れる側だった太宰治は、自分の写真写りの悪さに絶望して心中を図っている(花藤)。

芥川を芥川たらしめていたのは、他でもないメディアの存在だった——というのはいささか乱暴だろうが、少なくとも、芥川龍之介は自分の書いた文学作品で生計を立てた特徴的な時代的存在だったことは間違いない。彼よりも上の世代に属する夏目漱石は大学教師であり、森鷗外は軍医だった。芥川が江戸時代のコンテンツ製作者だった滝沢馬琴を題材に『戯作三昧』を書いたのも、気まぐれなどではないだろう。売文という行為の闇の中で先達にすがったというのが正直なところではないだろうか。

芥川の書いた文章が売れたのは——というよりは、端的に芥川が文書を書く対価として金銭を受け取っていたのは、出版というビジネスモデルの枝葉に過ぎないのだ。

本の中身などどこにも売っていない

さて、時代は翻って現代である。電子書籍と紙の書籍について様々な議論が繰り広げられているが、その中の一つとして「電子書籍は印刷代や流通コストがかからないのだから、紙の書籍よりも安くできる」という意見がある。なるほど、これはもっともらしい意見だ。

  1. 紙の書籍の代金 = 紙代 + 印刷代 + 流通コスト + 宣伝広告費 + 本の中身
  2. 電子書籍の代金 = 製作コスト + 配信コスト + 宣伝広告費 + 本の中身
  3. 製作コスト + 配信コスト < 紙代 + 印刷代 + 流通コスト
  4. 電子書籍の方が紙の書籍よりも安い QED

確かに言われてみるとそんな気もする。では、電子書籍がいくらだったら納得できるのだろうか。500円の文庫が電子書籍で200円だったら許せるのだろうか。いやいや、100円? でも、それだったらブックオフの100円コーナーで買っても大して変わらない。もう一声! 50円? そんな端金は無料と一緒だ、もう無料でいいだろう……いやいや、こちらは読んでやっているんだ、ポイントをよこせ! え? こっちが払うのかい? 無料で本を読ませてあげているのに? 当たり前だ、こっちは貴重な時間を使って読んでやっているんだ……

2012年5月18日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第6話 (全22話)

メタメタな時代の曖昧な私の文学

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© 2012 高橋文樹

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